第3話 国替え
江戸の井伊家上屋敷。
宇喜多秀家の件が解決して以降、井伊直孝は少し時間に余裕ができ、屋敷にある書状を整理していた。緊急性が低いと判断したものを屋敷に保管していたのであるが。
「参ったのう。去年のものも残っておったわ」
うっかり放置していたものも数通あった。謝らなければならないのうと思いつつ、一通一通開いていく。
「…これはどうでもいいものだな。これもどちらかというと文句をつけてきただけか。何、伊豆守以外を拝受したい? もう伊豆守で奏上しておるからどうでもいいだろう」
次から次へと投げ捨てていき、最後の一通となる。
「む、加藤嘉明からのものか…。あっ!」
そこで井伊直孝は思い出す。
(しまった。加藤明成については沙汰を待てと申しつけて、一年近く沙汰を出しておらなんだ)
加藤嘉明の息子明成は、毛利に通じており、昨年四国で松平忠直を暗殺しようとした嫌疑で、他ならぬ加藤嘉明によって幽閉されていた。
直孝と政宗はさしあたり幽閉だけ命じており、その後吟味する予定であったが、多忙もあって完全に忘れていたのである。
そのことに対する嘉明の書状であった。
(ふむう、許してほしいということか…)
全く沙汰がないということで、嘉明も少しは望みを持ったのかもしれない。『今後武士にはさせずに出家させるので、一命だけは助けてほしい』という希望を述べたものであった。
翌日、直孝は伊達政宗に加藤家の件について諮った。
伊達政宗も「すっかり忘れていた」とバツが悪そうに頭をかいた。
「我々が完全に放置していたこともありますし、今更明成も四国で何かするということはないでしょう」
豊臣秀頼の下で四国はまとまっており、明成が余計な野心をもっていた前年とは状況が全く変わっている。吟味を完全に忘れて、嘉明に余計な期待を持たせてしまったという負い目もあり、直孝は許してもいいのではないかと考えていた。
「うむ…。ただ、松山に置いておくと何をするか分からぬ」
「確かに、毛利に情報を漏らす可能性もありますね」
「放置しておいたのはわしらの負い目ゆえ、今更切腹などというと加藤嘉明が不満をもちかねぬ。となると」
「国替えですか」
直孝の言葉に、政宗は頷く。
「会津が混乱しているからのう。加藤嘉明を会津に任せて、蒲生忠郷を庄内に派遣するということでどうだろうか?」
「そうですね…」
庄内地域は酒井家次と酒井忠勝の他、上杉景勝に任せているところもある。ただ、上杉家が強大化しすぎるのも徳川家にとっては都合が悪い。
歴戦の雄である加藤嘉明を会津に入れること、更に統治に不安のある蒲生家を少し小さくすることで東北は安定する。加藤明成が毛利と組みたくても奥州から連絡を取ることはできないだろう。
更に空いた伊予・松山を豊臣秀頼に与えれば、徳川が豊臣を組み込んだということを改めて周知できるし、秀頼にとっても四国を動かしやすくなるであろう。
井伊直孝と伊達政宗はその路線で決め、その日のうちに家光に形ばかりの裁可を仰いで、松山へと書状を送った。
伊予・松山。
宇喜多秀家と会った後、豊臣秀頼は松山に戻り、対毛利の戦準備を始めていた。
真田幸村からの書状は秀頼の下にも届いており、それを元に大野治長、蜂須賀至鎮らの協力を得て工作活動を始める。
「そういうことをするのなら、義兄上も協力してくれても良さそうなものであるのに」
秀頼は、さっさと東に行ってしまった秀家に愚痴をこぼすが、それをしても仕方のない話である。
そうしているところに九州の忠直からの要請が届いた。
「…何、倭寇が港に来るのを認めろということか…」
「切支丹を認めたり、倭寇とも協力したりと越前殿も大胆なことをされますなあ」
大野治長が半ば呆れたように、半ば感心したように言う。
「だが、早めに解決するためにはそうするしかないというのも事実だろう」
秀頼にも諸国の事情は分かる。
「幸いにして、ここ四国は戦がない分多少の費えがあるが、大坂の方は金庫が空になってしまったというからのう。堺もまだ復興途上であるし、倭寇の活動拠点となることで良くなるかもしれない」
「それもそうですな」
そこに伝令が入ってくる。
「申し上げます。江戸の井伊直孝より書状が…」
「江戸から?」
秀頼は伝令から書状を受け取って中を確認した。
「…なるほど。加藤嘉明を会津に行かせるということか」
「…毛利との戦いには加藤殿の力も欲しいですが、確かに明成めがいると安心できないというのはありますな」
「それに当面の措置ではありますが、秀頼様に伊予松山を与えるというのは、今後の四国統治を考えると良きことかと」
「一方で、わしが徳川の下に入ることも明らかになるし、な」
「うっ…」
思わずうなった大野治長に、秀頼は笑う。
「現状どうすることもできないことは分かっておる。わしもそろそろ踏ん切りをつける時だろう。とりあえずは嘉明の件だ。呼んで参れ」
「ははっ」
すぐに伝令が出て行った。
程なく、加藤嘉明が登城してきた。
秀頼は江戸からの書状を嘉明に渡す。読んでいるうちに嘉明の目に涙が浮かぶのが見えた。
「何はともあれ、明成の死罪はなくなったということじゃ。良かったのう」
「ありがとうございます」
「ただ、毛利に対して情報を漏らされてもまずいゆえ、お主共々会津に向かってほしいということじゃ」
「承知いたしました」
「大変だろうが、相当な加増となる。良かったのう」
「はい。ひとまず江戸に向かい、後ほど家臣達も呼びよせることといたします」
「分かった」
嘉明は早速城にいる家臣達に伝えて回る。
翌日には早速、加藤嘉明と明成を含めた一族の者と佃十成が江戸へと向かっていった。
三日もすると加藤家の家臣がいなくなり、松山城が静かになる。
「随分と静かになったものだ…」
秀頼が城内を歩きながら苦笑する。
「確かに。誰かしらを呼んだ方がいいかもしれませんな」
「そうだな。一度、大坂に戻って毛利勝永あたりを加増して人員調整をしなければならないのう」
と言ったところではたと気づく。
「いや、待てよ…」
秀頼は大野治長に耳打ちする。突然のことに治長は「どうしたのですか?」と驚いたが、聞いているうちに頷く。
「なるほど。うまくいくかどうかは別にして、面白いかもしれませんな」
「うむ。駄目で元々ということで試してみよう」
翌日、秀頼の書状を預かった者が松山を出て、東へと向かっていった。
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