第四十五話 【girls talk】
『うっへ~……キッツぃねえ」
電話越しの葵が大きな溜め息を吐いている。かれこれ二十年近い付き合いの彼女に、わたしはこういうことがあると決まって電話を掛けるのだ。
『心に決めた人ってのがほたるだってことはないの?』
「わかんない……」
立ち上がって湯船から出る。あまり長風呂をするとのぼせてしまうので、風呂椅子に座って湯船に背を預けた。
『この前会えなかったし、週末会ったときにちゃんと聞くよ。具合どうなん?』
「具合はまあ悪い……うん……あ」
『なに?』
「そういえば待って下さいって言われた 」
『なにを?』
あの時お風呂で──セバスチャンは「私の恩返しが済むまで待って下さい」と言った。恩というのが何なのか、わたしが全てを知ってしまったら拒絶するだろうからと言って言葉を濁したのだった。
『……で、ほたるは何を待ってんの?』
「何って…………あれ?」
記憶を遡りよくよく考える。わたしは一体何を待っているのだろう。彼に抱きついて、拒絶されて、恩返しが済むまで待って下さいと言われた。
「上手いことはぐらかされただけ?」
『そんな風に聞こえるねえ』
「結局、わたしはどうしたらいいんだろ?」
『とりあえず、その恩ってのが返されるまで待機するしかないんじゃないの?』
「だよね……」
きっと詳しいことなんてセバスチャンに聞いても教えてくれないだろう。そうなればやはり葵が言うようにただ待つしかないのかもしれない。
『とりあえずさぁ、いつも通りの態度で接しないと駄目だよ? 週末私に会うまで耐えるんだよ、ほたる』
「うん……ありがとね。ごめんね、こんな時間に」
『構わん構わん。じゃあまたね』
電話を切ってもう一度湯船に浸かり、お風呂場を出た。その日は具合が悪いからとセバスチャンに告げて、早めに布団に入った。
*
失恋してからの一週間なんてあっという間だった。出来るだけいつも通り、セバスチャンと会話をしてきたつもりだった。時間の経過と共に体調もすっかり良くなって、出かける前にわたしは──。
「セバスさん」
「はい?」
「明日からお風呂、一緒に入れそうです」
「ありがとうございます!」
この執事は、なんて嬉しそうな顔をするのだろう。にっこりと細めたその瞳にはいつもの蒼いカラーコンタクトを入れていない。珍しく黒縁のシンプルな眼鏡姿の執事は、どうやら少し寝坊をしてしまったらしい。出かける前にコンタクトを入れるつもりなのだとか。
「じゃあ、行ってきます。セバスさんもお仕事頑張って下さいね」
「ありがとうございます、御気をつけて」
日曜だというのに、セバスチャンは珍しく仕事らしい。わたしを見送ったらすぐに出勤をすると言って既にスーツ姿だった。
迎えに来てくれた葵の車で向かうのは隣の市との境にあるカフェレストランだった。なんでも、ホテルと結婚式場の複合施設に併設して作られたばかりの、新しいお店らしい。
「よくそんなとこ見つけたね」
「グルメ雑誌見ててさー、載ってたんだ。んで、詳しく調べたらそこのカフェで出るスイーツが美味しいみたいでさ」
トイレ休憩に立ち寄ったコンビニで、葵がスマートフォンでホームページを見せてくれた。花と緑に囲まれたガーデンウェディングが売りの結婚式場だ。
「ここならわたしも知ってる。式の後に隣のホテルにも泊まれるから、お酒を飲んでも帰りに困らないって誰か言ってたな……」
「それ私だよー」
「そうだっけ?」
「ほたる、ボケたのー?」
「違うもんっ」
飲み物を購入し、カフェまでの道中、葵にセバスチャンと出会った経緯をゆっくりと話した。職場の先輩の
「
「
「まあ、そうだけどさあ……あんたを抱こうとしてる時に、セバ氏に殴り飛ばされたって……ウケる」
「……気の毒なんじゃなかったの?」
わたしの隣で声を上げて笑う葵の、マッシュボブがはらはらと揺れた。その奥で耳に着けた青いビーズのピアスもつられて揺れる。
「わたしも、葵みたいなカッコいい服装が似合えばなあ」
「いいじゃん、ほたるはさー、女子っぽい服が似合うんだから羨ましいよ」
「そっかなあ?」
ぴったりとした白のトップスに、サックスブルーのワイドパンツ。銀のヒールを合わせた葵は、いつだってどこかカッコいい空気を纏っている。内面が外面に滲み出ている様は、彼女の昔からの魅力の一つだった。
「私はさー、ほたるが着るような女子って感じのワンピースとか、似合わないし」
「葵が着るとカッコいいと思うけどな」
「ないない」
ハイウエストのウォーターグリーンのワンピースは、わたしのお気に入りだった。出かける前にセバスチャンが「お似合いですよ」と言ってくれたので、調子に乗って珍しく小さなピアスも着けたのだ。
「ほたるこそさー、こういうの着てみればいいのに」
「似合わないって」
「そかなー? お、着いたよ」
駐車場は混んではいたが、如何せん広い。建物まで少し距離はあるが車を止め、二人して目的のカフェへと向かう。
「ん……え?」
「どした?」
「あれ……」
おしゃれなカフェの入口を少し進むと、土産物を販売するこじんまりとしたスペースがあった。店内で出される紅茶や茶器、焼き菓子などが陳列してある中に、見覚えのある淡いグリーンの縦長のケースが並べられている。
「ネギケース……」
「
「うちにあるんだよね。セバスさん、ここで買ったのかな……でも売り物じゃないって言ってたけど……」
「これぇ?」
ネギケースを手に取った葵は、訝しげにそれを見つめる。近くの店員さんが寄ってきて「当店のお勧めですよ」なんて言うもんだから、引っ込みがつかなくなってしまった。
「すみません、十一時に予約してるんで後で見ますね」
そう言って葵はケースを元の位置に戻し、わたしの手を引いて足早にカフェスペースに向かった。黒いベストを着た受付のウエイトレスに「予約した
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