西国の動乱
第1話
徳川家が後継者選定に動いている間は、大坂方にとっては有利な時間である。
当然、彼らは家康の首を返還後、速やかに行動せんとしていた。その中心にいるのは当然真田幸村であり、毛利勝永である。
「こういう情勢ですので、おそらく徳川方はすんなり長幼の順で竹千代を後継者とするでしょう。変に松平忠輝が後継になろうものなら、不満分子が動かないことになるでしょうからな」
真田幸村が説明をする。
「ただ、後継者が確定しただけでは、大名は動かないと思いますので、当然征夷大将軍位を朝廷に求めてくるはずです」
「幼年の竹千代に認めるかな?」
大野治房が疑問を呈した。
「…最終的には認めることになるでしょう。ただ、その間黙っていたのでは当然こちらが不利になります」
「それはそうだ。ただ、いかがすればよい?」
大野らの疑問はそこにあった。
「所領などについてはどうやって拡大すればよいのだ? 停戦とある以上、我々が徳川方を攻撃することはできないが」
この点について、治長は若干不満そうでもある。
「…半年というのは少し長すぎたのではないだろうか?」
「いえ、所領は何も戦で奪い取るものではありません。手紙一つでも作れるものです」
「ほほう?」
「今回の勝利というのは、豊臣恩顧の大名にとっては大きな衝撃であったと思います」
「それはそうじゃのう」
「この動揺につけ入るべく、秀頼公からこちらに来るよう促せば、動く者も出てくるはずでございます」
「なるほど。肥後の加藤忠廣、安芸の福島正則、伊予松山の加藤嘉明らは従ってくれるかもしれぬのう」
「はい。肥後の加藤家は徳川家とも婚姻を重ねているため、簡単にはなびかぬしょうが、安芸と伊予松山については好機でございます」
「そうじゃのう。真田殿の言う通りじゃ」
治長は秀頼を仰ぐ。
「それでは、直ちに福島、加藤らへの書状を記しましょう」
「うむ、そうだな…」
秀頼も乗り気である。
「…?」
ただ、真田幸村は少し違和感を覚えた。
(秀頼公が、今一つ疲れているように見えるのは何故だろう?)
これまで、淀の方の発言力に制せられて、気苦労が絶えず、それによって年齢以上に冴えないように見えることもあったが、家康を討ち果たして以降、淀の方は目に見えて発言を減らしており、気苦労は少なくなっているように見えた。
それにもかかわらず、秀頼の顔つきは疲れているように見える。目の下にははっきりとした隈があり、寝不足であることも伺われた。
(特に何かをしているわけではないと思うのだが…)
秀頼が具体的に何か政務をとりしきっているわけではない。
それだけに気になるところであった。
会議が終わった後、幸村は毛利勝永に尋ねた。
「のう、秀頼様の様子、どのように思われる?」
勝永も頷いた。
「やはり真田殿も感じられていたか」
「明らかに疲れておられるようだ。そのような状態ではないはずなのに」
「ところで、福島殿、加藤殿以外になびいてくれる者はいないだろうか?」
「いや…」
幸村は苦笑した。
「福島殿や加藤殿にしても、すぐにはなびいてはくれぬだろう」
「…では、どうして?」
「ただ、資金その他の援助などはしてくれるはずだ。当面はそれに頼るしかない」
「そうすると、この半年はどうされるのです?」
「この半年は、戦をせず、当主の器量で争うつもりであった」
幸村の言葉に勝永が目を見張る。
「当主の器量?」
「竹千代がなろうと、忠輝がなろうと、家康・秀忠と比べると大きく役者が落ちる。彼らと秀頼公であれば、秀頼公の自覚如何で優劣が変わる」
「なるほど」
ここに至り、勝永は幸村の真意を悟った。
(つまり、この半年間で秀頼公の成長を見届けようとしていたのか。そのうえで勝てるのであればそのままでいい。負けそうなのであれば、つまり、秀頼公が今のまま変わらないのであれば…、この陣営を捨てる、ということか)
実際、秀頼が明らかに徳川の後継者を上回るとなれば、加藤、福島は元より、蜂須賀や藤堂などの大名も豊臣側になびいてくる可能性は十分にある。
(確かに、ここまでの戦いは我々がひたすら摩耗してきていることがあった。真田殿としては、これ以上、秀頼公のために自分達の部下を失いたくないということもあるのだろうな)
そうであるならば、ますます秀頼の憔悴ぶりは気になるところである。
秀頼の憔悴の原因は何か。
それは前日の明石全登との話にあった。
「秀頼様、これからの話は秀頼様の胸の内だけにしまっていてくだされ」
「うむ。それはいいが、突然に何だ?」
「秀頼様、この後の豊臣家をどうお考えですか?」
「うむ…。何とか徳川との優劣差を覆したいと思ってはいるが…」
「そのためには、資金その他多くの物入りでございますが、その準備はできておりますか?」
「うむ…」
「大坂城にある黄金が全てでございますが、その余力がいかほどありますか?」
「…それは」
大野兄弟から詳しく聞かないと分からないが、それほど余裕がないという話は聞いていた。
「しかし」
「しかし?」
秀頼は全登の言葉をそのまま返した。
「しかし、我々切支丹を味方につければ、資金その他がなくても戦力は増加いたします」
「……」
秀頼は返事ができない。
大坂城でずっと過ごしてきた秀頼には、切支丹の持つ力というのは正確には分からない。しかし、父秀吉が禁令を出すなど警戒していたことは知っている。天下人であった父が禁令を出すほど恐れを抱いていたということは、当然、相当な戦力であることは分かる。
(とはいえ…)
その父が禁令を出していたということが、切支丹を戦力とすることへの抵抗でもあった。父が恐れたということは、つまり切支丹は豊臣家すら覆しかねない力を持っていたということである。
それほどの力を自分が制御できるのか。
万一、切支丹によって豊臣家が飲み込まれてしまった場合、自分は黄泉にいる父にどのように報告をすればいいのか。
「少し、考えさせてくれぬか…」
秀頼はそういうのが精いっぱいであった。
それ以降、秀頼の頭の中を切支丹のことが占めている。
「…秀頼様?」
大野治長の声で、我に返る。怪訝な顔で自分の様子をうかがっていた。
「昼間から心ここにあらずという様子ですが、何やらお体でも悪いのですか?」
「い、いや、そういうことはない。大丈夫だ」
「加藤殿への書状の方、早めにお書きいただかなければ」
「あ、ああ。すまない」
秀頼は平静さを装い、書状を書くことに専念する。
しかし、どうしても切支丹達の姿が頭から消えないのであった。
一方、その日、明石全登は大坂城内にある切支丹の集まりに参加していた。切支丹の集まりといっても、公認されたものではない、地下的なものである。従って、それぞれの服装などは一般の町民と変わらないし、祭られているものも同じである。
(構うことはない。大切なのは心であって、物ではないのだから)
全登は信仰を捧げる人に向かい合いながら、そう考えていた。自身も、一見して観音像とも見てとれるイエス像に祈りを捧げる。
(秀頼公がこれに反応すればよし。しないのであれば、その時はこの面々を前田殿の部下として使うまでのこと)
全登は秀頼には忠誠心を持っていない。それでも尽くしていたのは、徳川家の天下となれば確実に切支丹信仰は禁止されてしまうからだ。全登にとって大切なのは切支丹の信仰であり、それを認めてくれるのであれば、前田でも構わないし、他の大名であっても構わない。
(殿が戻ってくれば、もちろん、秀頼公に対する影響力も増すであろうが)
全登の想定する「殿」とは当然宇喜多秀家のことである。
秀家は切支丹にも理解が深いし、彼が戻ってくれば、豊臣家内部における切支丹事情も変わってくる。ただし、秀家は現在八丈島にいる流人である。その彼が戻ってきて、いきなり切支丹云々を言い出せば、現在秀頼の下で働いている者達の不満が増すことは明らかである。そうさせないためにも、早めに秀頼の思考を切支丹に向けさせておく必要があった。
そのうえで、秀家に最後の一押しをしてもらう。
全登はそうもくろんでいたのである。
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