補足 家久と信綱の綱引き

●和睦条件は何故肥後だったのか


 一揆軍が負けて、いよいよ本丸かと思いきやあっさりと和睦に傾いてしまった島津家久。


 実は、最初普通に熊本城で戦闘する予定で実際に戦闘経緯も考えていたのですが、「待てよ、この状況で家久が戦闘するかな。都合よく和睦を呼びかける方が家久らしいんじゃないか」と思って、展開が変わることになりました。当初の予定が進んでいるうちに変わってしまったのは、忠直が秀頼を自陣営に取り込んで以降二度目です。


 さて、その和睦条件ですが、家臣団が「日向は島津が元々持っていたところなので」と日向を残せるよう求めたのに対して、家久は徳川方に対して肥後を要求しました。この部分の説明がちょっと弱いのではないかという指摘がありましたので補足説明します。


 まず、島津家久の考える徳川の事情は以下の通りです。


 徳川の建前「島津はけしからん。懲らしめてやらないと」


 徳川の本音「とはいえ、島津を倒すまで戦っていたら、毛利もいるし、一揆も盛り返すかもしれないし時間がかかって仕方がない。適当なところで和睦した方が時間的には得するよね」


 これは徳川もその通り考えておりました。



 続けて家久の日向と肥後に対する認識の本音と建前については以下の通りです。


 日向について建前「佐土原は元々島津分家のものだから。有馬は奪っちゃったけど返すよ。伊東は元々お互い大嫌いだったから、戦闘になったのは悲しいことだったけど向こうにだって責任があると思ってほしいな。秋月も奪っちゃったから返すけど、家臣が専横していたから結果オーライと思ってね、結果オーライ」

 日向について本音「佐土原は元々からして島津分家のものだからここは動かないだろう。伊東と有馬はいつでも倒せるし、秋月は元々仲がいいし、白井一族追い出したから恩義も感じているだろうから、戦闘せずとも再吸収できるんじゃないか」


 肥後についての建前「加藤家は領主失格の状態で、内紛とか酷いもんだから、ウチが今立て直しているんだよ。誰を送り込んでも大変よ? 肥後の管理任せてね」

 肥後についての本音「天草と連携できる状態にしておけばいつでも一揆から再戦を起こせる。熊本城もあるから長期戦もできる。肥後を幕府に取られて一揆との連携を断たれると再戦の理由を見つけにくいし、下手に一揆との関係が分かる資料が見つかっても面倒だからなるべく肥後は押さえておきたい」



 ここでポイントとなるのは、家久は今回の和睦が最終決着であるとは必ずしも考えていないということです。


 つまり、今の状態で戦闘継続は島津に利はないので、「切支丹をまとめることをうまくやりますよ」と主張して天草を肥後の領内に入れようとします。事実うまくやるつもりなわけですけれど(うまくできないと肥後を取られてしまう)、今後徳川が毛利に負けたりして、再びチャンスがあればいつだってまたひっくり返すつもりというわけですね。


 その場合に「日向はすぐ取り返せる」という自信が家久にはありますので、日向は返してしまっても構わないという結論に至ります。


 逆に肥後に関しては、切支丹と関係していた事実はありますのでできることなら幕府方には隠しておきたいし、天草を抱えておけば一揆再発という理由で島津の望むタイミングで再戦を行うこともできるという考えがあります。


 もちろんそこで更に下手を打ってしまえば肥後も奪われるけれど、そうならないようにしようというのが家久の損得勘定になります。



 ですので、家久の損得勘定として、肥後を島津のものとしておきたいという結論になり、先祖伝来の地であっても日向を保有することは見送ったということになります。



 そのうえで、家久が肥後を保有することで手元に残そうとしたカード、つまり「切支丹の再蜂起」の選択肢を消してしまいたいというのが松平信綱の提案「対馬で切支丹を認めて、天草では再発しないようにしよう」となるわけです。


 もちろん信綱は徳川強硬派の立場ですから、切支丹を認めるという選択肢は本来取れないのですけれど、それでも島津に管理させておいて天草で再度やられたら非常に面倒なことになることは分かるわけで、それなら対馬で認めることで最悪の事態は回避しようと考えたわけです。


 そして、忠直はというと、家久の意図も信綱の意図も完全に理解しているわけではないですが、感覚的に「まあ、それが一番まとまるのだろう」ということは分かったので了承した、とこういうことになります。



 尚、「信綱も対馬であれこれやるくらいなら、島津に日向を与えて肥後を没収すればよかったんじゃないの?」という考え方も成り立ちえます。この点について、家久は「要求が通る」と思って出したわけですが、実際、この状況だと徳川も「通す」だろうと考えました。


 肥後の加藤家は史実では程なく牛方・馬方騒動というお家騒動を起こします。これは加藤正方と加藤美作の派閥対立が最終形に至った状態となりまして、加藤家内部に徳川秀忠らの介入が入り、加藤美作が追放されるということになります。で、ここで幕府が加藤家を保全する方向で動いてくれたことに対する過信(加藤家は徳川家と多重婚姻を結んでいたことを思い出してください)が後の改易につながっていきますわけですが、それはこの話とは関係ないのでひとまず置いておいて。


 そういうお家騒動爆発寸前の状態ですので、徳川が肥後を再度抱えてしまうリスクも大きかったこともあります。家久が加藤正方・美作の双方を切腹させてしまいましたが、こうした喧嘩両成敗をする必要があったのは事実。その状態で徳川家が肥後を取り返して失敗した場合、それこそ島津が再蜂起してしまうかもしれません。それならば不愉快だけど家久に肥後を任せる、となるだろうと。


 こうした部分も考慮して、「肥後の要求は過大だけど通る」と家久は予想して、幕府も認めたという顛末になりました。

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