第二十四話 【side:she→side:he Ⅱ】

「──抱いて」


「……は…………い?」


 今、何と言った?


 俺を抱き締めた彼女は、今何と言った?


「……ねえ、抱……いて……」

「ええっと、こう、ですか?」


 ベッドの上で身を捩り、破廉恥な格好の彼女をぎゅうっ、と抱き締めた。ああ──色々なものが当たってなんだか、非常にマズい。


「ちがう、ちーがーうー……」

「違うのですか!?」

「ちがうよぉ……」


 駄目だ。完全に酔っぱらっている。俺の腕を払いのけ、身を起こす彼女。ちょこん、とベッドの上に座ったかと思いきや俺の体を乱暴に押し倒し馬乗りになった。


「せっくす、するの……」


「……何と?」


「せっくす、するのぉ……」


「ななっ……何ですとぉぉぉおっ!?」


「もおお……だーかーらぁ……」


 ボタンの開いていたパジャマをするりと脱ぐ。細い首筋を汗が伝い、丸みを帯びた肩と胸が露になった。

 何だこの人は、脱ぎ上戸か? 外でお酒を飲んだら大変なことになるんじゃないのかこれ……?


「せっくすするの!」


 言いながら彼女は、そのまま俺の上に倒れこんだ。やわやわとした体が押し当てられ、色んな場所が非常に苦しい。

 え、あ……いや、俺もさっき勢いで全裸のまま抱き締めてしまったけど。あれはそう、勢いだから。勢いって本当に恐ろしい。だからこのまま勢いで彼女を抱こうなどと、一ミリも考えてはならないのだ。


「待って、ほたるさん御気を確かに!!」


「わたしはまじめですっ」


「真面目にセックスするんですか!?」


「うん」


 こくりと頷き己の背に手を回す彼女。ちょっと待って、一体何を──いや、これは……ひょっとしてまさか────!


「えい」


 うむ、やはりそうきたか。ブラジャーのホックを外し、手に取ったそれを枕元にぽん、と置く彼女。枕元というか俺の頭の真横だ、これは流石にキツい。拷問か何かか?


「ねーえー」

「はいー……?」

「したもぬぐー?」

「駄目です!」

「きたままするのお?」

「違います!」



 堪らず目を閉じる。全く、どうしろってんだ……。



 もう良いじゃないか、壊してしまえと囁く声が何処からか聴こえてくる。いや、断じて駄目だと頭を左右に振り目を開けると、俺の上に跨がったままの彼女は──


「ほたるさん?」



──こくり、こくりと船を漕いでいた。



「ほーたるさん?」

「……」

「ほーたーるーさん?」

「……」


 よし! 完全に眠っている! これで一安心だ。

 上半身を起こし────失敗した。眼下にはしっとりと汗ばんだ剥き出しの彼女のおっぱい。その谷間を汗がつうっと伝う。


「っ………………!」


 見ては駄目だ、見たら敗けだと己に言い聞かせ、パジャマを手に取り手早く着させた。と、ここで枕元のブラジャーが視界に入る。完全に忘れていたが、今から脱がせて身に付けさせるとなると、どうしても素肌に触れてしまうことになる。この状態でそれだけは避けたかった。


 軽い体を横に抱えベッドに寝かせてやると、部屋の電気を消してエアコンのタイマーをつけ、彼女の隣に横たわった。


(なんて疲れる日曜だ……)


 朝一番に筋肉の塊のような大家さんがやって来たのが昨日のことのように思える。手を繋いで買い物もしたし、不思議な隣人さんにも出会った。


(それにしても……)


 俺は今日一日、色々ととんでもないことを口走ったものだ。




 ドラッグストアではつい本音が漏れてしまった。


『なんてね、嘘です。つまらない理由をこじつけて、私がただ彼女と手を繋ぎたかっただけなのです』



 隣人の樹李きりさんの前では、本当に何てことを言ってしまったのだろう……。いや、あれは……その、別に相手が俺だとは言っていない。言っていない!


『今すぐに、というのは難しいですが……いつか必ず、ほたるさんの嬌声をお届けしましょう』



 お風呂上がりには何を血迷ったのか、裸のまま彼女を抱き締めてしまった。


『あの場で彼氏ではないと否定してしまったら……あなたを奪われてしまうような気がして──怖かった』



 それに……ああそうだ。桃哉さんも蹴り飛ばしてしまったんだ。


(俺は本当になんてことを……)


 申し訳がなかったという気持ちは強いが、あれは彼も悪かったと思うんだ。いくら元彼だとはいえ、あんな──無理矢理に抱こうとするなんて。


 大丈夫だと彼女は言っていたが、きっと強がりだ。男の俺に彼女の気持ちは完全には理解出来ないが、多少なり怖かったのだと思う。あの時彼女は俺の腕の中で震えていたのだから。

 そんな彼女を俺が──慰めてあげなければと、そう思ったんだ。だから抱き締めてしまったんだ、裸のまま。


 大きな溜め息を吐き、気持ち良さそうに眠る彼女の頭を撫でた。正体を隠すつもりが、本音が駄々漏れな一日だったではないか。こんなことでは彼女の傍にいられなくなってしまう。きっと直ぐに俺の正体もバレてしまう。気を引き締めなければ。


(来週のダークヒーローも楽しみだなあ)


 って──ん?



「んんっ……」

「あぅ……」


 ドラマの余韻に浸っている場合ではなかった。昨夜と同じく何故か彼女は俺の体に抱きついていた──何故。


(ああそうか、チャーリーさんがいないのか……!)


 埃まみれのカエルのぬいぐるみは、今朝洗って外に干して出掛けた。が、まだ少し湿り気を帯びていたのでベランダに干したままなのだった。


(仕方がない、か)


 チャーリーさんが乾いてしまえば、もう彼女に抱きつかれて眠ることはないのだ。それならば──それならば俺は。


「おやすみなさい」


 体を捩り彼女の方を向く。明日からは気を引き締めるからと誓い、自由に動く左腕で彼女の体を抱き締めた。


 そしてやはり昨夜と同じく、素数を数えながら眠りについたのだった。

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