第18話 岡山包囲③

 豊臣秀頼の頭には、「いつか父親のようなことをやりたい」という考えがあった。

 とはいえ、父・秀吉の壮大な戦略や戦術・城攻めなどは経験のない秀頼にはできようもない。その中で、唯一できるかもしれないと考えていたのは一夜城であった。

 父・秀吉は二度にわたって一夜城を築き上げたと言われている。美濃・稲葉山城攻略の際の墨俣城、小田原城を攻囲した時に造り上げた石垣山城である。

 これらに必要なことはこちらが攻囲しているという状況の他に土木技術と、相手の目を欺くことである。

 土木技術については問題がない。おまけに、秀頼の軍にはかつて墨俣の城を作り上げた蜂須賀家の者がおり、一夜城にかけての士気も高い。

 残るは目を欺く偽装であるが、秀頼は仮病を装い、城内の目を本陣の方に向けさせた。毎日少しずつ移動させることで「秀頼はどうなっているのだ?」と思わせることに成功したのである。

 その間に櫓を数段階に渡って作り上げておき、前夜、台車と多数の兵士を用いて一気に積み上げることにより、巨大な城が出来たように思わせたのである。


 ともあれ、これにより岡山城の形勢は一変した。

 正確に言うと、形勢は変わっていない。しかし、兵士達の士気が完全に逆転した。

 前日まで有利な立場にいると考えていた岡山城内の兵士達は、自分達が完全に劣位に立ったことを自覚せざるをえず、意気が一気に下がった。

 逆に攻撃する豊臣方は、一夜城による支援も受けて意気は天を衝くほどにまで上がってきている。

 坂崎直盛は昨日までの余裕が一辺し、イライラとした様子で城内を歩いている。南側を見上げる度に歯噛みする。

「おのれ…」

 と呪ったところでどうにもならない。


 しかも、一夜城の上からの攻撃は高さの差もあって効果が高い。そうなると南側の兵士の働きが大きく低減し、当然、陸側も南側に集中する。

「父上、このままでは早晩、城は開城することになります」

 重行が昼過ぎに駆け込んできた。そのくらい事態は急変していた。

「分かっておるわ…」

 直盛もこうなっては文句も言っていられない。とはいえ、一夜城をどうにかする算段は立たない。城から撃って出るか、決死隊を募って焼き討ちするかくらいであるが、当然豊臣方はそれについてはしっかり対策しているであろう。そもそも、城内の様子が丸見えなのであるから、城内で動いているだけでも相手に悟られてしまう。

「こうなっては、降伏しかないのでは」

 しかし、重行の消極的な提案には睨みつけるだけの自尊心はまだある。

「別に我々は毛利の譜代というわけでもありませんし、徳川を裏切ったのは事実ですが、豊臣家ならそこまで厳しく扱われることはないのでは?」

「そうかもしれぬが、秀頼めに降るのは我慢ならん…」

 前年のことを思い出す。家康の指示を受けて、大坂城で千姫を救出すべく準備をしていたら、味方が総崩れになって孤立してしまったことを。そのうえで銃撃を受け、負傷して無念の帰国をしたことを。

 その時のことを思うだけで、怒りがこみあげてくる。

「秀頼などに降伏できようものか」

 直盛は強く突っぱねた。


「どうなっておりますかな?」

 昼頃には福島正則も合流してきた。

「おお、正則。何かあったか?」

「はい。城内から内藤元盛への連絡を取ろうとしておりました。あれを見る前だからか、随分と余裕をもった様子でしたわい」

「なるほど。それでその者はどうした?」

「わしのことを『おまえ』などと呼んでおったので、ちょっと教育せねばならないと帯同させております。他の者に筆跡をまねた別の手紙を持たせて、赤碕の方に走らせております。『残念ながら岡山城は秀頼めの一夜城により陥落いたしました』と」

 正則はそう言って破顔一笑した。

「この様子では、嘘にはなりますまい」

「ただ、まだ抵抗するつもりではおるようだ」

「何、三日も経たぬうちに中の心が折れると思いますよ」


 正則の思惑通りになった。

「このままでは、城の兵に被害が出るだけです…」

 侍大将達が重行のところに泣き言を言いに来る。

「それは分かっているのだが、父上が降伏だけは頑として首を振らん」

「しかし、美作にいる内藤殿が北の赤碕に向かった以上、まだ一か月以上はかかりますぞ。今の状況で一か月も持つとは到底思えません」

「うむ…」

「それでも毛利家のためになるのならまだ死に甲斐もありますが…」

「ならないだろうなぁ」

 岡山が崩れたら、毛利が崩れるとは直盛自身が言っているところである。ここが敗退すれば毛利領が瓦解するのは目に見えていた。

 そうなると、ただ頑張るだけ損である。

「仕方がないか…仕方ないな」

 重行は俯いていたが、しばらくして力強く立ち上がった。


 重行は数人の侍大将を連れて、直盛の居室へと向かった。

「父上、入りますぞ」

 返事を確認せずに中に入る。直盛は疲れていたのか横になっていたが、いきなり襖が開いたので慌てて振り返る。

「な、何じゃ?」

「ご免!」

 重行と三人の侍大将が直盛を押さえつけた。すぐに別の侍大将が縄をもって近づいてきて、直盛を縛り上げる。

「お、おのれら、豊臣に寝返るか!?」

「左様。どの道、三日も持ちません以上」

 直盛を縛り上げると、重行が手ぶらの侍大将に指示を出した。

「包囲方に開城すると伝えい!」


 夜になる頃、城門が開き、岡山城の幹部達が開城して包囲軍の中を歩いていく。その中には縄で縛られてうなだれている男もいた。

「豊臣様じゃ」

 福島正則の声に、城内の一行が跪く。

「開城するとのこと、殊勝である」

「ははっ」

 秀頼の言葉に、縛られた男以外の者が答える。

「あの後ろにいる男は?」

「先ほどまでの城主坂崎直盛でございます。開城に一人反対いたしましたので、我々の手で押し込めました」

「左様か。では、現在の主は誰じゃ?」

「私、坂崎重行でございます。いかなる処分でもお受けいたします」

「ふむ。しかし、何故に直盛は拒んでおったのだ?」

「いや、その…」

 秀頼の素朴な質問に、重行は口ごもる。

「む? 言いたくないことか?」

「言うのは構わないのですが…大声では」

「ふむ…」

「その、父は大坂包囲時に千様を助けに行く話を内府様となされていたということで。その対抗心が豊臣様におありなようで」

 重行は父親に聞こえないような小声でぼそぼそと話す。

 秀頼は目を丸くした。

「あの男が? しかし、あの男、もう五十は越えていそうだぞ。そなたが貰うのならまだ分かるが、はあ…」

 秀頼は呆れたように直盛を見た。

「ああ、ただ、わしが生まれた時、父は六十近くであったか。何とものう…」

 秀頼は再度直盛を見た。

(大坂が落ちてわしが死んでおれば、千はあの男と再婚することになったのか。男も大変だが、女も大変じゃのう…)

 岡山城を落としたという感慨よりも、何とも複雑な気分の方を強く感じ、秀頼は腰を落とした。


 豊臣軍は十月三日に岡山城を陥落させ、程なく備前一国の支配を目指すこととなった。

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