第7話

 播磨国・姫路は古来より播磨国の国衙があるなど山陽道の要衝であった。

 室町時代には赤松氏が姫山に砦を築いており、天正年間、羽柴秀吉が対毛利氏の拠点として姫路城を築城した。関ケ原の後、池田輝政が領主となり、領民を総動員して一〇年をかけて五層六守の天守閣をもつ姫路城が完成した。

 その威容はまさに姫路宰相とも称された池田輝政の居城たるにふさわしいものであったが、一方で、この無理な建築のために領民に厳しい徴収が行われ、結果として池田藩の地盤を揺るがしたのも事実である。ここに池田忠継、督の急死が重なり、二万という大軍を率いて大坂に向かったことも相まって池田家の戦力は大分弱まっていたのである。

 六月、吉川広家と清水景治の率いる毛利軍は岡山を出立し、赤穂を経て姫路へと進軍していった。領主池田利隆がいないことも相まって、池田家は赤穂での抵抗は諦め、姫路城の要害に頼ることにした。

 もっとも、池田側の脅威は西だけではない。東にいる毛利秀元らの率いる四〇〇〇もまた脅威であった。

 実は大坂から帰国している池田家の兵士は毛利秀元の部隊と西宮ですれ違っている。この時、池田家には責任者もいなかったこともあり、また、毛利側から「まだ本国からの命令がないので待機している」ということで「それは気の毒なことよ」と相手にしていなかった。この時点では毛利が敵対するなどとは誰も思っていなかったことが大きい。

 いざ姫路に戻ってみると、毛利が西から攻めてくる。しかも、東には別動隊がいる。

「我々は完全に謀られたのか」

 多くの者は動揺した。何といっても、毛利家は毛利元就という智謀の権化がのしあげた家である。毛利輝元はともかく、吉川広家には東軍の多くの者も高い評価を与えている。池田家自体が動揺していることもあり、実像以上に毛利家が強大な存在として見え始めていたのである。



 姫路城には池田利隆がおらず、息子の光政がいたが、まだ六歳なのでとても指揮はとれない。

 そのため、池田由之が城主代として入っていた。

 池田由之は元助で知られた輝政の兄・之輔の嫡男である。従って由之は本来ならば池田氏の嫡流であったのであるが、小牧・長久手の戦いで祖父池田恒興と父元助が戦死した時、まだ八歳であった。戦国たけなわの時代に池田氏の当主を八歳の子供に任せるわけにはいかないということで、恒興の次男輝政が後継となったのである。

 そういう経緯があるため、輝政は由之を厚遇していた。由之もまた輝政の厚遇に報いんとしており、この両者には遺恨のようなものは存在していない。現在は明石城城主となっていたが、岡山からの軍勢が姫路に戻るに及んで、姫路に入った。

「殿はまだ戻られないのでしょうか?」

「もしかしたら、東の毛利軍に捕まってしまっている可能性があるのでは」

 日置忠俊の言葉に群臣が動揺する。

「今、そのようなことを考えていても詮無き事だ。仮に毛利が殿を捕らえていたとしても、殺すことはないだろう。今、できることは城の守りを固め、殿か、東からの援軍を待つことだけだ」

 由之が明確な指示を出したことで、準備は比較的落ち着いた形で始められる。

 何といっても、姫路城は亡き池田輝政が精魂込めて作り上げた城である。そう簡単に落ちるはずもない。兵力も、東西から集まっているし、大坂から戻ってきた部隊もいるので二万近くはいる。安芸・備後・備中・備前と経て毛利軍は兵力を増やしているが、それでも十分対抗できるところであった。

「兵糧も岡山から運んでおるし、周辺からも集めておる。半年は持ちこたえられるだけのものが整っておる」

 由之には、とにかく毛利の進軍を姫路で受け止めることさえできれば、そのうち東から援軍が来るだろうという期待があった。仮にその他の地域が占領されても最終的に毛利軍を止めることに成功すれば、何とかなるという考えである。



 進軍中の吉川広家、清水景治にもそうした情報は伝わってくる。

「まさか、全軍をあげて姫路に籠城をするとは驚きましたな」

 清水景治は情報を聞くにつれて信じられないという顔をする。

「領内が荒らされても構わないと考えているのでしょうか?」

 景治の疑問に、広家は特に慌てる様子もない。

「池田家は元来より播磨にいたわけではない。そのうち、また移転するかもしれないし、領民や領地も借り物くらいとしか考えていないのであろう」

「なるほど…。我ら毛利は領民を借り物と考えたことはございませんからな。しかし、姫路城は相当な要害と聞いておりますし、籠城されますと厄介ですな」

「そうであるな。ただ、まずは東のうつけ共がきちんと大塩のあたり(現在の姫路市大塩町)まで来るかどうかだ」

「左様ですな…」

 清水景治は苦笑した。

 敵も味方も散々悩まされている毛利秀元らの軍に対して、吉川広家は姫路の東にある大塩村まで進軍するように伝えていた。ここからなら姫路城は一日程度の距離であるし、瀬戸内海から加古川を使うことで連絡も容易である。

「あやつら以外については、手を打っておる。気にするな」

 吉川広家は余裕の様子であった。

「もうすぐ龍野じゃのう」



 毛利秀元らの部隊を見て、姫路に直接戻ることを諦めた池田利隆は六月五日に鳥取に到着した。

 鳥取を治めるのは池田長幸。池田輝政の弟長吉の嫡男で、利隆にとっては従弟にあたる。

「山陽道の方はどうなっている?」

「毛利軍は備前まで制圧し、姫路に向かっていると聞き及んでおります」

「何? 岡山城は落ちたのか?」

「落ちたというよりも、引き上げたうえで姫路城で幕府軍が来るまで籠城するつもりのようです」

「馬鹿な!」

 利隆は叫んだ。

「そのような情けない戦をしたら、勝っても幕府にどうお目見えしたらいいのだ。出羽(池田由之のこと)は何を考えておる!?」

「そうは申しますが、幕府からは攻め入られたとしても、まずは防衛して幕府の裁定を待つべきという掟がございますので」

「それは大御所や前将軍様があってのことじゃ! 豊臣、毛利、前田らが従わぬ状況でそんな悠長なことをしていて何とする。幕府から『池田は頼りにならん』と思われるし、世間からは『池田は領内を全く守ろうとせずに幕府の援軍を待つだけだった』と囃されることになるのじゃぞ! そうでなくても姫路城の改築で多くの領民の怨嗟を買っておる状況で、更に民をないがしろにしていては、池田を迎え入れる者がおらぬようになるわ!」

「た、確かに…」

「…毛利の主力部隊は、姫路に向かっているということだな」

「それは間違いありません。西宮にいる毛利秀元らもまだ待機しておりますし、吉川広家と清水景治の軍は間もなく龍野あたりに到着しているだろうことでございます」

「軍を用意してくれぬか。それほど多くなくても構わぬ」

「それは構いませんが、姫路に向かわれるのですか?」

「馬鹿者、当初はそのつもりであったが、姫路に残った者どもが籠城しかしておらんとなると小勢で向かっても仕方あるまい。岡山に向かうのよ」

「岡山ですか?」

「うむ。一気に南に向かい、津山を経て岡山を攻撃する」

「敵いますか?」

「敵わぬまでもよい。攪乱しているという事実だけでも、幕府の印象は変わってくる。このまま亀の子を決め込んでいては、勝ったとしても池田家は頼りなしと言われてしまう。先ほど言ったように池田家に対する領民の印象も最悪なのじゃ。そうしたことを言われてみよ、播磨御前もおらぬ今、池田家は下手すれば改易、良くても三分の一程度に削減される。お主にだって累が及ぶのだぞ」

「承知いたしました。津山藩の森家にはどうしますか?」

「通行する許可だけを問えばいい。忠政もまだ戻っておらぬだろうし、戻っていたとしてもあまり味方にはしたくない男だ」

 利隆は、美作・津山の領主森忠政に対して感情の起伏の激しい人間という印象を抱いている。領内統治に際して多くの対立を生み出し、死者を多く出したということもあるし、大坂においても軍令違反があったとする問題を起こしている。大坂の問題については森忠政が執拗に正当性を主張したため、お咎め無しであったが、好感を有していなかった。

「それに森家の力を借りてしまっては、幕府に対する印象もまた変わってくる」

 好印象のない森家に、援助を求めるというのも都合が悪い。

「分かりました。二千ほどであれば、何とか」

「よし。それではわしが行くとしよう」

「しかし、右衛門督殿が向かわれるのは危険では」

「他に誰がおるのだ?」

「…分かり申した」

 鳥取ではすぐに編成が行われ、翌六日には池田利隆は二千の兵士を引き連れて、南へと出立していった。

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