第6話
江戸に着いた松平忠直は、家光に会う前に二の丸で待機していた。
程なく、立花宗茂が福島正則を連れてくる。
(これが福島殿か…)
豊臣秀吉子飼いの猛将と聞いていたので、さぞや屈強な男なのだろうと予想していた忠直であったが、現れた正則は背丈こそ高いが、頬もこけ、体格も細い。
(ふむ…、色々気苦労があったのだろうか?)
考えながらも、忠直は頭を下げる。
「貴殿が豊臣左近衛権少将殿ですか。それがしは松平忠直と申す」
「お初にお目にかかります。委細は井伊殿から伺いましたが、それがしを九州に連れて行きたいとか?」
「おお。まあ、正直なところを申すとだ、九州に行くまでに大坂にも寄りたいと考えておって、な。福島殿もご存じだとは思うが、それがしの父結城秀康は太閤様の養子になっておった。父は最後まで太閤の養子という自負をもって死んでいったゆえ、秀頼公もそれがしにとっては他人ではないという思いもあるのでな」
「はあ…」
「まあ、そう言いつつ、大坂ではしっかり敵味方であったではないかと言われてしまうと返す言葉もないのじゃが、せっかく大坂に行くのなら福島殿も連れて行くのもいいのではないかと思ってな」
忠直はそう言って笑う。
「それがしが大坂に走るとは考えないのですか?」
「走るも何も、今は停戦・同盟中であるぞ。走ろうが何しようが問題にはならぬ。場合によってはわしも走るかもしれん」
「ただ、同盟はあと三か月程度の話と伺っておりますぞ?」
「確かに。しかし、その後、すぐに敵対すると決まったわけでもあるまい。少なくともそれがしはそう思っていない。残念ながら福島殿の領国は毛利に奪われてしまったゆえ、新しく取りに行く手伝いをしてくれぬかと思っている」
「九州に、ですか?」
「うむ。例えば貴殿のかつての盟友だった加藤家の肥後などを」
「……」
「報告は聞いておらんが、途中までの話を聞いておると、今頃は領地を失っておるだろうし、最終的に加藤は改易ということになろうと思う」
「確かに加藤家の状況を見るとそうかもしれませぬな」
正則もそこまで衰えてはいないようで、加藤家の状況も分かっているらしい。
「皮肉なものでございますな。留守の間に領国を失い、復帰できる場合に虎之助(加藤清正の幼名)の領地をもらうことになるかもしれないというのは…」
「ということは、ついてくるということでよいであろうか?」
「どの道、家もない身でございます。どうかいいようにお使いくだされ」
「うむ、粗忽ものゆえ何かとしでかすかもしれぬが、よろしく頼む」
福島正則との面会が終わると、忠輝に声をかける。
「上総殿、家光に会うまでに食事でもいかがであろう?」
「いや、それがしは結構」
「左様か」
あっさり断られて、一人で茶を飲みながら家光の呼び出しを待つ。そこに井伊直孝が小姓を一人連れてきた。
「越前様、こちらは松平信綱と申しまして、家光様お付きの中でも一際才覚に秀でた者でございます」
「おお、そうか…。わしより年上か?」
「いえ、越前様より一つ下でございます」
「そうか。話は直孝から聞いていると思うが、わしが松平忠直だ」
「松平信綱と申します」
「あらかたは掃部から聞いておろうが、わしは九州に行くことになったが、わし一人で九州を治められるとも到底思わん。どうか協力してくれい」
「ははっ、越前様の役に立てますよう、粉骨砕身いたします」
「越前殿、上総殿」
そこに伊達政宗が現れた。ようやくお呼びか、と忠直は首を回しながら立ち上がった。
江戸城の大広間。その一番奥に徳川家光がいた。
現在、家光が徳川家の当主になったという使節を朝廷に向けて派遣していると聞いている。もちろん、要望として征夷大将軍位も要求はするが、受け入れられる公算は低い。
従って、現時点では家光は無位無官ではあるが、もちろん、徳川の正当後継者であると認められた存在である。忠直も忠輝も平伏した。
「松平忠直。そちを九州郡代に命じる。見事、九州を平定してまいれ」
「ははっ」
「松平忠輝。そちを四国郡代に命じる。見事、四国を平定してまいれ」
「ははっ」
特に格式などのない楽なものである。二人は任命された書状を預かり、退室した。
「さて、久しぶりに越前に戻ろうかの…」
忠直は意気揚々と廊下を歩く。
「越前様」
「何じゃ直孝。おまえ、わしが越前と言うとどこからともなく現れてくるが、今回まで文句を言われたら、わしは何もできんぞ」
「いや、越前どうこうではなく、御台所様が越前様にお会いしたいと」
「何? 何故、義母上に会わなければならないのだ。直孝、何とかしてくれ」
「何とかしてくれと申されましても、どうか連れてきてくださいと頼まれました以上、それがしも無下に断られたとは申せませぬ」
「…はあ。面倒じゃのう」
「我慢してくださいませ」
忠直はがっかりと頭を落とし、直孝に連れられて奥の間へと案内される。
「おお、忠直殿。駿府以来ですな」
「はい。義母上様もお変わりなきようで」
「勝は元気ですか?」
「はい。間もなく初子が生まれる予定でございます」
「それは良かった。忠直殿は徳川家において一番の重鎮でございます。何卒、これからも家光を導いてやってくださいませ」
「まことにありがたきお言葉、この忠直、義母様からかけられたお言葉、一生忘れることはありませぬ」
忠直はそう言って、殊勝に平伏した。とにかく適当に話を合わせて、一時も早くこの場を去りたいという思いであった。
「…徳川家で一番の重鎮でございます、と来たものだ」
ようやく退室すると、また直孝に毒づく。
「あはは。しかし、実際そうでございますれば…」
「…大御所と前将軍がいなくなっただけでこれだ。だからこそ、大御所は生きている内に豊臣を何とかしたかったのであろうなぁ。実際、失敗したことで徳川の統治はいたるところで揺らいでおる」
「……」
「まあ、わしの父が早世したせいでもあるから、越前家も偉そうなことは言えぬがのう」
もし、結城秀康が存命であれば、このようなご時世であるので徳川家当主になっていたであろう。
(いや、そもそも、父が生きておれば、戦場での総大将は祖父ではなく父だったかもしれぬ)
それであれば、負ける可能性はなかったであろうし、もし負けたとしても家康は未だ健在である。家康さえいるのであれば、徳川家は容易に巻き返しができる。
「とにかく、越前様と上総様が四国・九州を平定しさえすれば、毛利や前田も最終的には屈服するはず。越前様には期待しておりますぞ」
「…お主に言われんでも分かっておるわ。ああ、そうだ」
「何です?」
「立花殿も連れていくからな」
「まあ、それはそうなりますでしょうな」
立花宗茂は奥州棚倉藩を治めているが、元々大友家の家臣でもあったし、関ケ原までは筑後・柳河藩の藩主でもあった。その戦術の才覚はもちろん、九州の理解という点でも是が非でも必要な人物である。
「うまくいった場合、柳河はもちろん、周辺地域も与えることになるかもしれん」
「異議はありませぬ」
「江戸における立花殿の代わりはどうするのだ?」
「うーむ…、当面はそれがしと伊達殿でも大丈夫ではないかと」
「そうか? まあ、お主がそういうのなら、それでいいだろう。後々どうなっても知らんがな」
「…それは一体どういう意味でしょうか?」
直孝が憮然とした顔をし、それを見て忠直はハハハと笑い声をあげた。
かくして、翌朝、松平忠直は供の者と福島正則、立花宗茂、松平信綱の三名を連れて江戸を出た。甲州街道を進み、諏訪から中山道へと入り近江を経て越前に向かう。
「越前様」
立花宗茂が言う。
「越前様は、越前、京、大坂などにお寄りするかと思いますが、九州の事態は一刻を許さぬものであろうと思われます。それがし、先に九州に入っておきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「うむ、確かにそうですな。それがしが行く前に立花殿に状況を見てもらいたいし。先に向かってもらうよう、お願いいたします」
「承知いたしました」
立花宗茂はそう言って、二人ほどの供を連れて先に九州へと向かった。
残った一行は、越前へと入る。
「いやあ、久しぶりの越前じゃ」
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