最終話 【零れ落ちるほどの幸福】

 ほんの少しだけ開いたカーテンの隙間から差し込む朝陽が眩しい。ふと時計を見ると、驚くことに十時半。まあ、休みだからいいかとカーテンをきっちりと閉め、すうすうと寝息を立てる柊悟くんの頬に触れた。



 昨夜の夕食会は、自分でも思ってもみなかった程に楽しめた。柊悟くんや大家家おおやけの皆様がいてくれたお陰も大きいが、家族で食事をしてあそこまで楽しめたのは初めての経験だった──帰宅してからは大変だったけれど。


 外ではあまりお酒を飲まないようにしているわたしの代わりに、殆どお酒が飲めない柊悟くんに父や大家のおじさまから集中的に攻撃が集まったのだ。無理をしてビールを一缶飲んだだけで倒れるように眠ってしまい、目覚めてからはふわふわと覚束無い足取り。早めにお暇をして帰宅し、そのままベッドにダイブしてしまった柊悟くんを尻目に、わたしは一人頂いて帰ったお酒に口をつけていた────が、その数時間後。目覚めた彼に襲われたのだ。


 お酒を飲むと大変なことになると彼が言っていた意味を、身を持って体験してしまったわたしの足元には、誕生日に瑞河さんから頂いた黒色の透け素材の、あのセクシーなネグリジェ。一緒にお酒を飲んでから着る約束だったのに、酔った彼に無理矢理着せられたそれには、昨夜の痕跡がかなり残っていると思われた。


「シーツも……ああ、なにこれ……やばいし。髪も…………わあ……。って、ここ、跡が、すご……」


 普段ならこんなことにはならないだろうに、わたしの腕や胸元には真っ赤な痕がちらほらと散らばっていた。お酒を飲んだ彼との行為はいつもに比べるとかなり乱暴で、彼がお酒を飲みたがらない理由がハッキリと理解出来た──別に、わたしは嫌だったわけではないのだけれど。


「起きた?」

「……ほたる」


 寝ぼけまなこの柊悟くんが、両腕を広げて「きて」とねだる。その中に飛び込むと思い切り抱きしめられ、ふわりと唇を塞がれた。


「おはよう……え……これ、俺がやったの……?」

「これ?」


 胸元のキスマークを指差すと、柊悟くんは黙って頷く。わたしも黙って頷くと、彼は「ごめんね」と言って痕にそっと触れた。


「髪も……これ、まさか俺の……!」

「うん」

「なんで髪に……? ってことは……ちょっと待って、え……嘘だろ、俺……まさか」


 頭を抱える彼にわたしは昨夜の出来事を大まかに説明した。事細かに説明するのは、流石に恥ずかしかった為だ。


「ごめん……ぼんやりとしか覚えてなくて」

「大丈夫だよ? むしろ、新鮮でよかったかなって」


 身を離し、正座をして項垂れる柊悟くん。寝起きに、しかも全裸で正座はちょっと戴けない。誘われているのかと勘違いしてしまう。

 本人もそれに気が付いたようで、わたしの伸ばしかけていた手を掴み封じると「だめ」と言って片目を閉じた。


「だめなの?」

「今俺、反省中だから駄目」

「じゃあ、後でならいい?」

「後でなら、いいです」

「はあい」


 下着と衣服を身に付け、スマートフォンで天気予報を確認する。どうやら梅雨も開けたようで、今日は一日晴天予報。昨夜の衣服と洗濯ネットに入れたネグリジェ、それにシーツも剥ぎ取りまとめて洗濯機に放り込む。わたしがシャワーを浴びている間に柊悟くんが軽い朝食を用意してくれていたようで、甘い蜂蜜の香りが鼻先を掠めた。


「ワッフル? ワッフル焼いたの?」

「うん、いい感じ」


 最近購入したワッフルメーカーで焼いたカリカリふわふわのワッフルと、トマトの添えられたチーズ入りのオムレツ、それに紅茶が食卓に並べられる。平日は和朝食だが、休みの日にはパンケーキやサンドイッチなどが登場するので、週末の楽しみの一つでもあった。

 柊悟くんは食べてからシャワーを浴びると言うので二人揃って頂きます、と手を合わせる。いつ食べても、彼の作る食事は本当に美味しい。


 すべてを美味しく頂いた後、止まっていた洗濯機から洗濯物を取り出した。室内で干し終えた物を手にベランダに出ると、長時間外にいると日焼けをしてしまいそうなほど、強い日差しに目が眩む。


「おー、ほたる、おはよー。珍しいなこんな時間に」

「おはようございます、樹李さん」


 隣のベランダで洗濯物を干す樹李さんに遭遇するのは、恐らく初めてのことだった。わたしはいつも夜に干して寝るのだが、どうやら彼女は昼派だったようだ。


 因みに樹李さんには、柊悟くんとの結婚のこと、それに結婚後もここに住み続けることは報告済みだ。「とりあえずこれお祝い。またちゃんとするから待ってろ」と言われこっそりと渡させた茶色い小瓶は、ベッドサイド脇のチェストの二段目の奥に隠すように押し込まれている。


「なあ、ほたる。昨日の夜、なんか凄かったけど大丈夫?」

「す……凄かったですか……?」

「うん、いつもと雰囲気違ったから何かあったのかなって。凄くよかったけどなっ!」


 自分では全く意識していなかったが、流石は樹李さんだ。どうやら声の感じが違ったとのことらしい。ニヤニヤと満足そうな彼女を見た感じだと、恐らく原稿だが絵画のどちらかが相当捗ったのだろうと思われた。


「あっ、ひょっとしてナマでやった? 結婚するからって、お前らさ~」

「ぶっは!!」

「それとも、アレ飲んでやった?」

「き、樹李さんっ!」

「いや、だって台詞がさー、いつもと違って凄くよかったよ! 壁に耳当てると全部聞こえるんだもん。めっちゃ良かったよ、ほんと」

「台詞って言わないで下さいっ!!」

「いやー、捗った捗った!」


 日の高い時間から、まさかベランダでこんな話をすることになるなんて。熱くなった顔を伏せ、恥ずかしさに身を縮こませる。


「昔さぁ、桃哉君にアレあげたことあったじゃない? あの時より凄かったからさ」

「昔、なんですか?」

「しゅ、柊悟くん!?」


 シャワーを浴び終えた柊悟くんが、下着姿のままひょっこりと顔を出す。驚きのあまり大きく肩が肩が跳ね上がってしまった。


「立石君、おはよー」

「おはようございます。すみません、昨夜騒がしくしてしまって」

「いーのいーの、こっちはそのほうが嬉しいんだから」


 ヒラヒラと手を振る樹李さんに、ぺこりと頭を下げる柊悟くん。わたしはその間でどんどん顔が熱くなってゆく。


「そうだ立石君、アレ飲んでみてね」

「アレ?」

「き、樹李さあああんっ!!」


 彼女から頂いたアレについては、柊悟くんには話していない。「飲もう」と言われるのが恐ろしくて、隠したままなのだ。


「飲んでやったら教えてね。出来たら飲む前に連絡くれると嬉しい」


 その一言で全てを察した柊悟くんが、ハッと息を呑む。別れの挨拶もそこそこに室内へと消えようとする樹李さんを尻目に、柊悟くんは丁寧に頭を下げる。


「ほたる、アレってどこ?」

「……チェストの二段目……奥」

「これ?」

「えっ、ちょ……」


 チェストを漁り、小瓶をじっと見つめた柊悟くんは「夜に飲んでみようかな」なんて呟きながら、片目を瞑って無邪気に笑う。呆れて零れ落ちたわたしの溜め息が、室内に立ち込めた。


「ほんとにもう、困った旦那様ですこと」

「申し訳ありません、奥様。飲みましたら、しっかりと働きますゆえ」

「もう、何言ってるの」

「だって、もうすぐ夫婦になるんだし」

「そうだけど、その言い方は色々と反則っ!」


 声を上げて笑うわたしの身体を、柊悟くんが抱き締める。くるくると踊るように室内で回転し、額同士をくっつけ、唇を重ね合う。そのまま幸せを噛み締めるように二人してしばらく微笑み合う。


「柊悟くん」

「なに?」

「花火大会、今年も一緒に行こうね」

「もちろん」


 こらから先、何度も喧嘩しその度に仲直りをして、手を取り合いながら同じように歳を取って行く。辛いことや苦しいことがあったとしても、きっと彼となら大丈夫。だってわたしは、こんなにも彼のことを愛しているのだから。


「大好き」

「俺も、大好き」


 離れていた唇が、再びそっと触れ合う。今日は結婚指輪を買いに行く予定でいたのに、口づけはどんどん濃厚なものになってゆく。予定通りの一日になるのかどうか──難しいような気がしてならなかった。







おしまい






──────────


ここまでお読み頂きありがとうございました。

OL執事シリーズとして、「こんなに好きになるつもりなんて、なかったのに」(※R18です)


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詳しくは近況ノートをお読みください。







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【完結済】26歳OL、玄関先でイケメン執事を拾う こうしき @kousk111

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