第8話 柳河始末②
午後。
真田幸村と松平信綱は、柳河城下の商家の応接間へと案内されていた。茶を飲みながら待っていると、中年の長身の男が現れる。
「長崎純景と申します」
「真田幸村と申します」
「切支丹代表に会いたいということですが…いかなるご用向きでしょうか?」
緊張した面持ちの純景に対して、幸村が笑う。
「いやいや、たいしたことではないのでござる。それがし、切支丹というものをはっきり理解しているわけではないので、そのことについて教授いただきたいのが一つ。ただ、それは後でも構いません。さしあたり長崎殿にお伺いしたいのは、この日ノ本での切支丹がどうなると考えているかでござる」
「日ノ本の切支丹?」
「左様。ここ柳河はともかくとして、徳川家は数年前に禁教令を出して、切支丹を弾圧しておりました。しかし、それにも関わらず切支丹はこれだけの規模の一揆を起こすなど、大きな潜在能力を持っております。この後、どうなっていくかということを」
「私にはそれほどのことは…」
「もちろん、あくまで長崎殿の考えということで構いません。さすがに一揆軍の者に聞くわけにはいきませんからな」
「ふむ…」
純景は少し考えこむ。
「真田殿。多くの者は切支丹と一まとめにしておりますが、その中にいくつかの立場があるということはご存じですかな?」
「切支丹の立場?」
「はい。例えば、長らく日本に来ていたのはイスパニアやポルトガルでした。また、切支丹の頂点に立つ教皇はローマにおります。これとは別に、近年、イングランドやオランダといった地域が日ノ本に来るようになっております」
「ふむ。確かに禅にしても、念仏にしても幾つかの宗派があり、場合によっては相争っていることもある。切支丹にも同じことがあるということか」
「はい。と申しましても、私にも詳しいことは説明できないのですが」
「ふーむ」
「従いまして、日ノ本が禁教令を貫くのであればともかく、そうでないのならば日ノ本の中でもそうした勢力争いが繰り広げられるかもしれません」
「それは参ったな。切支丹だけでも分からないのに、その中でもお家騒動が起きるかもしれないわけか」
「左様でございます」
「となると、徳川家のように禁教令を出して、余計な争いを呼びこまないようにするということは正しいのだな。あ、これは失礼。長崎殿の前で言うことではなかった」
「いえ、そのように考えること自体は自然だと思います。まず、言葉が違いますので一つを理解するだけでも大変でございますし、そのうえで多くの立場があるともなりますと、理解より拒絶が先立つものでありましょう」
幸村は頷いているが、ふと首を傾げる。
「そこまで暗い今後を予想していながら、長崎殿が切支丹であり続けるのは何故なのだ? それをも引換えにしても信じるだけの価値が、かの宗教にはあるのか?」
「さて、どうでしょうなぁ」
「ひょっとしたら、それほど強い理由はないのかもしれませんね」
そこまで黙っていた松平信綱が入ってくる。幸村が振り返った。
「私のような若輩者が言うことではないのかもしれませんが、例えば真田殿が大坂に入ったのは何故でしょうか?」
信綱の言葉に幸村は声をあげて笑う。
「なるほど。既成概念への対抗心・反発心みたいなものであるか。そうかもしれないし、そうであるならば、今後も切支丹がいなくなるということはなさそうであるな」
幸村は二度、三度と頷いて、純景に頭を下げる。
「いや、ありがとうございました。お陰で色々分かり申した」
「こちらこそ、ありがとうございました」
純景も頭を下げた。
商家を出て、城に戻る途上、信綱が幸村に尋ねる。
「聞きたかったことは分かったのでしょうか?」
「うむ。切支丹という人間について、何か我々と違うのだろうかと思っていたが、伊豆守殿の話を聞いて、普通の人間が信じるということが普通にあるのだろうと思いいたるに至った。ありがたい」
「いや、まあ、私も思い付きで言ったのですけれど…」
「それがしが若い頃には、一向一揆と呼ばれる本願寺に指揮された一揆がいた。それと切支丹の一揆との間に違いがあるのかということを考えていたのだが、ひとまず変わりはないという考えで良さそうだ」
「しかし、切支丹にも幾つかの勢力があるという話は面白かったですね。江戸に戻れば、三浦殿に聞いてみよう」
「三浦殿?」
「はい。大御所様の参謀となっていた人です。この人はオランダ…なのかな。確かに切支丹にしては切支丹どうこうという話をしない人でした」
「とすると、禁教令を出したとしても徳川家は切支丹との関係を完全に断つつもりではなかったわけか」
「そうですね。貿易もありますからねぇ」
「なるほど。貿易か…」
「はい。これは私の勝手な想像なのですけれど、前田家は今、全く動きが見られないわけですけれど、ひょっとすると密貿易を行っているのかもしれないと思っています」
「密貿易?」
「前田家は元々、切支丹には理解のあると家でしたし、金沢からマニラに旅立った人も多くいますので、そういう連絡も取れるのではないかなと」
「武器などを輸入しているとなると、厄介だな」
「はい。ただ、武器よりも厄介なのは人ではないかと思っております」
「人?」
「関ケ原の戦いの後、戦はなくなったということで多くの浪人が海外に活躍の場を求めたと聞いております。これは切支丹に限ったことではありません」
「ふむ。それがしや父昌幸も、高野山に行くことがなければ戦を求めて日ノ本を出たかもしれぬか…。いや、自由の身なら兄上のところに行ったかな」
「そうした人がルソンやシャムで戦を経験して、そして日ノ本に戻ってきたとしたら」
「非常に厄介なことであるな」
幸村は溜息をついて、遠く東の方に視線を向けた。
加賀・金沢。
金沢城の正門に300人の兵士が集まっていた。全員が全員、精悍な顔をしており、ただならぬ気配を漂わせている。
「殿はまだ来られないのか?」
先頭にいる若者が本多政重に尋ねた。その本多政重、顔や腕のいたるところに傷跡がある。前日、この若者と訓練をしてこっぴどく打ち据えられた負傷であった。
「紹介状などを書くのに時間がかかっておるのだろう。今しばらく待たれよ」
「待つのは構わぬが…」
「仁左衛門。そなたが滅法強いのは認めるが、あまり偉そうにしていると足下を掬われるぞ」
と重政がいかめしく言ったところ、背後から大きな笑い声があがった。
「安房守。そなたから、偉そうにしていると足下を掬われるという言葉が出てくるとな」
「と、殿…」
「しかし、相当こっぴどくやられたようであるな」
「ははっ、仁左衛門の体力たるやとてもそれがしに敵うものではありませぬ」
政重が一歩引き下がる。前田利常が仁左衛門に視線を移した。
「大分強烈な訓練をつけているらしいな?」
「ははっ。正直に申しますと、それがしが想定していたよりは、鍛えられておりました。15年間実戦をほとんど経験していないと聞いておりましたので」
「安房守の部下は元上杉家の者が多いゆえ、日ノ本ではかなり精強な部類であるだろう」
「なるほど。軍神と呼ばれた上杉家ですか」
「それでも、やはり15年も実戦がないと鈍ってはおりますな」
政重が溜息をついた。何人かの兵士も頷いている。
「高田の者共はもっと鈍い連中ばかりであろう。うまく導いてやってくれ」
利常はそう言って書状を渡す。
「これを高田城の者に見せ、あとは松平忠輝と話を合わせて進めるように」
「ははっ。この山田長政、殿の期待に必ず沿うてみせます」
長政は仰々しく頷くと、アユタヤから引き連れてきた300人の兵士と共に金沢を出た。
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