第四十一話 【終業、そして】

「あ、お疲れ様です、ほたるです」


『ほたるさん、御疲れ様です!』


 具合が悪いのであれば定時で退社するようにと課長にしつこく言われて、わたしは現在玄関ホールのソファに一人腰掛けていた。電話の相手はセバスチャン。


『それでは御迎えに上がりますね。直ぐに向かいますので、駐車場に着いたらまた御電話します』



 通話を終えて大きく溜め息を吐いた。ふとした拍子にお昼休みの出来事が、どうしても頭の隅を掠めるのだ。





『色々とすまなかった! そして好きだ!!』



 核村のあの言葉──あの告白にわたしはお断りをしようと口を開いたのだが──。



『謝るのはもういいよ。でも、その……ごめ……』


『待ってくれ! 言わないでくれ! これ以上傷つきたくねえ!』


 途中で遮られてしまったのだった。


『ずっとお前の嫌がることをしているって自覚はあったんだ。でも……そうでもしないと振り向いてもらえないって、そう思って』


 あの時課長はずっと何か言いたげであったが、眉間に皺を寄せ、結局一言も口を挟まなかった。


『本当に悪かったよ……これからはもう、しない。お前のことはちゃんと諦めて前に進むから、お前も、出来れば、その……普通に接してほしい』

『わかった』

『いいのか!?』

『いいよ』

『話しかけても無視しない?』

『しないったら』

『……ありがとう』


 あの時の核村の顔は、本当に子供のようだった。そんなに喜ぶことでもないだろうに──とも思ったが、好意を寄せていた相手と同じ職場で、この先ずっと無視されるかもしれないという不安を抱えていたのかと考えると、少なからず彼に同情してしまっている自分がいた。


(……甘いのかな)


 セバスチャンがあの場に居合わせていたら、もう一発くらいお見舞いしていたのかな、なんて。






「さてと……」 



 気を取り直して「小説家になろう」のブックマークページを開く。薬がだいぶ効いてくれたお陰で、小説を読むくらいの元気はありそうだった。


(こういう時はやっぱり短編よね)



 二ノ宮明季先生著“恋、スパイス、それから伝う汗”



 二ノ宮先生の作品には短編も多い。気になる作品から順に読み進めているのだが、この短編は初めて読む作品であった。



 ……


 …………


 ………………



(……ゆ、百合だっ……)


 今までにわたしが読んだことのない雰囲気を纏う、まさかのほんのりGL作品だった。


(なんだか瑞河さんが好きそうだな……)


 なんてことを考えながらブックマークページへと戻る。



「お疲れ真戸乃。彼氏待ち?」

「……! お疲れ様です」

「なに驚いてんの?」


 サマースーツを着こなし、短髪ポニーテイル姿の瑞河さんがわたしの隣に腰を下ろした。


「上がりですか?」

「んー、なんか課長がさ……『たまには皆で早く上がろう』って」

「な、なんですかそれ」

「わかんない。来週末飲み会あるから仕事溜めたくないんだけどな」

「まあ、それまでには何とかしましょう」

「だな」


 わたしの膝の上に乗るスマートフォンが気になったのか、瑞河さんは遠慮がちに画面をちらりと覗く。


「月曜だし……“魔女たちの夜宴”?」

「違いますよ。あれは更新されたらすぐに読みますもん。短編ですよ、二ノ宮明季先生の」


 読み終えたばかりのわたしは、今夜にでもカレーを食べたくて仕方がない。明日でもいいからと、セバスチャンにお願いしてみようか。


「明季先生? 芝桜先生じゃなくて?」

「“精術師と魔法使い”みたいな長編はプロットを別の方が組むから名義が違うんですって」

「やけに詳しいわね……」

「作者さんのマイページに書いてありますよ。色んな作者さんのページを覗くのって、けっこう楽しいですよ」

「へえ」


 そう言って自らのスマートフォンを取り出し、作者さんのマイページを覗きにかかる瑞河さん。時々クスリと笑いながら、なんだか楽しげだ。


「……色んな人がいるわね」

「でしょう?」


 玄関ロビーにちらほらと同僚の姿が見えては消え、それから少し経った頃姿を現したのは十紋字課長だった。瑞河さんと揃ってスマートフォンを置いて立ちあがり「お疲れ様です」と言って頭を下げる。


「お疲れ様。迎え待ちかね?」

「はい」

「気を付けて帰りなさい」

「あ、ありがとうございます……」




 遠退く課長の背を、瑞河さんが訝しげに見つめていた。


「なに、あれ……」

「課長は意外と優しいんですって」

「ふうん……」



──と、課長と入れ替わる形で自動ドアを潜ってくる見覚えのあるスーツ姿が目に留まった。


「あ、ほたるさーん」


 場を気にしてか控えめな声でわたしを呼びながら寄ってくるのは我が執事。瑞河さんと話し込んでいるうちに、思ったよりも時間が経過していたようだ。



(あれ、電話するって言ってなかったっけ?)


「セバスさん、お迎えありがとうございます」

「なんのこれしき」

「電話……」

「すみません、かけたのですが御出にならなかったので来ちゃいました」


 画面を覗くと確かに着信が入っていたことを示すアイコンが表示されていた。マナーモードにしているし、課長に挨拶をしている間に鳴った電話に気が付けなかったようだ。


「真戸乃? こちらが?」

「あ、すいません瑞河さん、えっとこちら……」

「イケメン……」

「え?」


 わたしが紹介するよりも早く、且つセバスチャンが名乗るよりも早く瑞河さんは一歩彼に近寄ると、その姿をまじまじと見つめた。


「すごいイケメンね……こんなイケメンが玄関先にいたら、アタシも家に上げてたわ……」

「はぁ……?」


 少し困った顔になったセバスチャンは、「いつもほたるさんが御世話になっております」と言って頭を下げた。瑞河さんもそれに倣う。なんだこの光景は。


「おにいさん、真戸乃のことをよろしくお願いします──この子のこと、傷付けたら承知しませんから」

「心得ました」


 鞄を手にした瑞河さんは、最後にじっとセバスチャンを見つめた。


「じゃあね真戸乃、また明日」

「お疲れ様です」


 瑞河さんはにっこりとセバスチャンに営業スマイルを向けると、手を振りながら颯爽と去って行った。


(セバスさんがわたしのことを傷付けるなんて──あるのだろうか?)


「……帰りましょうか」

「そうですね」


 瑞河さんの言葉を咀嚼しながら、わたしはセバスチャンの隣に並んだ。


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