徳川家新当主
第1話
和睦が成り、徳川父子の首を取り返すと、伊達政宗は松平忠輝、徳川義直らとともに東に進み駿府に戻った。多くの諸大名も兵士こそ国許に帰したものの付き従っている。
駿府で徳川家康・秀忠父子の葬儀を行うことが松平忠輝から発せられ、すぐにそれを伝えに伝令が江戸に走る。
この時、江戸城にいたのは竹千代、国松という秀忠の息子二人にお江与の方であった。竹千代のそばには聡明な乳母として家康からも評価されているお福の姿もある。
元来、お福とお江与の仲は良好ではなかった。お福は竹千代の乳母であるが、お江与と秀忠は弟の国松を可愛がっており、叶うならば国松を後継者にしたいと考えていたからである。しかし、徳川家康と秀忠が死んだという報告がある以上、喧嘩をしている余裕はない。
「国松様を大切になされたいというお気持ちは理解いたしますが、長幼の順を無視するとなりますと、上総介や越前が『自分こそが徳川の当主』と名乗り出る可能性がございます。それを封じるためには、将軍様の嫡子である竹千代様を押し出すしかありません」
お福にそう主張され、お江与も従うしかない。かくして、二人は共同戦線を張ることにしたのであるが、その前途は明るいとは言いづらい。
事実、今、松平忠輝の主導で葬儀が行われようとしているという事実を目の当たりにしていた。
忠輝の書状を読んだお江与は当然のごとく烈火の如き怒りを見せた。
「大御所様にも将軍様にも嫌われていた忠輝ごときが、どうして主人面して葬儀をするというのじゃ!」
「そ、それは…お二方の首を取り返し、被害を最小限に抑える和睦をしたからで」
「それに京都と堺を大坂方にも使わせると? 誰の許可を得てそのようなことを」
「そうは申されましても、あのまま事態を流動的にしておけば毛利や島津らが公然と幕府に反旗を翻すやもしれず…」
お江与の方が怒ると徳川秀忠ですら謝るしかなかったという噂があるほどに彼女の怒りや八つ当たりはすさまじい。日頃は上品な顔立ちをしているが、一旦眉がつりあがるとその形相は地獄の鬼をも想定させかねないほどのものであった。この点は、大坂を牛耳っていた姉の淀の方ともあまり変わりがない。
そんな恐ろしい相手に対して伝令はひたすら平伏しながら説明をする。もちろん本人も予想していたことであろうが、自分とは全く関係ないことで八つ当たりや罵倒を浴びなければならないのであるから、災難といえば災難であった。
「おのれ政宗め…上様が亡くなられたのをいいことに好き放題やる気かえ…」
もちろん、お江与の方にも忠輝の後ろに政宗がいることは知っているし、また、少なくとも竹千代や国松では政宗の相手にならないことも分かっている。
「正純は何をしておる?」
秀忠の腹心の一人、本多正純の名前をあげた。
「それが…先での戦い以降行方知れずでして…」
「将軍様と亡くなられたというのか?」
「ただ、大坂方が首実検をした中に、本多様の首はなかったようでして…」
「ええい! 役立たずめが…」
お江与の方が扇子を投げつける。10間ほど離れていたが、その扇子は物の見事に伝令の頭に命中した。
「いててて…」
「痛がっておる場合かえ!?」
さすがの理不尽さにお福は思わず苦笑し、割って入ることにした。
「委細は分かりました。ただ、お台所様は混乱なされておりますので、お返事はもう少しお待ちください」
「ははーっ」
伝令はようやく解放されるのかという安堵感を露わにお福に平伏し、そのまま逃げるように出て行った。
伝令がいなくなると一転、お江与が弱気な表情を見せる。
「…お福、わらわはどうすればよいのじゃ?」
「大御所様と上様の葬儀をされるという以上はやむをえませぬ。駿府に出向くしかないでしょう」
「その後はどうなるのじゃ? 次の将軍は?」
「……」
「わらわは忠輝の将軍位など認める気はないぞえ」
「それは私も同じ考えでございます。ただ…」
「政宗に対抗しやる者が関東方にはおらぬ、ということか」
「佐竹殿、上杉殿あたりになりましょうか」
お福はそう答えるが、あまり見通しは明るくないと思っていた。
久保田の佐竹義宣は無能ではないが、堅すぎる部分があるから硬軟織り成す政宗には対抗しがたいように思えた。また実際、20年以上前の話ではあるが政宗と直接対決して負けていることもあるから、あまり期待はできない。米沢にいる上杉景勝、直江兼続の主従も関ヶ原の頃までは堂々としていたが、そこで大幅に領地を削られたことも効いているのか最近は覇気がないという話を聞いていた。天下への野心を露わにし、今まさに飛躍せんとする伊達政宗に対抗できるほどとも思えなかった。
(黒田や細川ももう一つ。島津は遠すぎるし、心中図れぬ…)
当然、譜代の臣は近年の幕府機構の円滑な運営のために能吏が増えているため、戦場をまともに経験している者も少ない。四天王も代替わりしており、本多忠朝に至っては大坂で戦死、榊原康勝も重傷を負っており、明日をも知れぬ状態である。
(一体誰に頼ればいいのだ…)
伊達政宗に太刀打ちできるだけの力をもち、徳川家のために尽くしてくれる者。
(…待てよ)
お福は冬の陣の前のことを思い出していた。
その日、お福は駿府に出向いていたついでに家康の下を訪れた。目的はもちろん、竹千代の話をするためである。
首尾よく目的を果たし、とりとめのない話をしているついでに家康がふと話題を変えた。
「さてはて、もし仮に豊臣に勝てなかった場合、牢人共をどうしたものかのう」
「そのようなこと、ござりますでしょうか?」
「無論、負け戦をするつもりはない。が、ままならぬこともあるのが戦というものじゃ。わしが死に、大坂方が残るとなれば、秀忠が戦経験の豊富な真田や後藤(又兵衛基次。史実通り5月6日の道明寺の戦いで戦死)に勝てるかどうか…」
「その場合、伊達様がおられるのでは?」
家康が目をすっと細めた。
「政宗か。確かに奴なら勝てるかもしれんのう。だが、奴は大坂方だけでなく、江戸まで飲み込んでしまうかもしれん。わしが生きているうちに徳川の権力が絶対のものになれば奴は素直に従おうが、そうでないと見れば奴がどうなるかは見当もつかん。佐竹や上杉でも勝てんだろうしな」
「……」
「お福、もしそのような場合になり、秀忠が迷ったり成す術のない状況に陥ったりした場合には左近将監を勧めよ」
「左近将監?」
お福はその官位が誰のものであるか、一瞬思い出せなかった。
「立花宗茂だ」
「立花様ですか…」
「あの男も真田同様に生きるのは下手だが戦の巧さはあの安房守(真田昌幸)ですら凌駕しよう。忠勝がおらぬ今となっては日の本一といってもよかろうな。この戦が無事終わり、平穏に終わるのなら奴は10万石程度で復帰させるのがよかろうが、もし揺り戻る羽目になったなら…」
「なったなら?」
「左近将監に50万石与えて、乱世の徳川を任せるしかない」
駿府に戻った後、お福は秀忠に報告に行った。とりとめのない話をした後、お福は不意に人を退けることを願った。それが許されると、家康が感じていた不安を口にする。
「父上が亡くなられた場合か…確かにわしでは大坂の真田らを封じることはできないだろうのう」
「その場合はいかがなさるのでしょう?」
秀忠は腕を組む。
「いざとなったら左近将監に50万石でもくれてやって、大坂を落としてもらうしかなかろうな。そのために召抱えているのだから」
「50万石?」
お福は驚く。期せずして親子の認識が一致したからだ。
「しかし、50万石で大坂城を落とせば…」
「もちろん更に加増せねばならん。100万石になるかもしれんな。だが、筑前守(前田利常)や陸奥守(政宗)に比べれば、左近将監は強くなっても裏切る心配はない。領国経営に失敗する可能性はあってもな」
お福は、家康、秀忠の話をお江与に話した。
「左近将監か…」
お江与は二度ほど頷いた。
「ご存知なのですか?」
「わらわが秀吉様のところにいた頃、会うたことがある。東に本多忠勝あれば、西に立花宗茂ありと秀吉様は言うておられた。確かに左近将監なら律儀さでも信用できるし、伊達政宗にも対抗しうる」
「ならば…」
「うむ…葬儀に出た後、左近将監を我が陣営に加えるのがよかろうな…。問題はどのようにして取り込むかじゃ」
お江与はそう言って表情を曇らせる。お福にしても、立花宗茂と交流はないので取り込む術はない。
一方、駿府にいる伊達政宗。
既に駿府に着く前から、多くの者と話を交わしており、その結果から。
「やはり忠輝殿がすぐに徳川家を継承することについては難色が多いようです」
忠輝を前に説明する。
「私は父上や兄上に嫌われておりましたからな…」
忠輝も大体予想していたようであり、動揺の色はない。
「ですので、家督については竹千代という路線で認めるしかないでしょう。そのうえで後見人という形で忠輝殿をつけるように計らい、これについてはあらかた賛同を得ております。そのうえで早期に豊臣との再戦をし、我々の主導で大坂を攻め落とせば実権を握り、竹千代に忠輝殿の子息などを養子につけることも可能になるでしょう。ただ…」
ここで政宗の表情が曇る。
「問題は将軍位が速やかに認められるかどうか…」
征夷大将軍とは言うまでもなく武家の棟梁の地位である。ところが、その棟梁の地位にあるはずの者が二人まとめて戦死しているのである。徳川家に武家の棟梁たる資格があるのかという点で朝廷が揉める可能性が大いにあった。豊臣家が妨害をしてくることも間違いない。
「征夷大将軍の地位を竹千代に得させるまでは、諸大名も安心できぬであろうし。もちろん、得たとしても全員がそのまま従うという保証もないが、な。前田などは従わぬであろうし」
「しかし、竹千代が征夷大将軍を得てしまった場合に素直に我々の言うことに従うでしょうか? 竹千代が自己の派閥を作ってしまった場合に、我々が後見人としての地位を外されてしまう可能性はないでしょうか?」
忠輝の疑問に、政宗はニヤリと笑う。
「後見人、であることは過程では必要だが最終的にはどうでもいいことである。最終的には、豊臣家を滅ぼし、家康・秀忠の仇を討った者が最大の実力者となるのだからな。ただ、徳川家が征夷大将軍を有しない限り、豊臣家を滅ぼすことは難しい。この部分をはき違えぬようにせねばならぬ。征夷大将軍は最終目標ではない、最終目標のために必要なものなのだ。忠輝殿が征夷大将軍になる、ならないは、目標には影響せぬ」
「…承知いたしました」
「恐らく、竹千代や女衆は徳川家内部の統率をもくろむであろうが、それについてはどうでもよいのだ。我々が組むべきは徳川家の譜代大名ではなく、細川家や黒田家などであり、最終的には豊臣家の中にいる者どもも取りこめれば最高である」
「義父上、楽しそうでありますな」
忠輝が政宗の表情を見て笑みを浮かべた。予想外の言葉に政宗は一瞬、意表を突かれたが、すぐに笑みを浮かべる。
「楽しそう、か。確かに楽しい。25年前に捨てたはずのものが、戻ってくるのかもしれぬからな。有力大名として、多くの者に傅かれるのも悪くはないが、やはりわしは天下を狙うために生まれてきたのだと実感しておる」
政宗はそう言うと、カラカラと笑った。
「殿」
そこに片倉重長が入ってきた。
「井伊掃部頭殿が参っておりますが、いかがなさいましょうか?」
「井伊が?」
予想しなかった訪問者に政宗は目を見開いた。
「はて、わしに何の用であろう。譜代筆頭の井伊家の者が、わしの機嫌をうかがうということはないと思うし…。葬儀の予定についてのことであろうか? まあいい、通せ」
重長に命じると、忠輝を残して客間を出て、玄関へと向かう。
玄関の先に、井伊直孝が平伏していた。
「これは井伊殿、そのような恰好をなさらずおあがりくだされ」
政宗は中へと通し、直孝もついてくる。
「どうなされた?」
「はい。それがし、越前様からの言伝を預かりましたので参りました」
「越前様の言伝?」
「先日、伊達殿に対して自分は徳川家などどうでもいいと申してしまったが、よくよく考えてみればやはり祖父であり、叔父に対して最低限の礼節は払うべきである。葬儀には出たいゆえ、何卒自分が着くまで待っていてほしい。そう仰せでございました」
「さ、左様でござるか…」
政宗は思わず「えっ」と声をあげそうになった。
(こんな話であれば、わざわざ井伊直孝を派遣せずとも、書状を渡せば済むだけの話であろうに)
「越前様の考えは分かりました。御台所様ら、江戸からの参列者もおりますゆえ、すぐに葬儀を執り行う予定もございませんし、越前様には安心して参られるようお伝えください」
「ありがとうございます。これで越前様も安心できると思います」
直孝はそういうと、政宗に頭を下げて、「では、それがしは失礼いたします」と出て行った。これにも政宗は目を剥く。
(本当に、これだけのためにやってきたのか!?)
とはいえ、直孝は何か探るような様子でもなかったし、用件以外のいかなることも口にしていない。
(越前殿も変わった男だが、井伊直孝も不思議な者よ…。今の若者はこういうものなのだろうか)
政宗は思わずそんなことを考え、自分も歳を取ったものだと実感した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます