第五十七話 【あまいじかん】
家を出るのが早かった為、会場のすぐ近くの駐車場に車を止めることが出来たのはラッキーだった。そこから歩いて海沿いの屋台が並ぶ場所へと移動をしているが、慣れない下駄はどうも歩きにくい。セバスチャンが用意してくれた下駄は、デザインも素敵でサイズもぴったりだったが、どうしてものろのろ歩きにになり、彼の手を煩わせてしまう。
「すみません、遅くて……」
「大丈夫ですよ」
手を繋ぎ、わたしに合わせてゆっくりと歩いてくれるセバスチャン。そんな彼の浴衣姿に見蕩れて、ついぼうっとしてしまう。それにしても彼はどうして同じ下駄なのに、こんなにもスタスタと歩けるのだろうか。練習でもしたのだろうか?
「あ、ほたるさん、かき氷! かき氷がありますよ!」
子供のように目を輝かせたセバスチャンは、わたしの手を強く握り、かき氷の屋台に釘付けになっていた。
「かき氷、食べます?」
「でもいちご飴も捨てがたい……」
そういえば甘いものが好きなんだったなと小さく笑うと、彼は腕を組み本気で悩み始めた。
「セバスさん、わたしがいちご飴の列に並ぶのでセバスさんはかき氷の方に行ってきてください」
「しかし……」
「大丈夫ですって」
籠バックの中から財布を取りだし紙幣を一枚抜くと、財布をセバスチャンに預けてわたしは二つ隣の屋台の列へと向かう。
「かき氷の味はお任せします!」
心配そうにわたしを見つめるセバスチャン。何をそんなに心配することがあるといのだろう。
列に並んで周りを見ると、やはりというかカップルばかりだった。仲睦まじげに腕を絡める組や、買ったばかりのりんご飴を二人揃って舐め始める組はそのまま唇を重ねたりなんかして。
(目のやり場に困る……)
無事にいちご飴を購入し、列から離れたその時、側に居合わせた三人組の男のうちの一人と目が合った。とてもいちご飴を食べるとは思えないような顔つきの男だった。
「……虫女?」
首を傾げながらその男はわたしに近寄る。警戒体勢を取ろうとするが、流石に浴衣では思うように体が動かない。
「どちら様?」
「俺だよ、アキラ」
「知らない」
「昔、線路に落ちたのをお前に助けてもらったアキラだ」
「……ああ」
セバスチャンに話を聞くまですっかり忘れていたが、そういえば彼と一緒にもう一人線路に落ちたんだった。名前どころか顔なんて全く覚えていない。それなのにアキラと名乗った男は、わたしの手首を掴み無理矢理引き寄せようとする。
「連れがいるから離してくれない?」
「どうせダチだろ? 男と遊ぶからって連絡しとけよ」
「……はあ?」
周りの人だかりは、そんなわたしたちを見て見ぬふりだ。これにも慣れている。仕方なしに開いた方の手を手刀に変え、男の手首に振り下ろしてやろうと──するが。
(いちご飴が駄目になっちゃう!)
このまま手を振り回したら、折角買ったいちご飴がぐちゃぐちゃになってしまう。悲しむセバスチャンが脳裏に浮かび、攻撃を躊躇ってしまう。
「離してったら!」
「離して欲しけりゃ昔みたいに暴れな」
人混みからはどんどん離れて行き、暗く
「や……ちょっと!」
「乱暴されたくなけりゃ黙ってろ」
はだけた胸元に男の手が伸びてくる。心の中でセバスチャンに謝りながら、いちご飴の入った袋をそっと地面に落とした。男の胸ぐらを掴み頭突きを食らわせると、左手で頬を殴り飛ばしてやった。
「やっと両手が開いた……さてと」
下駄を脱ぎ両手にそれを握ると、起き上がりかけた男のこむかみにそれを撃ち込んだ。呻き声と共に男は倒れ、正面から残る二人の男が駆けてくる。
「アキラがやられた!」
「ふざけやがってこの虫女!」
昔の血が踊るなんて恐ろしいことは言わないけれど、これも正当防衛だと己に言い聞かせ拳に力を込めた──その時だった。
「虫女と言うな!」
暗いし下着なんて見えないだろうと浴衣の足元を開き、腰を屈めた瞬間──耳に届いた叫び声。暗闇から現れたのは、いちご味のかき氷を握りしめたセバスチャンだった。わたしの前に立ち塞がりそっと抱き寄せてくれる。
「御怪我は!?」
「ありません、大丈夫です」
安堵の表情を浮かべたセバスチャンは、対峙する男達を睨み付ける。
「
その言葉に一人は立ち止まり、一人は一直線に突っ込んでくる。向けられた拳を軽々と止めると、セバスチャンはその腕を捻り上げてしまった。悲鳴を上げた男はそのまま伸びている二人を引きずりながら去っていった。
「ありがとうございました」
「ほたるさんが無事でよかったです」
手渡されたかき氷を受けとると、着崩れた浴衣をセバスチャンは手早く直してくれた。相変わらず良く出来た執事だ。
「でも、いちご飴が……」
地面に落としたいちご飴の袋は、踏みつけられることはなかったが、落とした衝撃で潰れてしまっているかもしれない。
「大丈夫そうですよ、ほら」
袋から取り出されたいちご飴は無事に原形を保っていた。袋を拾い上げたセバスチャンの姿に、ホッとして息を吐くとふわりと抱き寄せられた。
「飴の心配なんて……全く、あまり無茶をしないで下さい」
「……すみません」
「連れていかれる姿が見えたからよかったものの、もし何かあったら……」
「ごめんなさい。反省してます」
「そんな悲しい顔をしないで下さい」
前髪をそっと払われ、唇が重なった。完全な不意討ちのそれに、わたしは照れて周りを見渡してしまう。
「だ、誰かに見られたら……」
「誰もいませんよ?」
誰もいない──その言葉に思うところは同じだったのか、目の合ったセバスチャンは少し恥ずかしげに顔を伏せた。伏せられたその頬にそっと触れ、今度はわたしが彼の唇に触れた。
このままだと止まれなくなってしまうな、なんて考えながら唇を重ねていると、花火の上がる音に意識を奪われた。二人揃って音のした方に顔を向けると、夜空に打ち上げられる花火に釘付けになった。
「綺麗……」
「見に行きましょう」
最後に一度だけ抱擁を求めて彼を見つめたが、不意に周りに先程まではなかった人の気配を感じだ。どうやら花火の上がる時間になって、近所の人々が家から出てきたようだった。あっという間に人の波が押し寄せ、それに流されてしまう。
「続きは帰ってから、ですね」
「う……」
わたしが言葉に詰まると、セバスチャンがかき氷のスプーンを口に運んでくれた。同じスプーンでセバスチャンもかき氷をもぐもぐと食べている。
(……恋人同士みたい)
そういえばお互いに気持ちは伝え合ったけれど、わたしたちはこれからどういう関係になるんだろう。その辺りの話は出来ずじまいだったけれど、今この人混みで話すのも憚られた。
(帰ってからゆっくり話そ……)
花火の良く見える場所へと向かう前に、たこ焼きや回転焼き、チョコバナナにベビーカステラなんかを購入した。甘いものばかりなことに気が付いたのは、並んで座り花火を見ている最中だった。
少し食べ過ぎた気もするけれど、身を寄せ合って見る花火は最高に綺麗だった。
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