第12話 和睦③
「待たれよ」
益田好次が声をかけ、三人が止まる。
「いや、後醍院殿はいい。行ってくれ。供の者だけ残ってもらえぬか?」
「別に構わぬが…」
幸村は民家の軒先に腰かける。それを見て、表に出ようとしていた信綱も再び物陰に隠れた。
「それがしに何の用でござる?」
「…貴殿は、徳川家の者か?」
「…何故そう思われる?」
「いや、特に理由はない」
「左様か」
「…農民らについては、後醍院の言う通りだ。確かに、生活の保障さえすれば、彼らが一揆に走ることはない。しかも、この前手痛い敗戦を被ったし」
「そうでない者もいるということか?」
「わしらのような者はそうはいかん」
「再度帰農するわけにはいかぬのか?」
幸村の問いかけ。確かに一度立ち上がって、それでまた以前の生活に戻るというのは屈辱的なことであることは理解できる。しかし、自分の誇りのために多くの者を道連れにしていいのか、という思いも幸村にはあった。
「わしらだけのことであれば構わない」
好次が唇を噛んだ。
「だが、わしらは海外の者に、殿の名前で多くの者に呼びかけたのだ。殿の名前を汚してしまうことだけは、どうしても我慢できぬ…」
「殿?」
「わしもそうだが、島原の面々も多くは小西アウグスティヌス様の配下だった者だ」
「小西殿か…」
主君の名前を汚すわけにはいかないという理屈は幸村も理解した。
(わしも父上の名誉などがかかっていたならば、また言動も変わるだろうしのう)
「そうなると、島原に渡って、最後の抵抗をするつもりか?」
「恐らくは…」
「ふうむ…」
幸村は小声で唸った。
元々、今年中もしくは来年頭に一揆軍を撃破する予定ではあった。その予定通りではあるのだが、島津家久の介入により戦いそのものが避けられる可能性も出てきている。避けられるのならば、避けるに越したことはない。
(とはいえ、こやつらの顔が立つ形というのは、切支丹の信仰が認められるという形。それはさすがに是とは言えぬのう)
松平忠直は切支丹に対して敵対的ではないが、だからといって全部認めるわけにはいかないであろう。幸村としてもそんなことを提言するつもりはない。
「早い話が…」
その時、茂みの中から声が聞こえた。
「切支丹が切支丹としての生活を保障される地があれば顔が立つわけですよね?」
「う、うむ…?」
好次が声の方を見てけげんな顔をした。
「ああ、失礼。後醍院殿に隠れていろと言われていたもので」
松平信綱が姿を現す。
「約束はできません。ただ、提案はしてみます」
「提案?」
「はい。徳川の責任者に提案はします。約束はできないので、今、どういうことを考えているかの説明をすることもできないのですが」
「…さすがに奄美は勘弁してほしい。流罪に使われるような場所で認められても、納得はしないだろう」
「そんなことは分かっております。そうですね。十日後に再度ここで話をするということでいかがでしょうか?」
「わしは一向に構わん。どうせやることもないから、いつだって来ることができる」
好次が同意したので、二人は再会を約してその場を離れた。
戻る途中、幸村が尋ねる。
「成算がおありか?」
「分かりません。話としてはまとまるのではと思いますが、正直、自分に課された権限を越していますので、越前様が是とされるかどうか自信はありません」
幸村は頷いた。確かに信綱はあくまで忠直の補佐役であり、解決策を提言できるような立場ではない。
「ただ、人道的というよりも何よりも島津とも一揆軍とも戦わずに済むのであれば、それは悪くないことではあると思いますので。年明け早々に一揆と対峙するか、毛利と対峙するかと言われれば、毛利と対峙する方がいいに決まっています」
「うむ。私も出来る限りの支援はさせてもらう」
二人は三日かけて久留米に舞い戻り、松平忠直に島津家久との交渉内容を伝える。
「…ということで、生活の保障さえすれば一揆などなくなるという考えでありましたし、事実そのようでありました」
「ふむ…、つまり、それだけ天草や島原の統治には問題があったということか」
「大坂の陣の軍費などで大名が財政難になり、その補填をどうしても領内に求める部分はありましたでしょうし」
「分かった。島原についても次に任せる者にはきちんと言っておかねばのう」
「ただ、領民はそれで何とかなりそうではあるのですが、上の者については海外から呼び寄せる際の名目などがあり、従えないという話もありました」
「海外から呼び寄せる際の名目?」
「多くが小西行長の家臣だったようで、マニラにいる切支丹を呼ぶに際して小西殿の名前を使ったようなのです」
「ああ、自分の上司の面目を潰すようなことになりかねぬということか」
「はい。そこで切支丹を認めてもいい場所を提供することができれば、彼らも従うのではないかと考えました」
「切支丹を認めてもいい場所? ここ柳河みたいにか」
「柳河もそうですが、私が想定したのは対馬です」
「対馬?」
「対馬の宗家は、かつて小西家と婚姻関係がありましたな」
立花宗茂が頷いた。関ケ原の後に離縁しているが、現代の宗家当主義成の父義智の正室は小西行長の娘であった。当然、義智も切支丹であった。
「対馬なら、小西家の旧臣も文句は言わないかもしれぬが、徳川家としてはどうなのだろう?」
「徳川も対馬には中々手が出せませんよ。朝鮮とやりとりができるのは現実問題として宗家だけで、だから関ケ原の後で西軍についたにもかかわらず、処置なしでしたし」
「なるほど…。琉球との兼ね合いで取り潰しができない島津と同じ理屈であるな」
「もう一つ、確証はないのですけれど、朝鮮とのやりとりにおいて、宗家は国書の偽造などを行っているという噂があります」
信綱の言葉に、宗茂が再度頷く。
「ふむ。確かに豊臣家が明・朝鮮と戦争をしていた時も、宗家は小西殿と共に交渉記録に手を加えたり、条件を変えたりしたものを太閤に見せていたという話がありました。外国との交渉事ゆえ、中々我々にも分からないという事情はございますし、そのようなことをしていたとしても不思議はございません」
忠直が頷いた。
「なるほど。信綱の話を聞いている限りだと、宗家はけしからんこともしているようだが、それと切支丹がどう関係があるのだ?」
「はい。宗家と対馬はどうせ既に朝鮮との間にやりとりをやっているのですから、この際、切支丹とのやりとりも認めてしまってよろしいのではないかと考えます。そのうえで、徳川からの監理を入れることを宗家に認めさせます」
「朝鮮との件で疑義をもっていることを直接言いたくないので、切支丹を置くことを認めてやるかわりに監理させろということか。宗家は従うかな?」
「いずれは監視が入ることは宗家も覚悟しているはずです。それならば、切支丹との交易という別のうまみがある分、断る理由は少なくなると思います」
「だが、徳川の立場として、宗家にそこまで便宜を図ってもよいかのう?」
「これも、公式の話ではありませんが、既に大御所様や前将軍様の間で、長崎近辺に港を作り、そこを中心に貿易を行うという意向はありました。ただ、窓口を一つだけとして独占の形になってしまうと、どうしても腐敗その他の問題が出てまいります。それならば、窓口を二つにしてしまって競争させた方がよろしいのではないかと」
「切支丹を公に置くことについて、後々問題となることはないか?」
「真田殿と一緒に、切支丹の代表から色々話を聞いてまいりましたが、仏教に禅宗、浄土宗などの宗派があるように、切支丹にも複数の宗派があるそうです」
「対馬と、長崎とで切支丹の違う宗派の者を認めれば、先程言った競争させる話になるということか」
「もちろん、問題が何も起こらないと言い切ることはできませんが…」
「話をまとめるぞ。まず対馬の宗家に切支丹との交易を含めたやりとりを認め、同時に徳川からの監視も入れるように取り計らう。そのうえで一揆の者達には、対馬なら構わぬと言って小西行長の顔を立てる。肥後の島津家久が行う処置を、肥前の…さしあたり鍋島勝茂に行うように指示し、一揆を鎮めさせる。こういうことだな?」
「はい。出過ぎた話を申し出ていることは理解しておりますが…」
「責任を取るのは、わしになってしまうからのう…」
忠直もさすがに顎に手をあてて、しばらく思案する。
どれほど考えたか。膝を手で打った。
「分かった。信綱の申す通りにしよう」
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