第6話 隠者と牢人

 金沢へと向かうべく、宇喜多秀家は明石全登を伴い大坂を出た。

 途中、越前に寄るべく京を通り、北へと向かおうとしたところで。

「明石殿」

 唐突に同行している全登に声をかけてくるものがいた。

「お主は…真田殿のところの」

「はい。穴山安治でございます」

 小助と呼ばれている穴山安治が北東に手を向けた。

「我が殿は現在、彦根で赤備え隊を見ておりまして、宇喜多様と明石様をお待ちでございます」

 秀家と全登は顔を見合わせて、笑う。

「なるほど。さすがは真田殿、大坂にも忍びを置いておりましたか」

「西は我が殿が、東には源三郎(信之のこと)がそれぞれ多数出しておりますゆえ」

「真田殿には敵わぬのう。殿、いかがしましょうか?」

 全登が秀家にどうするかを尋ねた。

「特に目指すものもない旅だし、名高き真田殿に会えるのは名誉なことじゃ。彦根に寄らせてもらうとしよう」

 かくして、二人は進路を変更して彦根へと向かうのであった。


 途中、馬を借りることもできたため、その日のうちに彦根に着いた。

 穴山安治がすぐに城の中に駆けていき、程なくして小柄な男とともに小走りで戻ってくる。小柄な男が笑顔で。

「真田幸村にございます。元五大老の宇喜多様とお会いでき、恐悦至極でございます」

「こちらこそ、『日本一の兵』真田殿とお会いでき光栄にございます」


「先に大坂に行って、豊臣秀頼に会ってきまして、な。多少、思うところを言ってまいりました」

 その夜、四人は幸村の屋敷で飲み交わしていた。

 秀家の言葉に幸村も頷く。

「豊臣様も、大坂城にいた頃とはくらべものにならない程しっかりとされているようです。徳川家と交戦している頃は、正直敵よりも味方の方が厄介だと思っておりました」

 幸村が本音を言うと、全登は苦笑し、秀家は大笑いする。

「しかし、そのくらいの状況だったから内府殿も油断したのでありましょう」

「そうかもしれませんな。討ち取るは武士の本懐ではございますが、これだけ方々で混乱が続くと、ひょっとしたら大坂は負けておった方が良かったのではないかとすら思います」

「確かに、そうすると日ノ本は内府殿の手に収まり、わしがこのように方々を歩き回ることもなかった」

「おっと。これは失礼いたしました」

 幸村の詫びを、秀家は片手で制する。

「いえいえ、これは本音でございますので。一度、農民の仕事をしてみますと、これも中々面白いものでしてな。窮屈やら責任やらを背負って大名になるより、八丈島で農民をやる方がよほどそれがしには合っている、と感じております」

「そのようなことは…」

「ですので、早く日ノ本の争乱を取り除いてほしいと秀頼にも色々教示してきました」

 秀家の話に、幸村が唸る。

「なるほど…。最終的には越前殿と江戸の家光との間で天下分け目となりますか…」

「そうなるであろう。井伊や伊達はともかく、古くから江戸にいる面々は九州に対して恐怖を抱いておるように思った。自分達の理解と違う方向に世界が進むとき、人は恐怖するものらしい。わしも関ケ原が終わってから徳川のところに出向くまではそういう経験をした。実際変わってしまうと何ともないんじゃがのう」

 秀家は乾いた笑いを浮かべる。

「恐怖でございますか。井伊殿からは、本多正信殿の話で流れが変わったとは聞いているのですが」

「ほう?」

 その話は知らなかったらしく、幸村が説明をする。もっとも、幸村の知る情報も井伊直孝から幸村や他の家臣達への手紙で知るくらいであるが。

「なるほど。とすると、本多正信の言が一部の者の恐怖を更に煽ったのかもしれぬのう」

「真田殿、今度は江戸城が昨年の大坂城のようになっているのかもしれませんな」

 全登の冗談めいた言葉に、幸村は苦笑した。

 状況の理解ができず、当たり障りのないことしか言わない守旧派。しかし、往々にして守旧派の方が長年その場所にいるため、発言力が大きい。状況を理解しているものは不満が溜まっていき、お互いへの反発が強まっていく。

 その部分は理解できた幸村であるが、一点、理解できないことがあった。

「しかし、毛利に、それほど簡単に勝てますかな?」

秀家は「毛利はいずれ屈服する」と言う。そこまで簡単には行かないのではないかと幸村は思った。昨年瞬く間に領土を拡大したことといい、今年、立花宗茂がいながら勝てなかったということが脳裏を過ぎる。

「おそらく、皆は考えすぎなのでしょう」

 秀家は面白そうに答える。自分だけが分かっていることを楽しんでいるようである。

「理由は二つあります。まず一つは、他ならぬこの宇喜多秀家が昔、備前を治めていたこと」

「宇喜多様が治めていたこと?」

「この秀家のような愚鈍な者が治めていたところが、しっかりまとまっているとお思いかな?」

「いえ。宇喜多様が愚鈍など、そのようなことは…。あっ!」

 幸村に閃くものがあった。秀家が頷く。

「それがまず一つ目の答えでございます。二つ目は、毛利にしても海戦を挑まれるのは嫌だということにございます」

「…こちらも、また難しい謎かけでありますな」

「そのようなことはないと思いますが。ただ、備前を治めたことがなければ分かりにくいというのはあるかもれしませんな…。ああ、そうか」

「どうされました?」

「いいえ、ひょっとしたら吉川広家も、同じ理由で気づいていないのかもしれません」

「なるほど。ということは、我々が先に気づいて仕掛けることができれば、吉川広家の鼻を明かすこともできるということですな」

 徳川方が翻弄されている原因の一つが吉川広家であることは間違いない。広家に勝って、流れを変えたいという思いは幸村にもあった。

「そうあることを願っております」

 二人は一旦酒を飲み、別の話題をした。

 更に幸村が話題を変える。

「しかし、宇喜多様の見通しは恐ろしいものでございますな。それがしも色々な戦いをしましたし、立花殿をはじめ優秀な者も見てきましたが、宇喜多様と話をしていると今後のことも毛利のことも色々見透かしておりまして空恐ろしいくらいです」

「いえいえ、凡人極まりない男でございますよ。ただ、昔よりも情報に押しつぶされることはなくなったのかもしれません」

「情報に押しつぶされる?」

「はい。一つ一つの話をじっくり吟味すれば分かることでも、昔はそんなのんびりとした時間もありませんでしたし、自分の立場ゆえに聞き入れられない話もありました。それが今は15年も世間から隔離されて一度頭が空っぽになりましたし、立場もなくなりましたし、比較的きちんと考えられるようになったのかもしれません」

「ああ、なるほど」

 それは幸村にも分かることであった。

 幸村にしても、関ケ原の戦いまではただ父親に付き従っていただけである。それが何故大坂の場でいきなり父昌幸をも上回る働きができたのか。幸村自身にも不思議なことであった。

しかし、幸村は九度山で14年蟄居の身となっていた。秀家と異なり、全く世間の情報から隔離されていたわけではないが、それでも大坂にいた他の者と比べれば情報から隔離されていたことはある。その分、先入観なく相手のやりそうなことを見通せたということはあった。

「恐らく我が父もこういう境地だったのでしょう」

「宇喜多様の父ですか?」

「はい。謀略の鬼とまで言われたそうでして、それがしは良く、あれだけ切れる男から、何故こんな鈍重な男が生まれたのだと言われたこともありました。もちろん、それがしが鈍重であったことは間違いないですが、周囲を見通す必要のない環境で、情報の真偽を吟味することもなかったのが大きな理由なのでしょうな」

「なるほど…」

 宇喜多直家については幸村も多少は知っている。謀略の鬼という秀家の表現は全く誇張ではなく、宇喜多家のために少しでも邪魔な者は容赦なく暗殺していったと聞いていた。

 目の前にいる秀家には、そうした鬼という様子はない。ただ、それは本人が言うように自由の身になったから、排除する必要がないことも大きそうである。

(もし、宇喜多殿がどこかの国をもつようなことがあれば、周辺の国は気も休まらないかもしれぬのう…)

 また、そんな宇喜多秀家を見てみたいとも思った。

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