第二十七話 【無自覚】

 朝、部屋に漂っていた甘い香りはこのデザートだったのか──と頭の片隅で考える。一体何が入っているのか、知りたくば瑞河先輩を突破せねばならない。


「真戸乃、もう一度聞く。彼氏ではないんだよね?」

「……ハイ」

「彼氏予備軍?」

「……チガイマス」

「元カレとか?」

「……チガイマス」

「じゃあ何なのよ?」


 変わったところはあるが、瑞河さんは信頼できる人だ。仕事においては勿論のこと、プライベートにおいても、ここからは入ってきて欲しくないというラインはきっちり守ってくれる。そんな人がここまで執拗に聞いてくるのは──きっとわたしのことを心配してくれているからなのだ。


「真戸乃、話せないの?」

「……叱られそうですし、信じてもらえそうにもないですもん」


 家の玄関先で執事を拾って同棲しているなんて、絶対に信じてもらえない。わたしだって聞いたことないもの。


「それは話してみないとわからないでしょ?」

「うう……」

「真戸乃」

「……わかりました。誰にも言わないで下さいよ?」

「うん」

「絶対ですよ?」

「わかったわよ」


 意を決してわたしは瑞河さんにセバスチャンのことを打ち明けた。家事の全てを買って出てくれているイケメン執事のことを。あ、一緒にお風呂に入っていることと、同じ布団で寝ていることは伏せておく。







「はぁッ!? 馬鹿なの? なに考えてんのッ!?」


「……すみません」


 開口一番、やっぱり叱られた。


「まるっきり他人なんでしょ?」

「そうです」

「なんでそんな男を家に上げたのよ」

「それは……」


 イケメンだったからです、なんて言ったらわたしはどうなるのだろう。パンチが飛んできそうだ。


「何されるかわかったもんじゃないじゃない!」

「あ、性欲ないって言ってたんで大丈夫です」

「そういう問題じゃないでしょ!」

「すみません……」

「そんな都合の良いことを言って、いつ襲われるかわからないじゃない」

「大丈夫でしょ」

「大丈夫じゃないでしょ! しっかりしなさいよ! 犯されても構わないと言うの!?」

「……それは────」



 続きが出てこない。何故だろう、言葉に詰まってしまう。



「はあ……全く」


 大きく溜め息を吐くと、瑞河さんは「食べなよ」と言ってわたしのお弁当を顎でしゃくった。頂きますと言って口に運ぶ。わかってはいたがとても美味しい。冷めているのにこんなに美味しいなんて、不思議だ。


「それもその彼が作ってくれたの?」

「そうです」

「えらく大事にされてるんだね」

「……え?」

「そんなに豪勢なお弁当、朝早くから作ったんでしょうよ。お前のことを大事に思っていないとそんなこと出来ないよ」

「そうですかね……」


 これが務めだからと言って三食きっちり作ってくれるセバスチャン。先輩から受け取ったデザートの入ったタッパーの中には、プレーンのフィナンシェが入っていた。


「感謝しなきゃ駄目だよ、真戸乃」

「……そうですね」


 自身の昼食をばくばくと食べ終えると、瑞河さんはごみを一纏めにし、わたしのフィナンシェを一つねだった。どうぞ、と差し出すと一口でそれを口に押し込む。


「美味しいね」

「食事もいつも美味しいんですよ。掃除もよくしてくれるし、洗濯物を畳むのも上手いんです。それに笑顔も素敵で」

「へえ……」


 相槌を打ちつつ、先輩はもう一つフィナンシェをねだる。


「ところで真戸乃、何かオススメのなろう小説はない?」

「ジャンルは?」

「ミステリーファンタジーで、冒険っぽいのないかな?」

「んー……だったら“愛した人を殺しますか?――はい/いいえ”とかどうです? 夢伽 莉斗先生の」

「変わったタイトルね。どんな話?」


 “愛した人を殺しますか?――はい/いいえ”──略称“愛殺”。呪いにかけられた主人公の少女メアリが、呪いを解くために文字通り愛した人を殺さねばならないというストーリーだ。


「メアリは海賊なんです。冒険をしながら愛した人を探すって感じのお話です」

「ふむふむ」

「人外というか、色んな種族が沢山出てきて面白いですよ」

「読んでみるわ」

「わたしもブラリザ? 読んでみますね」

「正確なタイトルは“ブラッドラスト・リザレクション―蘇りの吸血鬼王と宿命背負う聖女―”だから」

「長いですね……」

「だからこその略称でしょ? ブラリザ、作者は水滝 柏先生だから」


 と、ここで瑞河さんは手首に巻いた腕時計をちらりと見やる。


「休憩残り十分だ」

「じゃあそろそろ──」

「ねえ真戸乃」


 お弁当箱の入った巾着袋を手に立ち上がったわたしの背に、瑞河先輩が声をかける。


「愛した人を殺しますか、か……」

「え?」

「……例えば」

「例えば?」


 振り返って見た瑞河さんの顔は、今までに見たこともないほど真剣なものだった。


「お前は殺せるのか? その男……家にいるというその執事を」

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