第4話 会津の状況

 米沢の上杉景勝は、今年春に改易された最上家の領土のうち、山形城等東半分を得て、一躍大大名となっていた。

 収穫はまだであるが、既に山形の城下町などの商業銭は入ってきており、財政は確実に改善されていた。

 直江兼続の表情もこれまで以上に晴れやかになり、日々が明るくなっていた。


 そんな上杉・直江主従の下に、江戸からの噂が伝わってくる。

「蒲生家が庄内地方に移動することになるらしい」

 ある日の夕方、その日の政務が終わったところで景勝が口を開いた。

「蒲生家が、ですか?」

「うむ。会津には加藤嘉明が移ってくるらしい」

「松山から?」

「そういうことらしい。蒲生家にいる振殿はかねてからの話通りに浅野家に嫁ぐということだ」

「なるほど…」

 兼続は合点がいった。

「振様が浅野家に行く以上、蒲生家を特別扱いする必要性は低くなる。蒲生家ではお家騒動すれすれの騒動も起きているので、できれば会津には置きたくない。ただ、会津は大身なので滅多な大名にも任せられないということで加藤家ということですな」

「近くに急に伸長した外様もおるでのう」

 景勝の言葉に兼続は苦笑した。

「確かに、50万石を超えた上杉に対する警戒心もありましょうな」

「ただ、問題は蒲生家の連中が素直に従うのかということはあるのう」

「…そうですな」

「山形の時がそうであったように、蒲生家にも前田の者が入り込んでいる可能性は高い。山野辺義忠のような者がおらんとも限らんし、今回は国替えだから山形の時よりも配下の者が憤る可能性が高い」

「暴発する可能性もあるということですか」

「うむ。せっかく山形を得たのだが、新たに軍費が必要になるかもしれぬのう」

「…全くですな」

 二人は溜息をついた。


 上杉主従の認識しているところは、当然江戸も認識していた。

 それでも、徳川家光としてはこの国替えを実施したいという思いがあった。というのも、今であればまだ会津が反抗的な態度をとったとしても物資が少ないと踏んだからである。これが秋を過ぎて収穫を得てからになると、反抗して城に立て籠もられでもしたら長期戦になる可能性が高い。そうなると、前田家が余計な手出しをしてくる可能性もあった。

(今なら、伊達・上杉の力で抑えこむことができる)

 そういう意図があったからである。

 もちろん、反抗がなく速やかに国替えが終わることを期待していたのであるが。


 その会津。

 五年前に起きた地震で鶴ヶ城の天守閣は倒れ、その改築も修繕も進んでいない状況であり、そうしたことも相まって一年前に直江兼続が「暗い雰囲気」と感じたような状況にあった。ここに長く続く重臣の争いが入っていたのである。

 蒲生家のお家騒動の発端は、もちろん、氏郷の早世である。

 そこから蒲生郷安、岡重政が、蒲生家を主導していったが、前者は蒲生家の他の家臣と、後者は秀行の死後振と対立して失脚した。

その後、町野家と蒲生郷喜・郷舎兄弟が対立し、現在は町野幸和が強い権力を有している。しかし、蒲生郷喜・郷舎の一派も反撃の機会をうかがっている状況であった。

 こうした状況に前田家も手を伸ばしていた。かつて、氏郷死後の蒲生家の騒動を仲介していたのは前田利家という関係もあり、蒲生家内に前田家との誼を通じる者も多かったのである。


 そういう状況下においての国替えの噂である。

 当然、蒲生家中に様々な思惑が交わることとなった。

 鶴ヶ城下の町野幸和の屋敷で、幸和が面白くなさそうに茶を立てている。

「振様が紀伊に行かれることには賛成だが、庄内に移されるのは勘弁ならん」

「…左様でございますな」

 と答えるのは奥村栄頼。助右ヱ門の名前で知られる奥村永福の三男である。

 この栄頼。表向きには大坂冬の陣で、前田利常と対立して出奔したということになっていた。しかし、実際には利常の指示を受けて各地を放浪し、その情報を加賀に送っていたのである。

 会津にも、前田旧臣という立場でやってきていたが、その後は利常と蒲生家の間のつなぎ役としての役割も果たしていた。

「わしらが抵抗すれば、前田様も起ってくれるかのう」

「現状では無理でございます」

 栄頼の言葉に、幸和が目を丸くする。

「何故じゃ?」

「町野様だけが起っても、会津の全ては立ち上がりませぬ。それでは徳川家から派遣される者に勝つことは到底不可能」

「…うむう」

 幸和が唸った。

「どうせよと言うのだ?」

「やはり蒲生郷喜・郷舎の力も必要かと」

「摂津守(奥村栄頼のこと)の言いたいことは分かる。しかし、今になってあいつらが我々に協力するというのは不可能じゃ」

「不可能ではありませぬ」

 栄頼がはっきりと言った。幸和も茶を立てる手を止める。

「どうすれば良い?」

「そもそも、何故に対立していたのですか?」

「それはどちらが城のことを取り決めするかということじゃ」

「左様でございますな。しかし、このまま行きますと、どちらも城のことをとりなせなくなるのですぞ。徳川家か伊達家、あるいは上杉家から何者かが派遣されてきて、喧嘩両成敗ということでどちらも始末されるかもしれませぬ」

「…うむ」

 幸和は爪を噛む。落ち着いている素振りをしているが、内心では動揺しているらしいことが容易に見て取れた。

「肥後の加藤家をご覧ください。対立していた両家老が島津家久によって切腹を命じられたではありませぬか。失礼ながら、町野様と蒲生様を取り巻いているのはそういう状況ですぞ。それでも尚、対立を続けるのですか?」

「…とはいえ、わしの方から折れるのは辛い」

 十年近く争ってきた相手に対して自分の方から頭を下げることはできない。それは幸和の精一杯の抵抗であった。

 栄頼も頷いた。

「そこはこの摂津も承知しております。蒲生様に対しては、我が前田家の別の者が話をし、我々が取り次ぐということでいかがでしょうか?」

 幸和が輝くような笑顔を浮かべた。

「真か? 是非そうしてくれ!」

「お任せください」


 実際、蒲生郷喜・郷舎の両名にも、前田家の者が話をもちかけていた。

 今後に対する不安が強いのはこの両名も同じである。

「このままだと責任を取らされて切腹もありうるし、当然お家も断絶である」

 と言われれば、十年間の争いを水に流すことは決して難しいことではない。

 両者は水面下で和解をし、前田家の支援があれば国替えに反対して立ち上がる準備まで順調に進んでいた。


 そうした情報が加賀の前田利常にももたらされる。

「ふむ…、時間はかかったがうまくやったのだのう」

 利常は栄頼に功を労う手紙を書いた。

 しかし、立ち上がるかという問いかけには。

「…少し考えさせてくれ」

 とすぐには承諾を出さない。

 その心中には宇喜多秀家との会話がある。

(既に勝敗はついてしまっている…、会津で蜂起させたとしても無駄なあがきにしかならぬ、そうであろうか…)

 決心は簡単につきそうになかった。

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