第四話 【御手洗い事情】

 キッチンに立って、一番始めに冷蔵庫に入れたのだというビールグラスは程よく冷えており、黄金色の液体はあっという間にわたしの喉から胃へと流し込まれた。


「はあ……ビールが旨い」


 セバスチャンが用意してくれたおつまみは、なんと手羽先のから揚げだった。揚げ物なんてしてたっけ?


「それはですね、スーパーのお惣菜ですね。トースターで温め直しました」

「なるほど」


 まさか執事がスーパーのお惣菜をつまみに出すとは思わず、わたしはこっそりと苦笑する。


 しばらくビールを飲みつつ、先程閉じてしまった「小説家になろう」のマイページを開く。


「なんか読もっかな」


 手羽先に齧り付き、ブックマークページの中から読みたい作品を選ぶ。ふむ……。


 京野うん子先生。乙女が声に出すのは気が引ける強烈な名前だが、作品はずば抜けて面白い。あの短編はすごかったなあ、なんて思い返しながら、なんとなく京野先生の作品一覧をチェックしてみる。


「"徒然ww"……?」


 何だろう、面白そうだ。へえ、徒然草の現代風アレンジか……。


 ……


 …………


 ………………。


「せいっ!!!」


 下ネタ満載じゃないか。いや、大変面白いんだけど、お酒が回り始めた今のわたしには駄目だ。卜部先生と同じ状態になってしまう。非常にいかん。

 しおりを挟んでブックマークをし、マイページに戻る。そうだな……こうしき先生の"英雄と呼ばれた破壊者の創るこの世界で"でも読むか。アクション小説だし、大丈夫だろう……時々不意を突かれて焦ることもあるけど。


 毎回思うけど、タイトルが無駄に長いんだよね。


 ……


 …………


 ………………。


「せいっ!!!」


 言って思わずスマートフォンを床に叩き付ける。なんだこのシーンは! 戦闘してたのに、なんでラストこうなった!? 卜部先生と同じ状態になってしまう! 

 今この部屋でムラムラするワケにはいかないだろうに。なんたってセバスチャンがいるのだ。彼が帰るまでは我慢しなければ。


「あー、もうっ!」


 思わずビールを一気飲みしてしまう。


 追加のビールを出そうと立ち上がると、お風呂の掃除を終えたセバスチャンが、浴室から出てきた。

 わたしに視線を飛ばした彼は、そのまま冷蔵庫へと直進。更に冷えたグラスに追加のビールを取り出し注ぐと、盆へと乗せわたしの元へと運んできたのだ。


「なんか、気遣いがすごいですね」

「執事ですから」

「はあ、そうですか……」


 少々どきりとしながらも、そのグラスを受けとる。


「よいしょっと」


 徐にセバスチャンがわたしの正面に正座をした。なんで正座?


「なにか?」

「いえ、別に……」


 うーん……そろそろお風呂に入りたい、それ以前に着替えたいしトイレにも行きたいんだよね、とは口に出さないが。


 しかしこの人はいつ帰るのだろうか。


「よっ」「よ」


 同時に立ち上がる。私は向かって左へ、セバスチャンは向かって右へ一歩踏み出す。


「どうぞ」「どうぞ」


 互いに進路を譲る形で手を差し出す。このまま譲り合っても、私が根負けする結果は見え見えだったので、素直に「どうも」と言いトイレへと向かう。


「あ、ほたるさん」


 トイレのドアノブを私が握ったところでセバスチャンが声を掛ける。


「はい?」

「私も行きますので電気はつけたままで大丈夫ですよ」



(うそでしょおおおおおおお!!!)



 いや、待って。


 自分が使った直後のトイレに、同性が入るのも躊躇われるというのに。今日初めて会ったばかりの異性が入るだなんて……無理。


「ほたるさん?」

「あ……はい……」

「……?」



────バタンッ!







 どうしよう。





 とりあえず換気扇を回す私。消臭スプレーなんて一人暮らしに不要な物は、あいにく置いていない。唸りながら首を回す──────



 うーん……


 うーん…………あ……! これでどうにか……!













「……お待たせしました」

「はい、失礼します」





「はあああああああ…………何やってんだわたし……」






 まさか自宅のトイレで芳香剤を振り回すことになろうとは。香りつきのものを置いといてよかった。トイレ内は現在、レモングラスの爽やかな香りに包まれている、はずだ。

 

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