第9話 金沢来訪②

 翌朝。

 宇喜多秀家は前夜の酒をものともすることなく、朝から散歩に回っていた。

「殿」

「おお、全登か」

 同じく散歩に出ようとしていたらしい明石全登と鉢合わせになる。

「昨日の話を聞きまして、色々思うことがありました」

「そうか?」

「それがし、どうしても徳川は切支丹の敵と思っていたのですが、確かに松平忠直の側についてはそういうこともないのだと思いまして」

「では、今から金沢を出て、福岡に向かうか?」

 秀家の言葉に、全登は苦笑する。

「さすがにそういうわけには…。殿は、最終的には松平忠直が勝つとお思いなのでしょうか?」

「分からん。そもそも、松平忠直が何をしたいのかははっきり分からぬからな。この点では江戸の徳川の方がはっきりしている」

 秀家は庭の池を見た。昔、この池を見ながら前田利家とまつが仲良く鯉に餌をやっていた様子を思い出す。

「松平忠直が天下を考えて、まっしぐらに突き進むのなら勝つのではないかと思う。越前の忠昌は何といっても弟だし、井伊直孝もつくだろう。秀頼も心情的には忠直に近いはずだし、前田にしても後々の立場を考えれば忠直の方がいい。ただ、忠直自身にそこまでの展望があるのかどうか。徳川家光の方が路線ははっきりしている。忠直が優柔不断なところを見せると、家光の方に流れるということにもなる」

「…確かに、関ケ原の時も、形勢は一気に変わりましたな」

「そうだな。もっとも、あの時の西軍は誰が何をしたいのかがはっきりしなかった。わしは漫然としていたし、毛利も覚悟がなかった。逆に治部には覚悟はあったが、それを皆に分かってもらうことができなかった。又左殿もそうだ。もっと言うと、筑前にも他のやり方で主導権を奪う可能性はあったのかもしれない」

 屋敷の方に戻ろうとすると、横山長知がやってきた。

「宇喜多様、本日の午後、豪様と芳春院様が来られますが、お時間は大丈夫でしょうか?」

「時間は無論大丈夫だが…」

 秀家が答える。どの道、今日は豪と会うつもりでいた。

 しかし、秀家にとって意外なのは芳春院である。もちろん、義母であるから、顔見世自体には抵抗はないが、あの女性がなつかしさだけで来るとも考えづらい。

(何かあるのか…。前田家のことに巻き込まれるのは勘弁してほしいのだが…)


 昼過ぎ。

 話の通り、豪が芳春院を伴って現れた。豪は足早く向かいたいという表情が満面にあるが、足取りの重い母親が一緒であるため、どうしてもその足取りは遅くなる。

「私も後から向かいますので、貴女は先に行っていなさい」

 屋敷の入り口で芳春院が言い、豪は「はい」と中に入っていった。そこからは小走りである。


「殿!」

 客間で待っていると、襖が開いた。

「おお、豪!」

 10年ぶりになるのであるが、その顔や様子はほとんど変わっていないように思えた。

「殿! お久しぶりにございます」

 駆け込むかのような勢いで、手前に座った。

「いや、全く…久しぶりになるのう。そなたのお陰もあって、どうにか生き延びることができた」

 答えながら、思わず目頭が熱くなる。

「すまぬのう。息子二人は江戸と八丈島に待たせてある。二人で会いに行く方がいいとも思って、な」

「はい。それで殿、今後はどうされるのですか? この金沢で暮らすのでしょうか?」

 単刀直入な質問が飛んできた。

「うむ。わし個人としてはどこか寺にでも入って暮らそうと思っている」

「寺に、ですか?」

「今更侍に復帰しようという気はない。どうしてもというのなら秀継を侍にして、わしは隠居したい」

「殿、寺は困ります。異なる信仰だと、死んだ後も別々のところになってしまうかもしれません」

 豪が渋い顔をした。

 それで秀家も思い出す。彼女が切支丹であり、自らもほぼそうであるということに。

「ああ、そうか。それならば、対馬にでも行くとするかのう」

「金沢にだって、切支丹の施設はあります」

「ううむ…」

 金沢に滞在することはない。秀家はそう思っていたが、妻との会話では押され気味になる。

「分かった。金沢にいることも考えてみるか」

「殿!」

 豪が首筋に飛びついてきた。

「…ゴホン」

 廊下の方から咳払いがした。振り向くと、芳春院が渋い顔で部屋の中を覗いている。

「あ、母上…」

 豪は秀家から離れたが、悪びれる様子などはない。

「何か話があったのですよね。私は少し、筑前様と話をしてきます」

 豪はそそくさと離れていき、廊下を歩いていく。すぐに「大膳!」と横山長知を呼びつけるような声が聞こえてきた。案内させるつもりなのだろう。


 部屋の中には芳春院と二人になる。

「…元気なようで結構なことです」

「ははは…。義母上様もお元気なようで、安心いたしました」

「どこが元気なものですか。毎日の生活も大変で、これがないと動くこともままなりません」

 芳春院が杖に視線を向ける。

「前田家の先行きも不安でありますし、私も早く殿のところに行きたいと毎日思う日々ですよ」

「いえ、まあ、それは…」

「それに利政のこともありますし…」

「そうですね」

 同意はしたが、中々難しいとも思った。

 自分が赦免されているわけであるから、本来なら徳川が前田利政を許さないということはないはずである。ただ、前田家の場合は大坂の陣で秀忠を死なせたという事情があるので、秀家とは違う形で取り扱われる可能性もある。

 もちろん、利常が無視して利政を立てることもできるが、徳川家を無視するということは芳春院にとっては受け入れがたい話である。

(前田利政も京で隠居しているのだし、私同様、それほど未練はないのではなかろうか?)

 という思いもあり、京に立ち寄らずにここに来たことを改めて後悔した。

「今の殿で、前田家が大丈夫なのでしょうか…?」

 芳春院は再度愚痴をこぼした。

「私が見る限りでございますが、大丈夫だと思います」

 秀家ははっきりと答える。

「確かに前田家の天下というのは難しくなっているとは思います。ただ、それは筑前殿の責任ではないでしょう。松平忠直という理解しがたい人物がいた不運でございます」

「松平忠直という人物?」

「はい。私も実際に会ったことはありませんが、彼の者は、自分の家をどうでもいいと思っているとんでもない人物のようでございます。反面、どうでもいいと思っているので正しいこともできるのです。筑前殿も多分に変わったところはありますが、それでも、前田家をどうでもいいなどということはいたしません」

「正しいことと、家のためになすことは違う、ということですね」

「左様でございます」

「前田は家名を残すことができるのでしょうか?」

「それは間違いありません。誰が勝とうと、前田を潰すことはできません。むしろ、そうしようとするものがいれば、それは好機になるかもしれません」

「…そうですか。宇喜多殿がそういうのなら、安心しました。正直、宇喜多殿を家老にして殿に意見を言えるようにした方がいいのではないかとも思いましたが…」

「そのような必要はありませんよ。私は関ケ原で西軍を潰したような者ですので、かえって前田家のためになりませぬ」

 秀家が苦笑すると、芳春院も「そうでしたね」と安心したような笑い声をあげた。

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