第二十六話 【追い詰められたランチタイム】

 毎日従業員食堂で安価なをモグモグしている女が、ある日突然手作り弁当を持参するようになった。


──うん、絶対に不自然だ。好奇どころか不審な目で見られるに違いない。


 お昼休み──そう踏んだわたしは、セバスチャンの持たせてくれた手作り弁当を片手に、十階建てオフィスビルの屋上へと続く階段をずんずんと上る。オフィスのある三階から十階までは勿論エレベーター移動だ。屋上までエレベーターは続いていないので十階で降車し、簡素で暗い階段を早足で上りきった。


(流石に無人じゃないか……)


 フェンスに囲まれたなかなかに広い屋上。ベンチやらテーブルやらが点々と配置され、休憩をするにはもってこいのスポットだ。ただ一つ、この夏空の下屋根がないのが難点であるが。


 そんな暑さに負けず炎天下の中、仲睦まじく並んで昼食をとる社内カップルや他課のグループが散見される。その間を通り抜け、わたしは隅のベンチに腰を下ろした。


「あっつ!」


 木製のベンチにも関わらず、座るには熱すぎた。ポケットからハンカチを取り出し、ベンチに敷いて腰掛けると幾分暑さはやわらいだ。スマートフォンを取り出し、小説家になろうのマイページを開く。



 二ノ宮芝桜先生著“管理官と問題児”



 “精術師と魔法使い”のスピンオフ作品だ。お行儀が悪いなと思いながらもランチタイムは貴重な読書時間だ──更新された最新話のページを開く。膝の上に乗せた青と白のギムガムチェックの巾着袋の紐を解き、中からお弁当箱を取り出そうとしたその時だった。


「お疲れさん。珍しいね、真戸乃まどの


 頭上から降ってきた声に、わたしは顔を上げるた。


「お疲れ様です、瑞河みずかわさん」


 同じ係の瑞河みずかわ姫妃ひめき先輩。可愛らしい名前とは裏腹に、なんともカッコいい人だ。女性にも関わらず身長が170センチメートル以上もあるスレンダーなハンサムレディは、毎日見事にサマースーツを着こなしている。初見で少しキツい印象を受けた凛とした目元にも、すっかり慣れてしまった。


「何読んでるの?」


 染め上げていない黒髪の短いポニーテイル頭を傾げながら、形の良い眉を持ち上げてわたしの方を見やる瑞河先輩。


「“管理官と問題児”です、二ノ宮先生の」

「ああ、この前お前が勧めてくれた作品ね。“精術師と魔法使い”一気読みしちゃったけど、ベルくんとルースくん、それにテロペアくんのBLが最高だったな」

「瑞河さん、なんですかその誤解を招くような感想は。わたしのベルくんになんてことを」

「ベルくん推しなの?」

「はい」

「アタシもだ」


 端から見ればバリバリと仕事をこなすキャリア・ウーマンのようなこの先輩は、わたしと同じくなろうユーザーである。が、しかし……少し変わっている──否、かなり腐っている。言うなれば腐女子というやつだ。


「何故? お前も読んだのでしょう?」

「読みましたけど……あれはBLじゃないですよ」

「BLと言えばあれだ真戸乃、ブラリザって知ってる?」

「ブラリザ? ブラウザじゃなくてですか?」


 この人は面倒見もよく良い人だが、腐った話になると止まらなくなる傾向が高い。わたしはそっちのジャンルはあまり得意ではないので、戸惑いつつも相槌を打つ。お腹が空いているので、早くお弁当を食べたいんだけどな。


「ああ、あれはいいよ……ってごめん、お昼の途中だったの」

「瑞河さんは食べたんです?」

「今からだよ。ってお前、弁当……? どうしたの珍しいね」


 わたしの膝の上の巾着袋をまじまじと見つめる瑞河さん。横に腰を下ろすと茶色いコンビニのビニール袋からおにぎりと菓子パンを二つずつ、それにペットボトルを取り出した。


「ええっとこれは……」

「作ったの?」


 まさか一昨日拾ったイケメン執事が作ってくれました、なんて言える訳がない。


「はは……夕食の余り物を詰めてきただけですよ」

「ふうん?」


 言いながらお弁当箱を取り出す。青色の可愛らしい二段重ねのお弁当箱だ。こんなのわたし持ってたっけな?


「どうしたの? 食べなよ」


 おむすびを頬張りながら玄米茶を飲む先輩の視線を気にしながら、わたしは巾着の中からお箸を取り出し──ん?


「なんだこれ?」

「メモ書き?」


 二つ折りにされた手のひらサイズの小さなメッセージカード。先輩から見えないようにサッと下に隠し、ゆっくりとカードを開く。



「なっ……!!」





『ほたるさんへ


 初めての御弁当でしたので、つい張り切って作ってしまいましたことを御許し下さい。よかったら帰宅後に感想を聞かせて下さいね。


 明日からは普通の、ごく普通の御弁当を作るよう心がけますので 何卒』





「なんじゃこりゃ……」


 手の中の薄ピンク色のカードに並ぶメッセージをもう一度読み直す。なんだこれ、新婚さんか?


「へえ、随分と豪勢な夕食だったんだねえ」

「なぁぁあっ! 勝手に開けないで下さいよ!」


 振り返り、瑞河さんが勝手に開けたお弁当箱の中を覗く。なんだこれ、お節料理か何か?と見紛うほど豪勢なおかずが詰め込まれていた。

 ミートローフにエビチリ……鴨肉のようなものから牛肉のしぐれ煮と、お弁当のレベルを遥かに越えている。ご飯に至っては何故か赤飯の栗おこわだし。ていうかおかず、お肉ばっかりじゃないか!


「昨日の夜、パーティーか何かだったの?」

「え、あ、ハイ……」

「…………それ、彼氏?」

「え?」


 先輩が「それ」と言って指差したのは、わたしの手の中にあるセバスチャンからの手紙だった。


「お前、いつの間に彼氏なんて」

「ちちちち違います!」

「違うの?」



 待て、待て待て待て。



 彼氏ではないと否定するのは逆に駄目なんじゃないの? 彼氏でもない男がお弁当を作り、帰ったら感想を聞かせてくれという手紙に書いて持たせた──否定をしては駄目──しかし、しかしだ。


 この瑞河 姫妃という人は──。


「彼氏じゃないんだ?」

「──ハイ」


 不思議と、とんでもなく嘘を見破るのが上手いのだ。


 嘘をついたところで無意味。何故嘘をついたのかと問い詰められればもう逃げ場がなくなってしまう。それならば潔く白状したほうが身の為だ、が。


「彼氏じゃない男が弁当を作って、おまけにデザートまで作って持たせて感想を待っていると?」


 はて、デザートとは何のことかと瑞河さんを見ると、彼女の手の上にはわたしの巾着袋から出したであろう白いタッパーが乗せられていた。蓋を見るとご丁寧にも『デザートです』と紙書いて張り付けてあった。


「真戸乃?」

「……ハイ」

「アタシに話せる事案なのかな?」

「ええっと……」


 ピンチだ。


 絶対的にピンチだ。


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