第二十八話 【未だ気付かぬ本心】

「先輩、何を言って……」


 愛した人を殺しますか──お前はその執事を殺せるか──だって?


「出来の悪い後輩ですみませんが、意味が全くわかりません」

「言葉通りの意味だよ。例えばお前自身が呪いにかかっていて、愛した人を殺さないとそれが解けないとしたら……お前はその執事を殺せるのか」


(何を──瑞河さんは一体何を言っているのだろう)


「……わたしがあの人を愛しているとでも言うんですか」


「だって真戸乃、同じ顔してたよ?」


 刹那、熱気と湿気を孕んだむわりとした風がわたしの頬を撫でた。肩の上で髪が揺れ、一瞬瑞河さんの顔が見えなくなる。


「同じ顔……?」


「前に付き合ってた彼のことを話す時と同じ目をしてたよ、お前」


 風が止む。瑞河さんの表情は元に戻っていた。


「そんな、まさか」


 カッ、と顔が熱くなり、言葉に詰まる。前に付き合っていた彼とは正しく桃哉とうやのことだった。交際していた当時、聞き上手な彼女にわたしは幾度となく桃哉の話をしたのだ。


「なんでですか、そんな……そんなわけ……わたしが、セバスさんのことをそんな」

「セバス?」

「瑞河さん、時間が。休憩時間終わっちゃいますよ」

「待て真戸乃、話はまだ終わって──」

「遅れたら課長に叱られちゃいますよ!」

「それはいかん!」


 周りを見るとあれだけ沢山いた社員達は皆姿を消していた。わたし達も急いで屋上を後にする。


「ダッシュだ真戸乃!」

「イエスッ!」

「……さっきの話はまた後日だ」

「いえす……」

「何か困ったことがあったら言いなさいよ」

「ありがとうございます」







 階段を駆け下りてエレベーターに乗り、オフィスのある三階に到着。スマートフォンの時計を確認すると、休憩時間終了まであと六分ほどあった。


「瑞河さん、わたし御手洗いに寄るので先に行ってください!」

「遅れるなよ!」

「一分で済ませますっ!」


 




 ささっと化粧を直し御手洗いを出ると、休憩時間終了まで残り四分──不味い。ローヒールを履く足に力を込め、わたしは走り出す。



「──きゃ!」

「うわっ!」


 少女漫画の登校時間を彷彿とさせる衝突っぷりだった。角を曲がった所でわたしは正面から来た人物の胸に体をぶつけ、後ろに尻餅を着いた。お弁当の入った巾着袋が床に転がった。


「ったぁ………………すみません、大丈夫ですか…………げっ!」

「明るいグレー?」

「え……? なっ……どこ見てんの馬鹿ッ!」


 尻を着き、立てた膝とスカートの隙間を食い入るように──というか、その人物は床に這いつくばってわたしのスカートの中を覗き込んでいる。白いカッターシャツとブルーのネクタイが床に着くのもお構いなしのようだ。

 生憎今日のわたしは薄桜色のフレアスカート姿。ストッキングはベージュなので、スカートが捲れてしまえばバッチリ

下着が透けて見えてしまう。



──見る奴がいればの話だけど。



「もっと色っぽいの穿けよ」


 立ち上がり、膝に着いた埃を叩きながら男は残念そうに言う。なんでこんな奴に残念がられないといけないのだろう。


「うるさい! 見えないけどレースついてんの! 色っぽいわ!」

「見えなきゃ意味ねーだろ!」

「このぉっ!」


 拳を振り上げ、変態野郎の頭に振り下ろす。無駄に背が高いので、軽快に飛び跳ねて後頭部にお見舞いしてやった。


「痛えよ!」

「うるさいセクハラ野郎!」

「何だとこのブス!」


 この変態は同期の核村さねむら 徹平てっぺいという。スポーツマンのような短髪は、印象を良くする為に真っ黒に染めている。涼やかな目元に騙されてはいけない。こいつは本当に、本当にどうしようもない奴なのだ。入社式で隣になってからというもの、変に絡んでくる迷惑な男だ。

 課が違うので仕事の出来は知らないが、頭の出来は小学生並みだ。


「ブスで結構! ああもう! 時間無いのに!」

「お前がトイレ長いのが悪い」

「あんたに言われたくないわよ!」


 言い返して膝を折り、床の巾着袋を拾い上げる。立ち上がった次の瞬間だった。


「──っ……」


 突然立ち上がったことによる目眩。ぐらりと視界が揺れ、壁に手を着いた。



「大丈夫か、るーるー」

「……人をファンタジーゲームのセクシーキャラみたく呼ばないでよ」

「ほたるだから、るーるー」

「ハイハイ」


 よろけたわたしの肩を抱く核村の手を払いのけ、オフィスへと急ぐ。


「核村も早くしないと遅れるよ」

「……なあ、あのさ、るーるー」

「時間ないって言ってるじゃない……後にしてよ」



 核村の返事を待たず、わたしは背を向けると小走りでオフィスへと向かった。


 取り残した核村がどんな顔をしていたのか、わたしが知る由もなかった。





 わたしがオフィスへ滑り込んだのは、休憩時間終了一分前だった。皆デスクに着いている。不味い、非常に不味い。

 出来るだけ気配を消しつつ自分のデスクに向かう──が。


「真戸乃くん」


「ハイ」


「来たまえ」


「ハイ」


 バレた、不味いバレた。


 一番恐れていた課長に──十紋字じゅうもんじハゲ課長にバレた。


 わたし、またしてもピンチである。

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