第二話【寂しい女】
何故この男を部屋に上げたのか。
どう考えても怪しい要素しかないこのイケメン執事。一人暮らしの女の家に引き入れて、何をされるか分かったもんじゃないというのに──わたしは……。
単純に外見が好みだったから……とか、空腹に耐えられなかったから……とか、そんなんじゃないんだと思う。多分──多分寂しかったから……なんだろうな。
寂しかった──寂しかったから、誰かに傍にいて欲しかっただけなのかもしれないけれど。
帰宅するといつも暗い、散らかった部屋。冷たいビールに不健康なコンビニ飯。一人で眠る湿り気を帯びたベッド。
暗く、汚く、寂しい──そんな毎日の繰り返し。
それなのに。
「ほたるさん、御味噌汁の味噌は合わせ味噌ですが、構いませんか?」
キッチンに立ち、焦げ茶色のギャルソンエプロン姿のセバスチャンが、手早くうどんの水気を切りながら振り返る。
「あ、はい」
ベッドの上で三角座りをしているわたしは、ベビーブルーのブラウスに、淡いグレーのタイトスカートという仕事着のままだ。汗もかいているから着替えたいけれど、この状況ではそれも憚られた。
料理をする彼の背中が気になって、読書も捗らない。画面に映し出される「小説家になろう」のマイページにログインしたまま、スマートフォンのホーム画面に戻る。
「はぁ……」
ため息一つ、画面からちらりと顔を上げると、廊下の先に山積みにされた「物たち」を見つめた。
部屋の目につくごみ達は分別されていた。あるものは袋詰めにされ、またあるものは紐で縛られ、玄関付近からずらりと山積みにされている。読みかけの雑誌や本には御丁寧にしおりが挟まれ本棚へ。クリーニングカバーを外された服達は行儀良くクローゼットへと収納済み。
どうしてこうなったのか──順を追って説明しよう。
*
「こんな時間に大声を出しては、ご近所の迷惑になりますよ? とりあえず中に入りませんか?」
セバスチャンと名乗ったイケメン執事風の男は、何故だか当たり前のようにそう言った。
「待て待て……そう言って巧みにわたしを誘い込み、手篭めにでもするつもりですか? イケメンだからって、あまり調子に乗らないで下さい」
「……手篭め?」
彼はその単語の意味が分かっているのかいないのか、こてんと首を傾げる。畜生、かわいい。
「私はただ、あなた様のお役にたてればと……いえ、立つつもりで参上したのですが」
「……どうだか」
両手を上げ、無抵抗のポーズをとるセバスチャン。しかしわたしは警戒体勢を解かない。腰を更に落とし、握る拳に力を入れる。
「ふむ、どうすれば分かって頂けるのか」
言って、続けて顎に手を当て考え込むポーズ。
「一人暮らしの女の部屋の前に待ち伏せして、執事になるとか……お役に立つとか……そんな急に言われても、信用出来ないですよ」
「……では、時間を掛けて説明をすれば、信用してくださる、という意味なのですね」
「な……はあ?」
「大丈夫です、ご心配なく。手篭めにするつもりなど、一ミリも御座いません。あなた様にお仕えすると決めた瞬間、性欲などというものはその辺に捨てましたから」
「なああああっ!?」
何を言っているんだこの人は。わたし、完全にペースに飲み込まれているな。
このままでは……!
──ぐううううぅぅっぅぅ
「ん?」
──きゅるるるるるるぅぅ
──ドスッ!
「ごふっ!」
は……恥ずかしい! 穴があったら入りたい!
初対面の男性の前で、まさかこんなにも盛大に腹の虫が鳴くなんて。思わず握った拳で自分の腹を殴るも、痛みを感じただけで恥ずかしさは消えなかった。
「お腹が空いているのですね。わかりますよ、こんな時間まで働いてらっしゃったのですものね」
にっこりと微笑むと、セバスチャンはスーツケースの上に置いてあったエコバッグを持ち上げ、指を立ててそれを唇に添えた。
「夕食、御作りします。掃除もします。勿論見返りなど要りません。無報酬で構いません」
「そんなの、あなたに何のメリットもないじゃないですか」
「ありますよ。あなた様の傍にいられることが、私にとってのメリットです」
「ぐっ……!」
もう、何なんだこの人は。この会話の間にも容赦なくわたしの腹の虫は声を上げ続けている。
「……もう! わかりましたよ! 献立はなんですか!」
「梅かつおうどんです」
「……梅かつおうどん?」
「はい。暑くなってきましたので、冷たいお食事をと思いまして。こんな時間ですから、消化に良いものを御作りします」
あれ、葱は? 葱はどこに使うのだろう?
トッピングかな……?
そんなことを考えながらも、わたしは鞄の中から鍵を取り出し玄関扉を解錠。
「一つ言っておきますけど……」
「何でしょうか?」
「女の部屋とは思えないほど、めちゃくちゃ散らかっているので、引き返すなら今のうちですよ」
「腕がなります」
わたしの決死の告白も虚しく、上着の袖をほんの少し捲ってにやりと笑うセバスチャン。
「全く……どうなっても知りませんよ」
大きく息を吐くと、わたしは彼を部屋に招き入れたのだった。
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