第5話 全登と秀家
高知を出た宇喜多秀家は紀州から大坂へと入る。
大坂城に言伝をし、その後は早速町へと出る。かつては輿の中や馬上から見下ろしていた大坂の風景を、今は庶民と同じ高さから見る。
そのささいな違いが秀家には新鮮であった。
もっとも、その秀家の路銀はどこから出ているかというと、江戸の伊達政宗や、高知で豊臣秀頼から送られたものである。そういう点では市井の者と完全に同じとはなっていないのであるが。
夕方から夜にかけて、繁華街の酒場に入った。
(お~、これが民の酒の飲み方なのか…)
秀家にはそういうところも目新しく、他人の金ということもあって近くの人間に話がてら気軽に奢ったりもしていた。
(む…?)
楽しんでいる秀家の視線の向こうに、明らかに異質な動きをしている男が目に入った。
(こやつは、農民を装っているが、武士のようじゃな…)
相手の男と視線が合った。向こうは警戒する様子はあまりない。
(まあ、わしは10年農民をしているからのう。しかも、変装のためでなく、生活のために本当に農民になっていたのであるから、今更武士でもあるまい)
秀家は立ち上がり、男の隣に座った。
「お主、どこの者じゃ?」
「…どこの者とは?」
「わしは豊臣秀頼の忍びじゃ。お主はどこの者じゃ?」
小声でやりとりすると、男の顔が険しくなる。
「…豊臣の忍びだとして、何の用だ?」
「情報を交換せぬか?」
「情報を?」
「とぼけるな。お主も忍びなら知っておろう」
忍者は情報収集の専門家として知られているが、潜入先の抱えている忍者と語らい、互いの情報を交換し合うと言う悪習があった。父・直家が、「忍者などは雇うものではない。自分の下で育てるしかない」と言っていたと秀家は聞いたことがある。
「…わしは高田から来た」
「ほう。高田というと、噂では金沢の前田利常と結びついていると聞いているが本当なのか?」
「……」
「今、大坂にいる兵力の内訳などの情報でどうだ?」
「分かった。こちらも高田の内訳を出そう。質問については、まあ、想像にお任せするというところでどうだろうか?」
「仕方ないのう。わしは八郎と申す」
「わしは仁左衛門じゃ」
二人はその晩、遅くまで語り合い、情報を渡していく。
もちろん、秀家は教えられた情報を信用していなかったし、仁左衛門と名乗った相手が自分のことを信じていないことも承知している。それでも、話の節々に真実が含まれているはずであり、それを読みとるのも面白いのではないかと思った。
翌朝。
秀家は遅めに起きると、昼過ぎになって大坂城に向かった。
門の前には既に明石全登が立っている。
(しかし、わしが知っている人物とは全員が15年ぶりになるのだから仕方ないが、老けてしまったのう…)
そう思いつつも近づいていく。全登も気づいて駆け寄ってきた。
「殿! お久しゅうございます」
「うむ。久しいのう。お主が元気でわしも嬉しい」
「さ、さ、どうぞ城におあがりください」
大坂城の中へと入る。
(ここに来るのも16年ぶりになるのか…)
城の中は変わっていない。外の堀などは、大坂の陣で変貌を遂げていたが、中はそのままであった。
「おお、毛利殿」
向こうから歩いてきた男に全登が声をかける。
「殿、こちらは毛利豊前守でございます。毛利殿、こちらにいるのが我が殿、宇喜多前中将でございます」
「おお、宇喜多様」
毛利勝永がびっくりして深々と頭を下げる。
「いやいや、今のわしは流人の身を解放されたばかりじゃ。毛利殿に頭を下げられるような立場ではない」
「ご赦免、おめでとうございます」
「いや、ありがとう」
その後もしばらく話を交わして、その場を別れた。
「全登、面倒だからわしのことを一々紹介するな」
「は、失礼しました」
それでも、淀の方には会わないわけにもいかないので、大野治房を通して面会をする。
「秀家でございます。既に大納言様(秀頼のこと)にはお会いいたしましたが、淀様にもご挨拶をと思いまして、大坂まで参りました」
淀の方も、秀家の来訪には喜色を露わにする。
「おお! 秀家。本当に久しぶりじゃのう」
「はい。お陰様でこの度、赦免と相成りました」
「良かった、良かった。これから秀頼を支えてくれるよう、お願いしますぞ」
「はい…。しかし、高知で既にお会いしましたが、今や大納言様も立派な大将におなりでございます」
「左様か…」
淀の方がうつむいた。
「妾のやり方は、間違っていたかのう…」
秀家は子供の時からの家族のような存在であったこともあってか、淀の方の口が軽くなる。
「妾は秀頼に危険な目に遭わせたくなくて、戦場には出さずにいたのじゃが…」
「それは子の母としては正しいと思いますが、武士の母としては問題があったのかもしれません」
「秀頼は妾を恨んでおるかのう。高知に行ってから、あまり文も寄越さぬようになった」
「おそらく大納言様も初めてのことが多いので、仕事に忙殺されておるのでございましょう。また、そもそも大坂に二人でいたことで文を送るという考えもないのかもしれません。淀様からお送りになれば、返してくるでしょう」
「そうか…。妾の方から…」
考え込んでいる淀の方に対して、深々と頭を下げると言葉少なに秀家は退室した。
「ようやくそなたと話ができるな」
夕刻、昨日とは違う庶民向けの酒場で秀家と全登は酒を酌み交わす。
「殿、よろしいのですか、このようなところで?」
「わしは10年農民をやってきたからのう。武士のところは気が持たぬ」
「左様でございますか」
「それで、お主はどうするつもりなのだ?」
全登に酒を注ぐ。かつての主君から直にもらうことに緊張しているのか、全登は気が引けた様子で受けている。
「殿はどうなさるおつもりですか?」
「文にも書いたが、正直、今更大名として戻りたいというつもりはない。昨日は別のところで忍者の真似事をしたが、どちらかというと僧侶の真似事がいいかのう」
「…そうであるならば、私は前田様のところに向かうことになりましょうか」
「前田か…。それもいいかもしれんのう」
「殿も、前田様のところには?」
「もちろん向かう。一応、秀頼の了解は取ってあるから、一緒に向かうことも可能ではあるが。そうそう、前田のところと言うと…、む? 酒がないなら言わぬか」
「い、いや、殿から貰うのはどうにも恐れ多く…」
全登は終始腰が引け気味であった。
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