四国を目指し
第1話
越前を経った忠直一行は、翌日、京都についた。
「朝廷に挨拶に行くのですか?」
福島正則の質問を、忠直は笑って受け流す。
「越前守にしてほしいのはやまやまではあるが、それがしが変な事をして、後々江戸で問題になっても困るからな。清水寺や金閣寺を見て回るだけにする」
一日かけて、京を見て回った忠直はその晩は京都で宿をとり、翌日には大坂に向かった。
全員馬を使っていることもあり、昼過ぎには大坂につく。
「おお、大坂城じゃ。まだ三か月も経っておらぬが随分久しいものに見えるのう」
「して、越前様。豊臣には来訪を伝えているのですか?」
信綱の質問。
「いや」
忠直の答えに信綱の動きが止まる。
「まあまあ急ぐ旅とはいえ、一日、二日くらい大坂で足止めを食らっても罰は当たるまい」
「左様でございますか…」
忠直は大坂城に行き、門番に挨拶する。
「わしは松平三河守忠直と申す。こちらにおわす豊臣左近衛権少将殿とともに秀頼公にお会いしたくて参ったのだが、お会いできるだろうか?」
「は?」
門番は突然の来訪に目を見開く。が、忠直の持つ徳川家の紋章入りの扇子と、福島正則の家門入りの服装を見て血相を青くした。
「し、しばらくお待ちくださいませ!」
報告が伝わるや、大坂城の大広間はたちまち蜂をつついたような騒ぎになった。
「福島殿が来るというのは一体?」
「松平越前も来たというが…」
大野治長も、真田幸村も相手の意図が全く読めずに混乱する。しかし、現時点では同盟関係にあることと、福島正則の存在は大きい。
「もしかしたら、備前宰相(宇喜多秀家)の話ができるかもしれぬし」
ということもあり、秀頼も即時に会うことになった。
「豊臣秀頼である」
大広間で豊臣秀頼と松平忠直が向かい合う。その周囲には大野治長、真田幸村らがいて、一方、忠直の後ろには福島正則と松平信綱がいる。
「松平忠直でございます。秀頼公にはお変わりなくご健勝なこと、祝着至極でございます」
「うむ、久しいな、松平殿。今回はいかなる用向きで大坂に参られた?」
「はい。お聞き及びかもしれませんが、それがし、九州郡代の地位を受けまして、九州の混乱を鎮めに行くこととなりました。そのために左近衛権少将殿をお預かりしたので、せっかくなので秀頼公と会わせたらいいのではないかと思いました」
「ふむ…」
秀頼の視線が正則に向かった。正則はすぐに頭を下げる。微かに目に光るものがあった。
「秀頼様、この度は…お見事でございました」
「正則、その言い方はいかん。松平殿もおるのだし」
「あっ」
思わず真意から出た言葉ではあったのだろう。しかし、秀頼に対して「お見事」というのは家康・秀忠に勝ったことへの祝意である。徳川家の者に聞かせていい言葉ではない。
「いや、それがしに構うことはありませぬ」
「そういうわけにも…」
秀頼も困惑した顔をする。
「越前様、本当によろしいのですか?」
小声で松平信綱が尋ねてきた。
「もちろんじゃ。わしらはこれから九州に行くのじゃぞ。ちょっとした言い間違いを一々真に受けてはおられぬ」
「ただ、豊臣家は方広寺のことがありますから、些細な言い間違いにも敏感です」
「おお」
忠直が声を出す。
方広寺のことはもちろん忠直も知っていた。三年前、豊臣家が秀吉の追善供養のために方広寺の大仏や鐘銘を復興したところ、鐘銘に「国家安康」と家康の名前が分断されて入っていることから、徳川家が難癖をつけた事件である。これが大坂の陣のきっかけともなった。
(そんなも因縁をつけなければいけないほど、祖父も追い込まれていたということじゃ)
当時は、「難癖だのう」と思っていたが、徳川家の人材が枯渇した状況を目の当たりにした今、それが家康にとっても懸命の策だったのだということが分かる。
(正直、今はそうした状況でもないからのう…)
「秀頼公。それがしは揚げ足をとるために左近衛権少将殿を連れてきたわけではございませぬ」
「うむ、それは信じておるが…」
秀頼は半信半疑という様子である。
「そもそも、それがしは軽率なことばかりしておりますゆえ、他人のことまで言っておったらこの場で切腹せねばならなくなってしまいます。井伊直孝も申しております。越前の周囲は常に無礼講なのだと」
忠直の言葉に、信綱が噴き出した。秀頼は呆気にとられる。
「そ、そうなのか?」
「はい。ですので、それがしにはいかなる気遣いも無用でございます」
「変わった御仁じゃのう」
「ははは、さて」
忠直は姿勢を正して、おもむろに切り出した。
「時に秀頼公、四国に興味はありませぬか?」
「四国?」
幸村や大野兄弟の目も丸くなる。
「左様、実は四国には我が叔父にあたる松平上総介忠輝が向かう予定だったのでございますが、病にかかったということで行けぬとなってしまいました。そこで、代わりに誰かおらぬか考えていたのですが、考えてみれば秀頼公は我が妻の姉である千様を娶っておられますから、それがしにとっても兄弟に同じ。四国の徳川諸大名に号令をかけても決して問題はないと思った次第でございます」
(な、な…)
忠直の提案を聞いた真田幸村は呆れかえった。
(何という無茶苦茶なことを考える御仁なのだ…)
まず、そう思い、しかし、一瞬経ってから。
(いや、待てよ!)
突然に閃く。
(仮に秀頼様がこの提案を受けるとすれば、それは当然、豊臣家が徳川一門として働くことを意味する。豊臣家は徳川と同格と考えている以上、受け入れがたい話である。しかし…)
幸村は唾を飲み込む。
(しかし、これを断るのは思った以上に都合が悪い。現状、豊臣が領地を広げる見込みというのは決して大きくない。そんな中で、徳川と同盟期間中に四国に影響力を及ぼせる機会を逃すのはあまりにも惜しい。長宗我部殿らの士気が削がれてしまう可能性があるし、これを拒否するとなると後々四国に進みづらくなる)
幸村の視線は自然と後ろの二人に向いた。
(福島殿にはこういう策は出せまい…。横の小姓にしても、果たしてどうか。九州に向かったという立花殿だろうか)
「九州郡代殿の提案はかたじけないが、現状、大坂を空けるわけにはいきませぬ」
唖然としている秀頼の代わりに大野治長が答えた。
「あいや、しばらく」
幸村が進み出る。
「この場で即答してしまうのは難しい話でございます。いかがでございましょう、一晩思案してみるということは…」
「…? 真田殿がそう言うのであれば」
治長は納得したわけではなさそうであったが、幸村の顔を立てる必要性も感じたのであろう、意見を容れた。
「一晩考えさせていただくということでよろしいであろうか?」
「それがしは全く構いません」
忠直は即答した。
「それでは、九州郡代殿、寝所をご用意いたします」
会見はそこで終わった。
「どういうことなのだ? 真田殿」
会見が終わると、治長は当然幸村に真意をといただす。
「いえ、これは思ったよりも難しい話なのです。即答してはいけません」
「…というと?」
幸村はそこで、先程考えたことを説明する。聞いているうちに治長の顔も曇ってきた。
「そうか…。断ると、四国に野心なしと見なされてしまうのか」
「はい。それに秀頼様が四国を制するというのは、今後の豊臣家にとっても得難い経験でございます」
「だが、容れてしまうとどうしても豊臣が徳川の一翼となって働いているという印象を与えてしまう」
「はい…」
それは幸村にも否定できないところである。
「どちらがいいのかさっぱり分かりませぬ。あの男が思いついたのだとすると、ひょっとすると、家康・秀忠に匹敵する大器かもしれませぬ」
幸村の言葉に治長の緊張が増す。
「軽々しく答えてしまうのは、今後の豊臣のためにならないかと」
「うむ…。分かった…。秀頼公にも聞いてみよう」
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