第7話 包囲戦開始
7月3日。
島津軍8000と切支丹一揆軍15000が熊本城へと到達した。
立て籠もる加藤軍はおよそ7000。54万石を誇る肥後の大身としては寂しい数字ではあったが、南肥後との連絡が断たれていること、財政難などを考えるとこれが限界といえる兵力であった。
とはいえ、加藤清正が築き上げた熊本城は堅牢極まりない。
「これは苦労しそうだ…」
城を一望し、樺山久高は絶句した。
「樺山殿」
そこに益田好次が進み出る。
「我々一揆軍は戦力としては限界があります故、一部を別動隊として使ってもよろしいか?」
「…そもそも、貴殿らについて我々には指揮権はないからのう。我々の方からやめろと言うことはできぬ。ただ、どのようなことをなすつもりなのだ?」
「北の柳河に向かい、切支丹どもを決起させるよう促してまいります」
「なるほど。そうなれば、北からの支援は更に難しくなるか…」
加藤軍はとにかく時間を費やし、北からの援軍を待つ以外ない。その場合にもっとも近い柳河を一揆側に引き込むことができれば加藤軍の希望が断たれる。
「分かった。益田殿、期待しておるぞ」
「承知」
益田好次は千束善右衛門に大半の戦力を任せると、自身は2000程度の一揆勢を率いて北上していった。
「さて、わしらは大砲が来たら、打ち込むところからやるとするか…」
正面から当たるとさすがに分が悪い。大砲で出来る限り有利な状況に持ち込みたいと久高は思った。
一方、熊本城の天守には加藤忠廣、清浄院、加藤正方、加藤美作守がいた。
下から一望されるように、彼らもまた、城を包囲する島津軍と一揆軍を見て溜息をつく。
「一揆軍も島津軍も更に数が増えていくであろうのう」
「今更泣き言を申しても仕方なかろう」
加藤正方に美作守が文句を言う。
「ここまで来たら、城を枕に討死する覚悟のみよ」
「それは分かっておるのだが…、わしらの覚悟を兵士達が持っているかどうか」
「……」
それは美作守にとっても懸念すべき点である。
宇土の防衛の際にも、兵士の戦意の低さが最終的には災いした。内通者がいるのでないかという疑問も解消されていない。
実際には、城内に内通者はおらず、付近の農民達が城の出入りを見て状況を伝えていたのであるが、そうしたことは加藤家の者には理解できていなかった。
(城の戦意が尽きるが先か、援軍が来るのが先か。期待はしがたいのう)
美作守は溜息をついた。
そんな中、一人だけ戦意旺盛なのが飯田角兵衛であった。
「よいか。敵も味方も、加藤軍は籠城で守戦一方だと考えておる。だが、この状況で守戦一方ではじり貧になるだけじゃ。どこかの局面で、討って出なければならぬ」
聞いているのは加藤丹後守。美作守の息子である。
「幸い、わしはこの城の築城にも深く携わっておるゆえ、どこからどう討って出ればいいかは手に取るように分かる。包囲軍に目にものを見せ、戦意を削いでいくのじゃ」
「それは理解しましたが、どこから手をつければいいのでしょう?」
家格という点では、丹後守の方が若干上であるが、角兵衛は年長者でもあり、戦争の経験も遥かに上である。丹後守は丁重な態度で接していた。
「これだけの城を力攻めするほど島津も愚かではなかろう。となると、当然、大砲を持ってくるはずだ。まずは大砲を破壊するところから、じゃな」
「なるほど…。しかし、大砲の場所はそう簡単に分かりますか?」
「分からぬ。こればかりは実際に撃ってもらうしかない」
「撃ってもらうしかないわけですな…」
丹後守がひきつった笑みを浮かべた。大砲の威力を実際に経験したことはないが、命中すれば命がないことだけは分かっている。
「怯んでいても仕方ござらぬ。命を捨ててかかるのみでござるよ」
さすがに歴戦の強者だけあり、飯田角兵衛は覚悟しきっていた。
翌日、坊津から八代を経て運ばれてきた大砲三門が島津の陣地に届いた。
「よし、三手に分けて、なるべく門のあたりを狙え」
「狙えと言いましても」
「分かっておる。とにかく、そのあたりを狙うつもりで撃ってくれ」
樺山久高の指示を受け、城の南、西、東に大砲が一門ずつ置かれる。
「撃てい!」
昼過ぎから、島津軍の砲撃が熊本城へと飛んでいく。だが、精度にどうしても限界があり、門の近くには当たっても門そのものを破壊するには至らない。
そうした様子を高台から飯田角兵衛は眺めていた。
「あのあたりと、あちらと、南か」
角兵衛は目星をつけて、地図を開く。
「ざっと見た感じ、しっかりと警護しているようですが、どうにかなるのでしょうか?」
大砲を何発も撃たれているせいか、丹後守の言葉はどこか震えている。
「難しいな。ただ、大砲を破壊できずとも、破壊されるかもしれないと思わせれば多少の効果はある」
「…?」
「より安全な場所に置こうとするじゃろう。つまり、それだけ城から遠くなる。遠くなるということはより当たりにくくなるということじゃ」
「なるほど」
「まずは西からどうにかするか。丹後殿は戻ることを優先して深追いする必要はない。難しいことはわしがやるゆえ。門の中に島津兵を入れないことと、わしらが戻ってきた際に迎え入れることに集中していただきたい」
「承知いたしました」
「よし、では未明になれば仕掛けるぞ。宇土では一方的に仕掛けられるばかりであったから、たまにはわしらから出て行かなければのう」
飯田角兵衛は不敵に笑った。
未明時。
南の大手門から飯田角兵衛の率いる五十人ほどの兵士が城を出た。
大砲のある場所へ、音も立てずに進んでいく。
雲が月や星を覆っており、視界は全くと言っていいほど確保できない。しかし、熊本城のことにかけては誰よりも詳しい角兵衛と、その精鋭達である。全く移動に無駄はない。
ある程度の距離になったところで、角兵衛が合図を出す。真っ暗闇を移動しつづけてきている兵にはそうした仕草も微かながら見て取れた。
五十人の兵士が一斉に大砲めがけて鉄砲を放つ。
「な、何だ!?」
島津勢には当然、見張りもいたが、あくまでかがり火などがある場所を見張っており、暗闇の中の様子は全く分からない。逆に飯田勢としてみれば、明かりがあるところを撃てばいいのであるから、楽なものである。
「敵襲だ! 大砲を狙っての敵襲だ!」
島津勢が反応したところで、角兵衛は「戻るぞ」と指示を出した。たちまち飯田勢は脱兎のごとく駆け戻っていく。一人の犠牲も出すことなく、城の中へ戻ることに成功した。
翌朝。
「西の大砲が破壊されただと?」
樺山久高は報告を受けて愕然となった。
「はい。正確に申すなら破壊されたわけではないのですが、銃弾が何発か当たっておりまして、傷がついておりまする」
「…むむう」
傷がある大砲を撃ちたいというものはいない。どこに飛ぶか分からないし、大砲自体がその場で暴発するかもしれない。
「ぬうう。さすがに猛将加藤清正の家だけのことはある。優れた将がまだ健在ということか」
「いかがいたしましょうか?」
「大砲をもう少し城から遠いところに置け」
「それだと命中精度が…」
「分かっておるが、ここは敵の本拠地じゃ。向こうは夜であっても自在に動ける。わしらはそうはいかない以上、大砲を城の近くに置くは危険じゃ」
「承知いたしました」
樺山久高は溜息をついて城を見上げた。
「これは相当な長期戦になりそうじゃのう…」
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