第3話 三姉妹
それより少し前に遡り、越前・北ノ庄。
松平忠昌が越前当主の代理となってから、一年近い月日が経過していた。
高田の松平忠輝とともに、加賀越中の前田を牽制するという重要な役割を担っているが、その前田家は全く動く様子がない。越前家も知らず緊張感の弛みが現れてきていた。
そんなところに、突如金沢から、『大坂に参るので通してほしい。あと、珠が妹に会いたいと申しているので、可能なら会わせてほしい』という手紙が届いた。
「ど、どうすればよいのだ?」
松平忠昌は慌てふためいている。
「どうすると言いましても、徳川と豊臣は同盟関係ですし、前田も豊臣とは…」
弟の直政が説明する通り、公然とした敵対関係ではあるものの、表向きは同盟を締結している当事者である。
「ということは、通すしかないということか?」
「追い返しても越前家の評判が落ちるだけでしょうし、仮に兄上がいたなら」
「むう…」
忠昌も兄の行動原理を思い返す。
「兄は細かいことは何も考えない」
「そうですね」
「面白ければそれでいい」
「傾奇者みたいですね」
「徳川宗家の嫌がることであれば尚良い」
「そういうところもおありでした」
「ということは、通すしかないということか」
「決まりですね。江戸には伝えておきますか?」
「たわけ!」
忠昌が扇子で直政の額をぴしゃりと叩く。
「当主ではあるが、家光は歳も下の従弟じゃぞ。何でわしらが家光に伺いを立てねばならぬのじゃ。堂々と『前田が筋を通して頼んできたため、通した』と答えればいいわ」
力強く答えるその姿は、やはり結城秀康の息子であった。
北ノ庄の郊外にある茶屋で珠は妹を待っていた。
妹と言っても、珠は3歳で金沢に入ったのであり、その年に生まれたのが勝である。姉妹の記憶というものはほとんどない。大坂の陣までは手紙のやりとりくらいはしていたが、夏の陣以降はそれも途絶えている。
いや、性格には珠は送っているが、勝の方で無視を決め込んでいたのである。
半刻ほど待っていただろうか、外の方が騒々しくなる。珠が外を見ると、輿が運ばれてきていた。程なくして、足音が聞こえてきて、三人のお付を従えた長身で細身の少女が入ってきた。
(また随分背の高い妹だこと…)
珠はのんきに考えているが、相手はこれ以上ない冷たい視線で見下ろしてくる。
「初めまして、姉上」
言葉も抑揚が無い、冷たい口調である。その分かりやすい態度に珠はおかしくなった。
「初めましてかしら? どこかで顔を会わせたことくらいあったと思うけれど?」
「もし、顔を会わせていたことがあったなら、その時何故に姉上を刺殺さなかったのか、当時の私を呪いたいです」
「…そんなに父上様のことを恨んでいるの?」
「当然です。夫の豹変に心を痛めているのかと思いきや、喜んだ様子で『子供ができました』とか送ってくるとは身も心も前田家に染まってしまったのですね」
「ええ」
珠はあっさりと頷く。
「私、金沢のことしか覚えていないし、ずっと前田家の人といたから。貴女はいいわよね、お父上様やお母上様とも一緒にいられたのでしょうし」
「…私を馬鹿にしているのですか? 姉上のせいでお父上様は死に、我が夫は九州へと向かっていて、いつ戻ってくるかも知れないというのに」
「それなら、会いに行けばいいのではないかしら?」
「…何ですと?」
「私だって、今回、殿に頼んで、貴女と姉上に会いについてきているのだもの。九州に行くことだって、できるでしょ?」
勝は唖然とした顔をしていた。そんなことは考えたこともないという様子である。
「私だったら、仮に殿がどこかに行くとなれば、どこにでもついていくと思うわ。一緒にいたいから」
「私は姉上とは違う」
「そうなの? つまり、私は家より夫を愛していて、貴女は夫より家を愛しているということかしら?」
「そういうわけでは…」
「でも、越前にずっと残っているということはそういうことでしょう?」
珠の言葉に勝は黙ってしまった。
「うん。まあ、お家のこととはいえ、貴女に色々大変な思いをさせたことについては申し訳なく思っているわ。でも、私は貴女のことを妹だと思っているし、今後も何かあったら手紙くらいは寄越してほしいとは思っているのよ」
珠はそういうと、お付の二人に視線を送り、そのまま立ち上がる。勝は考えているようであったので、そのまま何も言わずに部屋を出て、自分の輿まで向かう。輿の近くに利常がいた。珠の姿を見てホッとした様子になり、それを見た珠は言いようのない嬉しさを感じる。
「私も輿ではなく、馬や徒歩でも進んでみたいのですが」
全体が進み始めたのを見て、珠は利常に声をかける。
「馬鹿を申すな。大名の妻が歩いていたなどと知れたら、前田家の大恥になる」
「そんなものでございますか。ところで」
「どうした?」
「私は大坂でも千姉様に会えればと思いますが、殿は大坂では何をなさるのですか?」
「ああ、義兄のことを相談したいと思っている」
「義兄? ああ、豪様の」
宇喜多秀家の話題であると思い出し、珠も納得した。
近江の井伊家も、前田家からの通行要請に驚いたが、越前と同様に議論した後に結局は認めることになる。
こうした若干のもたつきも受けて、二日後、一行は大坂についた。
大坂でも、突然の前田利常の来訪に驚きがあるが、こちらは徳川家と違い「前田利常のおかげで勝った」という事情もあるので、否定的な反応は少ない。
「秀頼殿も治長もおらぬ時に来られても、誰がどうせよと言うのでしょう」
と淀の方がぼやき、それを聞いた大野治房と毛利勝永が「二人がいても、決めるのは貴女でしょ」と言わんばかりの難しい顔をしていた。
結局、翌日にこの三人に明石全登を加えた四人で前田利常と相対することで決定した。
その一方で、秀頼の正室・千は珠からの誘いに応じて、大坂城の茶屋へと輿でかけつけてきた。
「まあ、貴女が珠なのね!」
「姉上様、お久しぶりでございます」
「随分大きくなったわねぇ。私が知っている珠はこんな小さかったけれど…」
「その頃は姉上様だって小さかったのでは?」
姉妹の雰囲気も、越前の時とは全く違い、話も弾む。
「そうなのねぇ。もう二人も子供がいて、羨ましいわ」
と言うように、秀頼と千の間には子供がいない。
「太閤様も子供が中々できない人だから、覚悟はしていたのだけれど…」
「…そういえば利家公は子沢山な方でしたから、私は幸運だったのかもしれませんね」
「貴女が沢山男の子を作ってくれたら、いざというときは養子で貰わないといけないのかも」
「そんなことはないですよ。姉上様にはまだまだ頑張っていただかないと」
「ところで、和子のことについては何か聞いている?」
千が言い出したのは末の妹である。
「入内するという話を聞いていたのだけれど、例の件で止まっているでしょ。勝も怒っていると思うけど、和子はもっと怒っていそう」
「そうですね。さすがに和子に会いに行くことは難しいですし。入内したらしたで皇后に会いに行けるかというと」
「そうそう。せめてもう一度くらい会いたいのだけれど…母上様に言っても認めてくれなさそうだし…」
「そうですね…。二人で家光に頼めば、何とかなるかもしれません。できましたら、勝も何とか引き込んで三人で」
「勝は、私達のことを敵だと思っているんじゃないかしら?」
「大丈夫ですよ。本人は敵意持っているつもりですけれど、会ってみたら可愛い妹でしたから」
姉妹の会話は一日中続き、その日は二人して近くの宿に泊まる始末であった。
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