第六十三話【立石家の人々②】

 夏牙なつきの取り出した二枚の写真──その場にいた全員は、それに釘付けとなった。


「夏牙!夏牙! じーちゃんによく見せてくれ。年寄りなんじゃからよく見えん」

「はいじいちゃん」

「ほお~」


 一人混乱状態の柊悟は、夏牙の手の中の写真を食い入るように見つめている。仕事帰りで少し疲れた表情のほたるが、鞄を肩にかけているバストアップの写真だ。


「なかなかスタイルの良い、可愛い子じゃないか柊悟ぉ」


 仁朗から手渡された写真は、ほたるの全身が写りこんだものだった。グレーのタイトスカートからは、すらりと足が伸びている。


「……いつの間にこんなものを勝手に。どうして兄さんがほたるのことを知ってるんだ」

「まーまー、怒るなよ。みんな心配してんだ、お前が突然髪を伸ばし始めたり、家を出たきり帰ってこなかったりしたからさ」

「それは……悪かったよ」

「家族として、兄として、何かあったんじゃないかって気になるじゃないか。それで黒部に調べてもらったんだ。ほたるちゃんのことはその過程で知ったに過ぎない」


 二枚の写真は家族全員へと順番に回される。楓と桜江は感嘆の声を上げ、遥臣に至っては穴が開くほど写真を見つめ、何やらぶつぶつと呟いている。


「というか、写真があるならスマホを取り上げるなよな」

「だってー、お前からかうの楽しいんだもん」

「だもん、じゃないだろ……全く」


 夏牙の手から返されたスマートフォンを、柊悟はズボンのポケットにしまおうと腰を浮かせた。



(……今何時だ?)



 この部屋には時計がない。時間を忘れて家族で食事を楽しもうということで設置されていないのだが、今の柊悟にしてみればいい迷惑だった。溜め息を吐きつつスーツの袖を捲り、腕時計で時刻を確認する。



(十九時……四十分過ぎか)



 そろそろ帰らなければ、ほたるのことだからきっと首を長くして自分の帰りを待っているに違いない。そう思い立ち上がると、母の桜江が「しゅう」と彼を呼び止めた。


「この子、表情が少し暗いんじゃなあい? どうしてなのかしら?」

「それは……仕事帰りで疲れてる時に撮られた写真だからだろう」

「普段はにっこりしているの?」

「ああ……帰宅して俺の顔を見たときには、可愛らしくパッと笑うよ」


 脳裏に浮かぶのはほたるの笑顔。早くあの笑顔に癒されたいと、気を抜いたのがいけなかったのかもしれない。


「一緒に住んでいるのか?」


 父の楓の言葉に、サッと血の気が引いた。言い訳を並べてもこの場合、逃れようがないだろうということは、柊悟にもわかっていた。


「結婚もしていないお嬢さんと一緒に住んでいるのか?!」

「じいちゃん、その考え方は古いよ」

「でも夏~、あの柊よ? 変なことが起きないか母さん心配だわ」

「そうだな……柊悟、そのお嬢さんは──」


「──うるさいな」


 思い思いに言葉を投げていた家族に、柊悟が低い声で反論をする。普段聞くことのないその声に、皆驚いて視線を彼に向けた。


「……柊悟?」

「兄さん……いや、皆にどうこう言われる前にはっきり言っておく。彼女は──ほたるは俺の婚約者だ。入籍をする前に彼女の実家にも挨拶に行くつもりだし、ここにも連れてくる。以上だ」

「ちょっと、待ちなさい柊!」


 すたすたと足を進め、扉から出ていこうとする柊悟。母の声が背中に突き刺さるが構わず、ドアノブに手を伸ばそうと──。


「──う、あ……」


 その場に倒れ込みそうになった彼の体を、黒部が支える。ふらつきが激しいのか、柊悟は自分一人で立つことが出来ないようだ。


「酒に弱いのに、無理すんなよ」

「帰る……帰るんだ」

「無理だろお前、さっき一気飲みしたやつが回りはじめてんだよ。今日は泊まってけ」

「いや、だ……待ってるんだ」

「ほたるちゃん?」

「馴れ馴れしく……ほたるちゃんなんて、言うな」

「おー怖い怖い、睨むなよ」


 それでもなお黒部の手を払いのけ、部屋から出ていこうとする柊悟。それを見て大きく咳を払った仁朗は、ゆっくりと、大きな声で「黒部」と言い放った。


「はい」

「柊悟を寝かせてやれ」

「はい」


 黒部の手が柊悟の顔に伸びる。目元に触れた刹那、柊悟の膝がかくんと折れた。意識が飛び、眠りに落ちたようだ。それを一人で軽々と支えながら、黒部は部屋を後にした。


「食器は私が片付けるわね」

「手伝うよ母さん」


 いちゃいちゃと触れあいながら食事の後片付けを開始した両親を尻目に、夏牙は柊悟と黒部の出ていった扉をじっと見つめた。


「世話のかかる奴だ」

「……」

「ところで、ずっと気になっていたんだが、遥臣」


 夏牙が視線を移したのは、写真を手にしたままの遥臣だった。未だにじいっと写真を見つめているのだ。


「さっきから何をぶつぶつ言ってるんだ」

「夏兄、これはいけない」

「何がいけないというんだ」

「彼女、俺の好みだ」

「は?」

「可愛い」


 顎に手をあて、色々な角度から写真を眺める遥臣。時折唸りながら、「良いね」と呟いては謎の笑みを浮かべている。


「遥臣、滅多なことを考えるんじゃあないぞ」

「わかってるよじいちゃん。ちょっと好みなだけ。性格もわかんないのに、付き合いたいなんて思わないよ」

「それならええんじゃが」

「大体、夏兄じゃあるまいし、柊兄の彼女を横取りしようなんて考えないよ、俺は」


 二枚の写真を夏牙に手渡した遥臣は移動すると、片付けをする両親の手伝いを開始した。


「なんだよその言い方。俺が柊悟の女に手をつけていたみたいな言い方はしないで欲しいな」

「……どうだか」


 肩を竦めて部屋を後にする遥臣を見つめながら、夏牙は思考を巡らせる。



(──そうだ、良いことを思い付いた)



 頭の中で構築した計画に、彼は一人不敵に嗤った。

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