第五十六話 【告白】

 わたしの目の前で土下座をするこの男を、どうして責めることが出来ようか。全てはわたしのことを思ってやってくれたこと。そりゃあ後をつけて家の場所を知ったなんて言われたときは驚きもしたけれど。

 出会って初っ端にそれを聞いていたら、激しく非難したとは思う。けれど──今となってはそんなことすらどうでもよくなるくらい、わたしは彼に惚れ込んでしまっていた。

 恋は盲目?そうかもしれない、けれどわたしが彼を好きな気持ちに嘘はない。だからそんなことで彼を責めたりなんて、しない。わたしは受け入れたいのだから。



「頭を上げて下さい」


 一度に言ったくらいでは、セバスチャンの頭は上がらなかった。



 彼の話を聞いて確かに、わたしの記憶を辿ると背の高い、当時「眼鏡くん」と呼んでいた後輩の姿がうっすらと残っていた。放っておけない可愛らしさがあって、つい構ったりしていたけれど。まさかあの線路に落ちた彼が、十年の歳月を経て執事と名乗りわたしの前に現れるなんて。



「セバスさん……セバスさん。お願い、お願いですから、頭を上げて下さい。そうじゃなきゃ嫌いになってしまいますよ」


「……それは困ります」


 その一言が効いたのか、彼は小声で呟きながらスッと頭を上げた。気不味げに伏せられた目と目は合わないので、わたしはそっと彼の手を握った。


「罵倒も非難もしません。だって、わたしだって……わたしだって……あなたのことが……っ!」


 セバスチャンに抱きすくめられ、言葉は途切れてしまった。唇が彼の肩に押し当てられ、声を発することが出来ない。もぞもぞと身を捩り、息を吸った。彼の肩に顎を乗せ、そして──。


「ほたるさん」

「……はい」

「先程も申しましたが、私は……あなた様を御慕いしております。いえ──好きです、大好きです。昔からずっと、ずっと──でも私は、私のしたことは許されないことで──」

「──待って」


 きつく抱き締められているので腕が動かせない。仕方なしに指先で彼のシャツの袖を掴んだ。


「嘘みたいです。わたしだってあなたのことが好きなのに、あなたみたいな素敵な人がわたしのことを好きだなんて、そんな」

「何を言って……」

「わたしは……セバスさん、あなたのことが好きだと、そう言ったんです」


 腕の力を緩め、わたしを解放したセバスチャンは不思議そうに瞳の奥を覗いている。首を傾げると小さく笑いだしてしまった。


「フフッ、またまた。ほたるさんが私に惚れる要素なんてどこにあるんですか」


 自分だけ告白して、どうやらセバスチャンはわたしの言葉を信じてくれていないようだ。わたしの肩を軽く叩くとそのまま立ちあがり、キッチンへ向かおうとする。


「まっ……待って!」


 膝立ちになり、セバスチャンの腰に抱きついた。振り返らない彼に、わたしは懸命に言葉を投げた。


「好きになる要素がないなんて、そんなことありません! あなたは……あなたは本当に素敵な人です! わたしのことをいつも大事にしてくれる、思いやりのある優しい人です! 笑顔も大好きです!」


 言い終えて、顔が熱くなっていることに気が付いた。恥ずかしくなり、彼の体から腕が離れてしまった。


「あの、わたし、」

「ほたるさん」


 くるりと振り返り、わたしに合わせて膝立ちになったセバスチャンは、今日何度目かの抱擁をわたしに──。


「なんでしょうか?」

「つまり私たちは両思いということでしょうか?」

「そうですね……」

「本当に、本当ですか?」

「本当に、本当にですよ」

「嬉しい──ですが、私のほうが好きなので」


 不意に目が合い、セバスチャンの顔が──唇が迫ってくる。


「ん──」


 そのまま重なり、互いが互いを求めるように何度も、何度も吸い合った。勢いに押されたわたしの体は床に押し倒されるが、それでも尚繋がっている部分は離れない。舌と舌が口内を犯し合う音に欲情し、体は火照り熱を孕む。


 このまま彼に溺れてしまえとわたしの中の悪魔が囁く。それを拒もうと手に力を込めると、唇が離れ、繋がっていた銀の糸は途切れた。セバスチャンは物欲しげな瞳でわたしの髪を鋤き、唇で首筋に触れた。


「あ……のっ」


 顎のすぐ下を吸っていた唇は徐々に胸元へと下がってゆく。鎖骨を舌でなぞられたところで、わたしは身を捩り抵抗した。


「待って、待って下さい……このままだと、その……多分花火大会に行けなくなっちゃいますよね? わたし、セバスさんの作ってくださった浴衣、着たいです」


 わたしの言葉にセバスチャンの動きが止まった。ハッと顔を上げると、恥ずかしそうに視線がさ迷い始める。


「そう、ですよね……すみません早まってしまって」


 わたしの上から下りたセバスチャンは、わざとらしく咳を払い頭を下げた。「申し訳ありません」と言って額を床につけるので、無理矢理にその頭を引き上げた。


「やめて下さい。セバスさん……あなたはまだ、いえ、いつまでわたしの執事なんですか? 執事でないのなら、そういうことはやめて下さい」

 

「お言葉ですが」


 着衣と髪を整えたセバスチャンは、わたしの正面に正座をして膝を詰める。


「わたしはまだ、あなた様の執事です。執事として最後に、あなた様をエスコートさせて下さい」


 徐に立ち上がったセバスチャンは、 わたしにシャワーを浴びるよう促す。汗を流してから浴衣を着たほうが良いだろうからと言って、無理矢理背中を押された。


「汗、そんなにかいてないと思うんですけど……」


 抱きつかれた時に、ひょっとして匂いが気になったのかなと、わたしは自分の肩をくんくんと嗅いだ。


「いえそんな、匂いが気になるとかではなくてですね……えっと、ですね」

「……やっぱりわたし、くさいですか?」

「ち、違います違います!」


 両手を顔の前でぶんぶんと振って、激しく否定をするセバスチャン。一体どうしたというのだろう。


「その……いつもと匂いが違うのが、気になって」

「匂い?」

「桃哉さんの御家でシャワーを浴びられたのでしょう?」

「あ……」


 なるほど、そういうことか。恥ずかしさで俯くセバスチャンの耳は赤い。多分わたしの耳も赤いと思う。顔が熱くて仕方がない。


「わたしから桃哉と同じ匂いがするの、嫌なんですか?」

「嫌です!」


 ちょっとからかって言ったつもりだったのに、真顔でそんなに怒らなくても。小さく笑って「わかりました」と告げると、わたしはお風呂へと向かった。






 シャワーを浴びた後、浴衣の着付けもヘアアレンジもセバスチャンがしてくれるというので任せたが、なんとも恥ずかしかった。浴衣用の肌着を着た方が良いと言うのでブラジャーは外されるし、終始体は密着しているので心臓はドキドキしているし。


 先程シャワーを浴びている時に、ひょっとしたら彼も途中参戦するのかな、なんて身構えていたのだが、それは叶わなかった。後になって聞くとと「恥ずかしいから後で入ろうと思って」ということだった。


「恥ずかしいから?」

「というか……色々我慢出来ない可能性があるので」

「いろ……いろ……ですか」


 その言葉に二人揃って赤面してしまう。


 真剣な顔付きで着付けてくれているセバスチャンには悪いが、わたしは一人頭の中でモヤモヤとした考えを追い払うのに必死だった。


「髪も少し伸びましたし、まとめてかんざしを差しましょうか」


 着付けが完了し鏡の前に座ると、セバスチャンは手早くわたしの髪をセットした。後頭部の真ん中辺りに小さなお団子が出来上がり、どうやらそこにトンボ玉のついた簪を差してくれたようだ。


「完成です、お疲れ様でした」


 部屋の隅に置いている全身鏡をくるりと返すと、浴衣姿が映し出された。後ろで肩に手を添えてくれているセバスチャンは満足そうに微笑んでいた。


「素敵……ありがとうございます」

「よく御似合いです」


 帯もなかなか凝った風に結んでくれているので、体を捻りながら鏡を覗き込む。写真を撮って葵に送っている間にセバスチャン自身も浴衣に着替え、わたしと同じ髪型になっていた。勿論、簪もお揃いだ。


「とってもよく似合ってますね」

「そうですかね? ありがとうございます」

「そうだ、セバスさん──あの……」


 帰宅し置き去りにしていたハンドバッグの中から、葵に貰った紙袋を取り出す。封を開けると鉢の中で泳ぐ金魚のついたストラップが、ころんと手の中に落ちた。セバスチャンが家の鍵につけていたのとは違うデザインだった。


「これ、葵が買ってくれて。三人お揃いになるんですけど、よかったら」


 そう言って差し出すと、嬉しそうに微笑んだセバスチャンは礼を言いながらスマートフォンにそれを取り付けた。


「うちの店の物ですね」

「はい、これで……お揃いです」


 セバスチャンに倣ってわたしもスマートフォンにそれを取り付けた。


 着ていた服を片付けて準備を整えると、手を繋ぎ二人で花火大会へと向かった。




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