第八十六話 【女たちの狩場】

 結局、慰労会はカフェレストラン 「緑のヴェルドーラ楽園パラディーゾ」が営業終了後にその場で行われることになった。中心となって準備を進めてくれた月山さん曰く「移動時間が勿体ない」とのことだった。


 今日もお客様が多く、キッチンもフロアもてんてこ舞いだった。皆疲れきっているかと思いきや、閉店時間が近づくにつれ、チーフシェフの山岡さんを除く全員が何故かにこにこと機嫌が良さそうであった。


 滞りなく営業を終えて閉店時間になり、皆で懇親会の準備に取りかかる。俺は山岡さんと一緒に厨房に立ち、料理の準備中だ。


「皆、嬉しそうですね」

「そりゃそうですよ」


 山岡さんは目尻に皺を寄せながら歯を見せて微笑む。今夜皆に振る舞う料理の鍋を振りながら、視線はそのままに口を開いた。


「マスター、店の子達と一緒に食事なんてしたことないでしょう?」

「ええ。山岡さんは?」

「僕は時々……ギャンブルで勝ったときなんかは、食事に誘ったりしますけど」

「そうでしたか」


 月山さんと花邑さんが取り分け用の皿を取りに厨房へと入る。こちらを見てにこりと微笑むので応じると、顔を綻ばせて満足そうに出ていった。


「マスターはお忙しいですから、今後誘おうとか、無理はしなくていいんですよ」

「しかし……」

「あまりそういうことをするのも、ほたるさんは良いように思わないかもしれませんしね」

「嫉妬、というやつですか?」

「ええ」


 ほたるがうちの従業員達に嫉妬することなんてあるのだろうか。自分に置き換えて想像してみたが、そういえば俺はほたるの同僚を殴ったことがあったのだった。あれは嫉妬というよりも、怒りに近かったのだが。


「どう? 最近は上手くいってます?」

「それが──」

「マスター! こっちは準備完了ですよ!」


 声を弾ませながら花邑さんが厨房へ飛び込む。その後ろには発熱をしていたという緑川さんと星野さんの姿が見えた。俺達の奥で鍋を振るう河根田さんは、解熱後すぐに出勤するシフトになっており顔を合わせていたのだが、この二人は今日まで休みのシフトになっており、顔を合わすことがなかったのだ。


「お二人とも、熱が下がって本当によかった」

「あり……ありがとうございますっ」

「やだ、マスター……」

「準備が済んだならここの料理をさっさと運んでくれ」


 山岡さんの大きな声に肩を跳ね上がらせた三人は、トレーに載せた料理を次々に運び出して行く。その様子を見て河根田さんがクスクスと笑い声を上げていた。





「皆さん、本日も業務お疲れ様でした。山岡さんの提案により、今回初めて慰労会を開くこととなりました。料理の段取りや準備等は月山さんを中心に進めて頂いたようで、ありがとうございました」


 何故か「一言挨拶をしてください」と花邑さんに懇願され、俺は従業員達を前に開始の挨拶をしている。九人の女性従業員達が真っ直ぐにこちらを見つめている。やけに視線が刺さるように感じるのは気のせいだろうか。


「お酒を飲まれる方は運転をしないようお願いしますね。それでは、乾杯」


 乾杯の音頭に皆の声が重なる。四人掛けのテーブル席三つに料理を配置し、それを囲うように三つのテーブルが配置されている。席順をどう決めたのか俺にはわかりかねるが、俺と山岡さんの座る席には、満足そうな顔の月山さんが腰を下ろしていた。


「マスター、今夜は無礼講なんですか?」


 ワインの入ったグラスを片手に、月山さんが椅子を寄せてくる。食事を提供する店であるから、普段は誰も香水などつけていないが、今宵は不思議と色々な香りがする。料理の香りと混じって少し酔いそうなほどだ。


「月山」

「だって!」


 俺の肩に触れるほどの距離まで寄ってきた月山さんに、山岡さんがピシャリと言い放つ。まだ肌寒いだろうに、月山さんは肩を剥き出しにした華やかなタンクトップ姿。山岡さんの注意も聞き入れず更に身体を寄せた彼女の肩が俺の腕に触れた。


「月山ずるい!」

「そうだ! 替われ替われ!」


 割り込んできたのは調理師の遠山さんと、フロアスタッフの多岐さんだ。この二人も月山さんと同じく寒そうな服装だった。


「お前らなあ、料理を食え料理を。マスターが作って下さったんだぞ」

「そうでした!」


 俺の周りに群がっていた三人の女性達は、お皿を片手に背を向ける。せっかく作ったのだ、食べて貰えると俺も嬉しい。


「大丈夫ですか?」

「ええ……」


 ノンアルコールカクテルの入ったグラスを山岡さんが渡してくれるので受け取り、半分ほど飲み干した。広い空間だが人が密集しているせいか、はたまた料理の熱気か、蒸し暑さを感じる。カッターシャツの袖を肘まで捲り、料理を取ろうと立ち上がると甲高い歓声が沸き起こった。


「な……なんですか?」

「マスターの腕……!」

「しかもこんなに近くで……!」

「すごい筋肉。触ってもいいですか?」


 酒を飲んでいるのか、頬を染めた河根田さんが俺の腕を指先でするりとなぞる。スタイルの良い彼女はなんとも目のやり場に困る服装で俺に迫るので、俺は動くことが出来ない。


「無礼講なら私も!」

「ずるい! 私も!」


 料理を取ろうと立ち上がっただけなのに、何故両腕をぺたぺたと触られる羽目になってしまったのか俺にはわからない。左腕は代わる代わる全員が順に触れていったが、右腕だけはずっと河根田さんが撫で回すように触れている。


「あの、河根田さん?」

「……いいなあ、舐めたくなる…………すいません、つい本音が」


 顔を上げた彼女の胸が、俺の手首に触れた。驚いて自分の身体側に腕を寄せると、何故か追従してくる河根田さんの胸。


「……あの」

「なんですか?」

「いや、その……」


 胸が押し当てられているとも言えず、俺は彼女から目を逸らす。様子がおかしいと気が付いたのか、山岡さんが河根田さんの名を呼ぶと、彼女はパッと身体を離して妖艶な笑みを浮かべながら俺から離れて行った。


「大丈夫ですか?」

「助かりました」

「予想はしてましたけど、すごいですね」

「勘弁して下さい……」


 日頃の仕事を労う為の食事会のつもりで開いた会であるのに、必要以上に親しみ合いすぎているような気がする。山岡さんがいてくれて本当に良かった。そうでなければ俺はどうなってしまっていたのか、想像するのも恐ろしい。


「マスターは飲まないんですか?」


 女性達が料理のテーブルから離れたタイミングを見計らって皿を手に席を立つと、ホールスタッフの花邑さんがグラスを両手に持ち寄ってきた。グラスの中では真っ赤なワインが揺れていた。


「車で来てまして」

「そうなんですかぁ、残念。あ、帰りは誰かに送ってもらうと飲めるんじゃないですか? ホテルに泊まられてもいいし」

「いや……お酒は……その、体質的に得意でないので控えてまして」

「そうなんですかあ……」


 ほたるも酒に弱いが、俺はもっと弱いのだ。先日の実家でもそうだったが、グラス半分でも眠ってしまう。それよりも更に多い量だとどうなるかというと──と、これは人には言えないな。


「花邑、あまりマスターを困らせるな」

「山岡さんは飲まないんですか?」

「俺も車だ。帰ってから飲む」

「つまんないですね~」


 花邑さんの隣では、調理師の遠山さんが「酔ったマスター……見てみたい」とぶつぶつ言いながら、俺に視線を投げてくる。


「いつか泊まりで、みんなで飲めたらいいですね」

「遠山さんナイス! それ良いわね!」

「お泊まり?! 年末辺りとかどう? 予約しとく?」

「楽しそう!」


 遠山さんのアイディアに、皆が口々に賛同する。泊まりで飲酒だなんて、勘弁してくれ。人前であんな醜態を晒すわけにはいかないというのに。

 俺と山岡さんが呆気に取られている間にも、話はどんどん進んでゆく。お金がないと嘆く多岐さんに、花邑さんが「みんなで給料日に積み立てる?」と提案する所まで話が纏まり始めた。


「マスター、どう思いますか?」


 遠山さんがいつもとは違う明るいトーンの声で、弾むように言う。流石に皆がここまで楽しそうだと、「嫌だ」とは言い辛い。腕を組んで唸ると、花邑さんが先に口を開いた。


「でもマスター、大勢の女性とお泊まりだなんて……彼女さんが何て言うか」

「確かに……」

「私、自分の彼氏がそんなことしたら、嫌かも……」


 先程までの賑やかな雰囲気は何処へやら。場は一気に静まり返る。


「でも、山岡さんも一緒なら大丈夫じゃ──」

「ところでマスター、今日ほたるさんは?」


 多岐さんが言いかけたところに、山岡さんが無理矢理言葉を重ねた。思いもよらない助け船に顔を上げると、彼は髭の奥の口角を少しだけ上げた。


「そういえば」

「ほたるさんは今日のことを嫌がりませんでした?」

「ハーレムのようなこの場に送り出すなんて……喧嘩になりませんでしたか?」


 気が付けば女性九人に取り囲まれていた。皆距離が近く、河根田さんに至っては俺の手を握りしめている。


「喧嘩にはなってないですよ……元気な状態だったら多少は怒ってくれたかもしれませんが」

「元気な状態だったら?」

「熱を出して、寝込んでいて。だいぶ調子はいいのですが──」


「マスター!!」


 打ち合わせでもしたのかと思うくらい、皆の声が重なった。大声に驚いて目を剥くと、河根田さんは俺の手を離して更に詰め寄った。


「なんで来たんですか!?」

「なんでって……初めての、大事な慰労会ですし……」

「彼女さんの体調が悪いのに、ですか!?」


 俺だってここにくるのを拒まなかったわけではない。ただ、ほたる本人が「大丈夫だから」と背を押すので来たに過ぎないというのに。

 そんなことなどお見通しだと言わんばかりの河根田さんの目に気圧される。俺が言い訳がましいことを口にせずとも、皆わかってくれているようだった。



(俺は……彼女達のことを何も知らないというのに……)



「マスター、帰ってください」

「そうですよ、彼女さんの傍にいてあげてください」

「慰労会なんて、またすればいいんですから」

「しかし……」

「いいから」


 最後に俺の背を押したのは山岡さんだった。言葉だけでなく、そのごつごつとした大きな手は、俺の腕を掴み、無理矢理背を押した。


「すみません、皆さん」

「いいから、早く帰ってあげて下さい」

「……ありがとうございます!」


 頭を下げてくるりと背を向けると、俺は一目散に駆け出したのであった。





「あーあ、マスター帰っちゃったね」

「仕方ないよ、彼女さんが体調悪いなら」

「そんな中わざわざここに来るマスターも、真面目だよね」

「そこが良いよね~」


 柊悟が帰った後のレストランでは、皆が残念そうに肩を落としながら食事に手を伸ばしている。柊悟が作った料理なのだ、皆必死の形相になって皿の上の料理を平らげてゆく。


「お前達、俺がまだいることも忘れるなよ」

「はーい、申し訳ありませぇん」


 呆れ顔の山岡は、部下達を窘めると胸を撫で下ろした。柊悟とほたるのことを悪く言う者がいなかったことに安心した彼は、空になったグラスにドリンクを注ぎながら口角をほんの少しだけ持ち上げて微笑んだのであった。





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