第7話 中庭の池

 翌日の午後。

 松平忠直は福岡城の中庭にいた。

 池の周りで石伝いに跳んでいたり、中の魚を眺めたりしている。

 屋敷の方では、松平忠直や黒田長政が内藤如安の提示した書類や条件を検討しているはずである。そうした細かいことの検討には向いていないので、完全に任せてしまい、堀の中にいる魚に餌などを与えているのであった。

「越前様」

 声をかけられ、振り返ると黒田忠之がいた。現在15歳。

「おお、忠之か。どうした?」

「越前様、屋敷の中ではどのような話が行われているのですか?」

 どうやら、長政から「明日は大事な話がある」というような話を聞いていたらしい。

「うむ。そなたは父上から何と言われた?」

「『明日は日ノ本の将来が決まるかもしれない話をしなければならない』と険しい顔をしておられました」

「そなたは自分も出たいと申したか?」

「いえ、申しても、『忠之にはまだ分からぬことじゃ』と断られたでありましょうから」

「うむ。わしも信綱に『越前には分からぬことじゃ』と断られるだろうから、何も話しておらん。よって、中で何がなされているか、わしには分からん」

「ええっ!? ですが、越前様は徳川家の頂点におられるのでは?」

「頂点におっても、何でもできるわけではない。それにわしが信綱や黒田殿と同じことをしようと思ってもできるわけがない。よって、わしは今のわしにとって一番ためになることをしている」

「ためになること、ですか?」

「うむ。気ままに遊び、何か重要なことがあった時には働けるようにするということじゃ」

「なるほど…。越前様、ならば次の戦にはそれがしを連れていってください」

「む?」

「それがし、自分で申すのも何ですが、戦に関しては父上より上ではないかと思っております。周りの者も『万徳丸は父上より、祖父に似られた』とよく申しておりましたし」

 黒田忠之の祖父となると、豊臣秀吉の参謀を務めていた黒田官兵衛孝高である。

「なるほど。それは頼もしい…」

 と答えたところで、忠之を呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら近侍の者に黙ってこちらに来たらしい。忠之も舌を出す。

「それでは、必ずそれがしを連れていってください!」

 念を押すように言って、忠之は戻っていった。

 忠直は、再度池を眺める。

「ふうむ…。このようにして、時代と人の成長には齟齬をきたすのかのう…」


 一刻後、忠直が自らの屋敷に戻ると、程なく信綱と長政が現れた。

「結論から申しますと、内藤如安の条件はこちらの想像を遥かに上回るものでした」

 信綱が書面を忠直の前に開く。

「如安が言うには、我々のために黄金三十万両を融通するとのことです…」

「三十万!? また大きく出たのう。ただ、それは利子をつけて返さねばならぬだろう? 金三十万を盾に商業その他を押さえられて、にっちもさっちもいかなくなる可能性はないか?」

「はい。ただ、西国まで統一できれば、銀山開発などを進めればすぐに返済できるのではないかという話を受けました」

「ほう…」

「また、長崎、対馬などの港で許可を受ければ、艦船を停泊させ、場合によっては協力をするという話も申し出ておりました」

「ふむ。それで、筑前守と伊豆守は賛成なのか?」

「私は賛成でございます」

 信綱が即答する。

「真か? 切支丹には裏がないと見てよいと?」

「裏はあると思っております。ただ、我々に金銭を渡す以上、相手も日ノ本を攻撃するわけにはいきません。それでなければ向こうは金を捨てることになるわけですから」

「切支丹の信仰についてはどうなのだ?」

「それについては正式に文をかわす際に念を押すつもりでございます。対馬と長崎近辺以外では認めないと。もちろん、それでもある程度他地域に浸透することにはなるのでしょうが…」

「それでも構わぬと?」

「良くはありませぬが、今のまま決着がつかないまま徳川や前田、豊臣に毛利と勢力が分かれて時間が流れる方が切支丹などは広まる可能性があります。関ケ原以降、大坂で負けるまで大御所様が禁教を進めてきたことを考えましても」

「…分かった。筑前守はどう思う?」

「それがしは直接、徳川家の方針に口を挟むべき立場ではございませんが、それを置いて考えました場合、切支丹ということにこだわらず、受ける価値があるのではと思います」

「ふむ。二人とも賛成ということか」

「越前様は反対ですか?」

「伊豆守に筑前守が話をして、『間違いない』という以上、この話に問題はないとは思う。ただ一点、引っ掛かるのはこの話をわしが受けるべきものなのか、ということだ」

「…少し分かりませぬ」

「先ほど、お主は『決着がつかないまま時間がたつとかえって切支丹が広まる可能性がある』と申しておっただろう? わしが受けることで、そうなるのではないかという懸念がある」

「…つまり、江戸の家光様との間で徳川が二分されると?」

「どう思う?」

「そのことは考えもしませんでした。ただ、確かに越前様がこの話を受けたということが江戸に伝わると、越前謀反という話になっても不思議はありません」

「以前、直孝はこうも言っておった。『越前が謀反して勝ったとしても、それも徳川の勝利なのだから構わない』と。だが、直孝はそれでいいかもしれぬが、日ノ本におるのは直孝だけではないからのう」

「左様でございますな」

「となると、内藤忠俊にはこう伝えるしかない。この話、福岡の一存で受けるわけにはいかぬ。江戸に行って、井伊直孝と伊達政宗との間で話をしてくれと」

「…ははっ」

「そのうえでわしが受けて構わぬということであれば、後のことは全て任せる」


 二人は忠直の屋敷を出た。

「伊豆守殿、浮かぬ顔をしておられるが?」

「…そうですか?」

「江戸に持っていっても、受けられる可能性が低いとお思いか?」

「…はい」

 井伊直孝や伊達政宗は賛成するかもしれない。

 しかし、三万両もの金を勝手に受取り、日ノ本統一を目指すなどという事案ともなると家光政権の正当性をも覆しかねない。お江与の方は反対するであろうし、老中連も間違いなく反対すると見ていた。

「ただ、越前様の申すこと、筋は通っておる。以前、伊豆守殿が提案された切支丹布教を対馬で認めることは九州の話だから、越前様は一人で決めた。しかし、今回は日ノ本中にかかることになるから、越前様の一存で受けることはできぬ」

「…その通りでございます」

「しかし、筋は通っているのだが、いつまでもそれだと都合の悪い者もいる」

 長政の言葉に、信綱が頷いた。

「言うまでもなく、九州にいる我々じゃ。我々は昨年から戦続き、それでも、越前様や立花殿を信じてついている。まあ、今更他に移ったりすることもできないという我々側の事情もあるが。ついでに言うと、越前様の親衛隊のような役割を受けている長宗我部殿もいつまで経っても報われぬことになる」

「全くその通りです」

「…細川や鍋島がどこまで同じ考えかは分からぬが、わしに関して言えば伊豆守殿が今、密かに考えていることに賛成ではあるな」

「…!」

 信綱がぎょっとした顔で長政を見た。

「あと、おそらく熊本にいる島津家久も賛成するだろう。あやつは自分の勢力が少しでも広げられるかもしれないと考えたらそこに全精力を集中する。浅はかではあるし、味方としてどこまで信頼できるかもわからぬが、それでも計算を立たせられるなら頼りになる存在ではある。田中忠政も上が切支丹のためと決断すれば、頼りになるであろう…」

「今現在、立花殿も真田殿もいないのですぞ」

「そうじゃな…」

「それを承知で、黒田殿は?」

「立花や真田がどう考えるかは分からん。だが、もう一人、アテになるかもしれぬ者はおる。四国にな」

「…あっ」

「さすがに、これ以上言うとわしも口が滑った程度ではすまぬことになるのう。後は伊豆守殿が考えることじゃ。そのうえで決めたことがあるのであれば、それは伝えてもらいたい」

 黒田長政はそう言って、ふと中庭にある池を見た。

「こういう時はの、池などをぼんやり眺めているとか、風呂に長く浸かっていたりする方がいいかもしれん」

 長政はそう言って、池の方にふらふらと向かっていった。

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