第8話 柳河動く
熊本を出た益田好次率いる少数の一揆軍は南に向かい、川尻の湊から柳河へと向かった。その日のうちには柳河に到着する。
好次は、すぐに切支丹の指導者達と面会を求めて一揆への協力を要請した。
反応は薄い。
「天草や島原の状況を聞いているので同情はしておりますが、ここ柳河では切支丹も普通に扱われております。敢えて一揆などをせずともいいのではないかというのが多数の意見です」
と回答するのは、長崎純景。かつては肥前長崎の領主となっていたが、イエズス会に所領のほとんどを寄進した九州でも指折りの信仰心の厚い人物として知られている。
「…
「
純景の視線が険しくなる。
「とんでもございません。どうして同じ切支丹同士でそのようなことをしなければならないのでしょうか。ただ、どうしてもそのような問題は出てきますし、それ以外にも…」
そこから半刻ほど、好次は純景に説明をする。聞き終わった純景は溜息をついた。
「分かりました。私の一存で全てを決めるわけにはいきませんので、殿様にも説明していただきましょう」
そう言って、好次を残して城へと向かって行った。
翌日の朝。
好次は、純景に案内されてある商家へと入った。
「さすがに切支丹一揆の指揮官を、城に案内するわけにはいかぬのでな…」
純景はそう言い、しばらく待つように言い残して部屋を出て行った。
「大丈夫なのでしょうか?」
共に待たされる渡辺伝兵衛が不安そうに尋ねる。
「何、仮に陰謀があったとすれば、それは柳河にとってかえって不幸なこと。我々はただ神の意思に従うまで」
「そ、それはそうですが…」
伝兵衛は尚も不安そうであるが、それは杞憂であった。程なく、田中忠政が現れ、二人の前に座る。
「柳河城主の田中忠政じゃ」
「小西行長の元家臣で益田好次と申します。この度、田中様に提言したいことがございます」
「うむ。ある程度のことは長崎から聞いておる」
「左様でございますか。それでは手短に説明させていただきます。当方としましても、田中様の立場、柳河の切支丹の立場を全く理解していないわけではございません。しかし、今後、九州全般に広がっていく中で、柳河のみ動かないとあれば柳河の切支丹をよく思わない者が増えてくることも間違いありません」
「切支丹同士で同士討ちをすると申すか? わしは、切支丹というものは同じ信仰を有する限り平等に扱われるものと思っていたが、そなたは違うと申すのか?」
「田中様、それは切支丹の国の中においてでございます」
「切支丹の国?」
「はい。切支丹というのは過去、多くの迫害を受けてまいりました。日ノ本の話ではございませぬ。現在、法皇がいる国においての話でございます」
「うむ、それは宣教師から聞いた」
「そうした弾圧に対して、切支丹は常に戦ってまいりました。そして、遂に切支丹を保護する王を探し当てることに成功いたしました。切支丹は信仰のために戦わなければならない。私はそう考えております」
「…お主の言うことは分からんではない。しかし、ここ柳河ではわしが切支丹を保護しておる。お主の言う、切支丹の国に、ここ柳河は含まれぬと申すのか?」
「無論、含まれます」
二人の言葉が熱を帯びてくる。
「いえ、むしろ、田中様こそが切支丹を保護する王であると、私は考えております。であるがゆえに、私達は田中様を九州の切支丹の王となっていただきたいと考えております」
「何っ!?」
田中忠政が思わず大声をあげた。
「ま、待て。それは困る。そんなことをするとわしの徳川家での立場が…あっ」
大きく開いた口を手で押さえる。好次がニコリと笑った。
「どうやら、お分かりいただけましたようですな?」
「……」
忠政は無言のままうつむいた。
「そこなのでございます。我々は田中様を九州の王としていただくことを考えております。しかし、その場合、田中様は徳川家を持ち出します。それでは、柳河の王は誰になりましょうか、田中様ですか、徳川ですか?」
「徳川であれば…従う必要はない。戦えということか…。そして、わしが柳河の王となるならば、お主達は九州の切支丹の主としても迎え入れる、やはり柳河の切支丹は九州を解放するために戦えということか」
どちらに転んでも、柳河の切支丹が動かないわけにはいかないという理屈になる。田中忠政もそのことを理解したようで、首を左右にふりうなだれる。
「お主の言うことは分かった。ただ、分かったからと言って、すぐに結論を出せるような話ではない」
「もちろん承知しております。田中様に今すぐ王を宣言してほしいとは申しません」
「…分かった。領内の切支丹のうち、そなたに従うと言う者については連れていっても構わぬ」
「ありがとうございます」
好次は深々と頭を下げた。
「そのうえでもう一点、お願いがあるのですが」
「何だ?」
「領内の武器庫を襲撃させていただきたく存じます」
「武器が欲しいということか?」
「いいえ。もちろん武器も欲しいは欲しいのですが、一番欲しいのは旗でございます」
忠政は大きな溜息をついた。
「一部の切支丹が歯向かって、武器庫を襲撃した。我々が防御をして旗以外は守った。その旗を熊本で大々的に使い、熊本の者どもに柳河は切支丹についたと思わせたいということか」
「さすがは田中様。その通りでございます」
「嫌だと申したら?」
「もちろん、ここは田中様の領地でございます。私を磔にするなり、打ち首にするなりは田中様のご自由。ただし、それに伴う代償はどうしても出てくるものとはお思いいただければと」
「…分かった。今晩、武器庫の警備を薄くしておく」
「有難き幸せに存じます。田中様、先程申しましたことは私の願いでもございます。私は所詮下級武家に過ぎず、切支丹のために戦うことはできても、彼らを守るための大きな策は打てません。田中様が切支丹のことを思い、お立ちいただけることを切望しております」
「約束はできぬ。だが…、考えてはおく」
「はっ、有難き幸せに存じます」
「連絡があれば、長崎に伝えてほしい」
田中忠政はそういうと、立ち上がり、そそくさと出て行った。外で待っていた長崎純景と二、三、話をしている様子が聞こえてくるが、内容までははっきりと分からない。
しばらくして、純景が戻ってきた。
「ペイトロ、うまく説き伏せたようですね」
「はい。これも神のご意思ではないかと」
「殿様の許可が得られましたので、2000ほどの賛同者については同行することを認めましょう。それ以上につきましては、我々にも立場があるということをご理解ください」
「承知しております。それで十分でございます」
好次は純景に対して、また深々と頭を下げたのであった。
その夜、田中家の武器庫が襲撃を受けた。賊は少ない見張りを縛り付けると、旗指物のみを選んで盗み出していった。
その二刻ほど後には、田中家の旗指物を携えた一揆軍4000が柳河を南に向かっていた。
「船は使わないのですか?」
渡辺伝兵衛が尋ねる。
「当然じゃ。付近の農民がこれを見たらどう思う?」
「ああ、なるほど。柳河からの援軍が熊本に向けて出たと思うでしょうな」
「そういうことじゃ」
援軍が出たという報告は熊本にも届くであろう。そのうえで、その援軍が相手方のものであると知ったら。
城方の落胆はより大きなものになる。好次の目論見を伝兵衛も理解した。
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