第4話 忠廣狙撃

 有馬直純を支配下に置くと、島津家久は直ちに地図を確認する。

「肥後の方はどうなっておる?」

「天草は完全に一揆軍が支配しております。ただ、熊本城を攻撃する部隊は宇土で足止めを食らっているとのこと。また、肥前の方でも島原で広範囲に出没して戦いを続けているということです」

「ふむ。まあ、一揆勢に城を落とすことは不可能であろうから、これ以上は望めぬであろうな」

 家久はすぐに樺山久高を呼ぶ。

「その方、兵8000を引き連れて高千穂・五ケ瀬から肥後へと入り、熊本を狙え」

「承知いたしました」

「後醍院宗重に伝えよ。一揆軍と連絡をとり、島津が日向から肥後へと攻め寄せてくると触れ回れとな」

「はい」

「今が6月24日。できれば7月の内に肥後を確保したいがのう」


 後醍院宗重はすぐに一揆軍のいる住吉までやってきた。

「益田殿、首尾はいかがじゃ?」

「うむ。鉄砲の数を覆すのが厳しいところでござる」

「なるほど。こちらは樺山殿の8000の部隊が既に延岡を発って、高千穂へと向かっておる。五日ほどでたどりつくのではないかと思うておる」

「左様でござるか」

「この陣地を死守しておけば、いずれ島津の軍が加藤軍を蹴散らしてくれるでありましょう」

「それはそうであろうが、そこまでただ待っているというのも芸がない」

「しかし、宇土を占領するのもままならない状況であろう?」

 宗重の言葉に好次は頷く。

「わしらの武力はやはり武士には及ばん。だが、武力以外にも打つ手は色々とあるはずだ」

 そう言うと、山善右衛門を呼んだ。かつて、好次が小西行長の下で働いていた時の同僚である。

「善右衛門よ。わしらのために死んでくれぬか?」

 いきなり好次に死ぬように要請され、善右衛門は当然驚くが、そこはかつて武士だった者だけのことはある。

「死に方次第だな。どのような死に方をすればよい?」

「二日後、加藤忠廣が熊本城を出て、こちらに来るらしい」

 善右衛門がニヤリと笑う。

「つまり、わしは加藤忠廣と相討ちになれということか?」

「いや、そういうわけではないのだ。もちろん、そうなれば素晴らしいことではあるが、残念ながらいかに加藤家が不甲斐ないと言っても、おぬし一人に当主が討ち取られるほど情けなくはないだろう」

「…ならば、どうすればいいのだ?」

「忠廣を襲うのは間違いない。少ない鉄砲を一つ渡すつもりじゃ。ただ、成功せずともよい。とにかく忠廣目掛けて鉄砲を撃ちさえすればよい」

 善右衛門の表情が険しくなる。

「どういうことだ? わしに犬死せよということか?」

「平たく言えばそうなる」

「それが、我々のためになるのか?」

「なる」

「分からぬのう」

「加藤家は今、分裂寸前の状態じゃ。そういう中で当主が出ていったところを襲撃された場合、どうなると思う?」

「忠廣が襲われたことが、どちらの責任であるか争いが生じるということか?」

「うむ。結束を失うことは間違いない」

「分かった」

 善右衛門は立ち上がる。

「お主の言うことを信じて、先に天国で待っているとしよう」

「すまぬな」

 好次は深々と頭を下げた。



 再び宇土。

 飯田角兵衛不在の二日間をどうにかしのぎきり、加藤美作守と角兵衛が再び防衛についていた。

 角兵衛は美作守から不在になった途端に一揆勢が総攻撃をしかけてきたという話を聞いて、表情を曇らせる。

「どこかに一揆軍に内応している者がいるのかもしれん」

「…否定はできません」

「忠廣様にお出になってもらって大丈夫なのだろうか」

 美作守の心配はそこである。

 すでに清浄院の承諾も得ており、明日には加藤忠廣が宇土まで激励に来ることになっていた。しかし、この情報が洩れていたとすると、奇襲を受けることも考えられる。

「しかし、このまま我々だけでここにおりましても状況は改善しませんぞ。島津も日向を制圧したらこちらに来るでしょう。一揆軍と島津軍を相手にすることになった場合、とてももちこたえられませぬ」

「うむ…」

 加藤家には島津と一揆の共同関係を裏付ける証拠はない。しかし、ほぼ同じ時機に兵をあげている以上、何らかの連携があったと考える方が自然であろう。

「大坂も最後には勝ったのです。何とか最善と思える策を取り続けるしかありません」

 角兵衛の言葉は、自分に言い聞かせるような響きも含まれていた。



 翌日、熊本城を出る一団。

 先頭には加藤正方がおり、後方には下川元真が控えている。その中央に、不安げな顔をした加藤忠廣が父譲りの甲冑をつけ、馬にまたがっていた。

 15歳の忠廣では父親の甲冑は大きく、それゆえに動作も困難で動きは鈍い。

 隊列は緊張した面持ちで進んでいる。既に加藤美作守や飯田角兵衛から内応者がいるかもしれないという連絡は受けており、その警戒をしなければならないのであった。

(それなら、日程の延長をしてもよいのではないか)

 と呆れたように見ているのは最後尾にいる下川元真である。加藤家の家老の中でも若年層にあたり、それゆえに行動も早く、晩年の加藤清正がもっとも信頼を寄せていた部下の一人であった。

(そうなると、清浄院様に対してどう申し開きをすればいいのか分からないとか、誰が責任を負うのかということなのだろうが、馬鹿々々しい)

 下川元真自身は、加藤正方の派閥であり、すなわち徳川方であったが、今回のようなことであれば、素直に正方と美作守が頭を下げればいいだけではないかと考えている。とはいえ、それを提言できるかというと、彼も自分の地位が可愛いのでしないのであるが。

「むっ!」

 突如、一発の砲声が響いた。

「敵襲か!?」

 予想はしていたので、対応は早い。すぐに加藤忠廣を守るように兵士達が輪になっていく。

 そこに茂みの中から馬にまたがる一人の男が火縄銃を構えて向かってきた。

「加藤忠廣! お命頂戴!」

 大音声で叫び、その声の大きさに忠廣がうろたえる。大きな甲冑を着て、細かい動作がままならないこともあり。

「うわっ!」

 あっけなく落馬した。そこに二発目の銃声が響くが、馬上から狙撃ができるような技術者など日ノ本にそうはいない。全く見当違いの方向に弾は飛んでいく。

「痴れ者め! 討ち取れ! 討ち取れ!」

 加藤正方の指示に応じて、兵士達が鉄砲を放つ。何発か命中したようで、刺客は呆気なく馬から落ちた。

「殿! 無事でございますか?」

「あ、あぁ…。鉄砲は受けていないが…」

 忠廣が苦しそうに答える。落馬の際に、腕を折ってしまったらしい。

「これでは前線に督励に行くのは無理でしょう。熊本に戻るしかありませぬ」

 下川元真が馬鹿々々しいという様子で提案し、それが受け入れられ、隊列は熊本へと戻っていった。



 加藤忠廣は熊本へと戻ったが、下川元真はそのまま宇土まで走っていった。

「美作殿」

「おお、又左衛門(下川元真の通称)。どうした? 殿は?」

「ここに来る途中に、何者かに襲われました」

「何!? ご無事なのか?」

「刺客の鉄砲には当たりませんでしたが、大きな甲冑を着ていたために落馬してしまい、腕を折ったようでございます」

「何と…」

「このような事態になったとあれば、清浄院様に申し開きをする必要がありましょう。一度、熊本城までお戻りいただけないでしょうか?」

「そ、それは構わないが、しかし…」

 美作守の視線は東を向く。

「わしがおらぬ間に一揆勢が来るやもしれぬ…」

「ですが、今、ここにいたままだと良からぬことを吹き込まれるやもしれませんぞ」

「下川殿、殿にこちらに来てもらいたいと提言したのはそれがしです。まずはそれがしが向かい、そのうえで必要であれば美作殿に来てもらうというわけにはいきませんでしょうか?」

 飯田角兵衛が申し出る。

「ふむ…」

「それがしが提言をしたばかりに一揆ごときに宇土を取られたとあっては末代までの恥。どうかお願いいたす」

「…いえ、それを決めるのはそれがしではないので、飯田殿がそうしたいということであれば、それでよろしいのではないでしょうか」

 その結果がどうなっても知らないよ。元真は言外にそうにじませる。

「美作殿。それがしはもう一度熊本に戻ります」

「うむ。よろしく頼む…」

 美作守はそう言うしかなかった。

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