第6話 忠輝の決断

 伊達政宗と井伊直孝が動員をかける書状を各地に作らせていると、廊下の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。

「だ、伊達様か井伊様はいらっしゃいますか!?」

 声の主は稲葉正勝。家光の側近の一人で、母は家光の乳母お福であった。

「どうしたのだ?」

 直孝が広間から廊下に出て問いただす。

「高田より使いが届いておりまして、松平上総介様が登城したいとのことを申し出ております」

「何っ!?」

 奥に残っていた政宗も叫んだ。直孝も唖然とした顔で、部屋の中にいる政宗と顔を見合わせる。

「どうしたものでしょう?」

「…来ると言う以上は、拒むわけにもいかぬだろう…」

 政宗が振り絞るように声を漏らした。



 翌日。

 朝から伊達政宗と井伊直孝、酒井忠勝の三人が江戸城の大広間で松平忠輝の到着を待っていた。

「来ましたね」

 廊下の向こう、供を三人ほど連れて忠輝が現れる。

「うん? あいつ、顔の左を隠しておるぞ」

 政宗の言う通り、忠輝は顔の左側を覆いでかくしていた。

「病とやらで、何かがあったのでしょうか?」

 直孝の言葉に政宗は首を傾げて、自分の右目のあたりに手をあてる。

「まさか唐突に痘瘡にかかったわけでもあるまいて…」

 忠輝は広間に入ってくると、三人の前に平伏した。

「この度、勝手ながら城に籠っておりまして大変ご迷惑をおかけいたしました。伏してお詫びいたします」

「…それは構わぬのであるが、その顔はどうしたのだ?」

 政宗の問いかけに、忠輝は愛想笑いを浮かべる。

「はい。大変恥ずかしながら、訓練中に負傷をしてしまいまして…」

 忠輝が覆いを外し、三人が思わず声をあげる。忠輝の額のあたりから頬にかけて、大きな切り傷があり、左目も失われていたからである。

「訓練中?」

「はい。四国に行くということで気合が入っておったわけで、ついつい真剣を使いましたところ…」

「…それで病と言うておったわけか」

「はい。この顔を見まして、いかにも恥ずかしいという思いがありまして、最初情けなくも病と言い逃れをしてしまいました。しかし、考えてみれば戦場ではないとはいえ、武士にとって前向きな負傷。隠す方が情けないと思うようになり、今回、恥を忍んで登城しました次第にございます」

「左様であるか。大変だったのう」

 百戦錬磨の政宗ではあるが、それでも何を言えばいいか分からないといった様子である。

「そうは申せど、勝手に城に居続けておりましたのは事実。また、四国に行くという重要な役目を果たせなかったこともありますし、処分はいかようにでも御受けいたします」

「うむ。それについては後々。同盟延長なったとはいえ、前田が何をするか分からぬゆえ、お主は高田でしっかり防備を固めておくがよい」

「ははっ」

「わざわざご苦労であった。下がってよいぞ」

 政宗の言葉に、忠輝は再度平伏して広間を退出した。

 三人が廊下を歩く忠輝の後ろ姿を見て、それが視界の外に消えた瞬間、誰ともなく大きな溜息をつく。

「いやはや、取りこし苦労だったようにございますね」

「うむ…」

 安堵の様子の直孝に対して、政宗はまだ腑に落ちないところがあるような顔をしている。

「そうであればよいのであるが…」



 話は一か月半ほど前、五郎八が直江兼続と面会した数日後に遡る。

「五郎八よ」

 その日、忠輝が久しぶりに奥にいる五郎八を尋ねた。

「殿。どうかなさいましたか?」

「五郎八、今まで苦労をかけてすまなんだ」

「いえ、苦労というほどのものでは…」

 答えつつ、五郎八は期待半分、疑問半分という表情をしている。

「あの…期限の三か月まで、まだ二月近くございますが」

「それはよい。これからは偽る必要はない」

「それはようございました」

 五郎八は安堵の息を漏らした。

「正直を申せば、いつ発覚するかもと気が気でございませんでした」

「わしは、この一か月ほど、ずっと迷っていた。忠直に後れをとったという無念もありながら、しかし、それでは先んじた先にわしは何をしたかったのか。それがまるで分からなかった。だから、城の奥でずっと考え続けていた」

「……」

「わしは天下に覇を唱えたいのか? それとも、後の世に名を遺す偉業でも成し遂げたいのか? 考えてみたが、そうではないという結論に至った。では、何があるのか? わしは正直、それほど高田という場所にこだわりはないし、家臣とも喧嘩ばかりしておる。つまるところ、わしにあるのは五郎八、そなたくらいしかいないということに気づいた」

「殿…」

「更にその後ろに神がいるということにも気づいた。それゆえ、わしは残りの人生を神にささげることにした」

「神に?」

「うむ。前田利常の構想に乗ることにした」

「前田様の構想とはどういうものなのでしょう?」

「つまり、だ。切支丹にも二種類の考え方がある。一つは従来からのもの、信仰と共に武力その他も持ち込むというイエズス会のやり方だ。もう一つはイエズス会と対立するオランダだ。こちらは交易重視で信仰を強制しないやり方だ。お前の父はイエズス会だが、前田はオランダとの連携を考えておる」

「イエズス会はどうなるのでしょう? 前田様が声をかけただけで引き下がるものなのでしょうか?」

「そこが前田の巧いところではあるのだが、今、九州で派手に切支丹が暴れておる。こいつらの支援をさせようというのが前田の考えだ。そのうえで、忠直に一揆を鎮圧させる」

「イエズス会が一揆を支援していたということで、関係を断ち切るというわけですね」

 忠輝が頷いた。

「全て断ち切るというのは難しいかもしれぬが、少なくともオランダを優遇し、イエズス会を冷遇する理由にはなる」

「…分かりました。殿がそう決められたのであれば、私としては何も申すことはありません」

「うむ。そのうえで、世話ばかりかけて済まぬがもう一つ頼みたいことがある」

「何でございましょう?」

「この剣で、わしの片目を取ってくれ」

 五郎八が悲鳴をあげた。

「し、正気でございますか?」

「当然だ。言葉だけでは何とでもいえよう。まず片目くらいはあらかじめ差し出しておかねばならぬし、病気と偽ってきたことの裏付けとしてもちょうどいい」

「わ、私はこのようなものを扱った経験はありませんので」

 当然のように断ろうとする五郎八を、忠輝が止める。

「わしが自分でやると手元が狂うかもしれぬし、下手をすると死ぬかもしれぬことを家臣どもに任せたいとも思わぬ。頼めるのはそなただけなのじゃ、五郎八」

「殿…」

 五郎八は大きく溜息をつき、短剣を手にした。



 江戸城を出た忠輝は、その足ですぐに高田へと帰った。

「ひとまず、無事に終わった」

「それはようございました」

「しかし、帰ってくる途中に思ったのじゃが」

「…?」

「元々醜い、醜いと言われていたせいか、この傷があることでかえって風貌が良くなったような気がする」

 忠輝は鏡を取り出し、傷のあたりを眺める。本当にそう思っているようで、傷跡を指でなぞり満足そうに頷いている。

「さ、左様でございますか?」

「そなたはそう思わぬか?」

「さあ…」

「随分冷たい言い草じゃのう」

 忠輝は拗ねたように、顔をそむけた。こうなると五郎八も呆れて苦笑いするしかない。

「江戸の方々も、殿を信用してくれたのでしょうか?」

「何とも言えぬのう。義父は半信半疑という様子に見えた。ただ、別に義父に信用してもらうためにやったわけではない。世間に、松平忠輝は粗忽者よと思ってもらえればいいのだから」

 忠輝はそう言って笑う。

 色々なものについて吹っ切れたような笑いであった。

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