第六十二話【立石家の人々①】

 ──一方、その頃の立石家。


 一般家庭が使うにしては広すぎるダイニングルームは、立石家において来客時に使用するか、家族全員が揃ったときの食卓の場であり、今回の場合後者であった。

 部屋の中央には二十人掛けの豪奢な食卓。これは今は亡き柊悟の祖母 千代子──が、特別に作らせたものであった。部屋全体も西洋風に纏められ厳かな雰囲気を醸し出している。壁には派手すぎない絵画がさりげなく飾られ、その雰囲気を一層際立てていた。


 その大きな食卓に座るのは、六人の老若男女。


「みんなが揃うなんて久しぶりね~。嬉しいわ」

「誰かさんがここに寄り付かないせいで、約一年ぶりなんだよ、母さん」

「そんなに間が空いたのかしら?」


 ふわふわと柔らかな笑みを浮かべる女性の髪は腰の辺りまで伸ばした暗い茶で、緩やかなウェーブがかかっている。齢五十代には見えない若々しい顔の前で手を合わせては、隣に座る男に向かい、楽しげに言葉を投げ掛けている。


 彼女は立石 桜江さえ──この食卓に座る一家の、母。


「大体、柊悟が俺からの着信を拒否していたのが悪いんだ」

「……マジかよ兄さん」


 桜江の隣に座る男は、幅の広い肩を竦めると腕を組んだ。撫で付けるようにぴっちりとセットされた前髪の下には、形の良い額、それに眉。正面に座る柊悟とそっくりな目を細めながら彼を睨んだ。


 彼は立石 夏牙なつき──柊悟より三つ年上の、兄──立石家の長男である。


 肘を付き顔を背けた柊悟の隣では、縁無し眼鏡の男がにたにたと笑みを浮かべている。母にそっくりなくりくりとした瞳、それにパーマのかかった暗い茶の髪。


 彼は立石 遥臣はるおみ──柊悟より二つ年下の、弟──立石家の三男である。


「大体、なんで柊兄しゅうにいはここに寄り付かないのさ」

「わかってないな遥臣。女が出来たからに決まってるだろう」

「またまた~。夏兄なつにいならともかく、柊兄だよ? そんなわけ……」


 皿に盛られた肉を口に運ぶ遥臣の手が止まる。柊悟の顔を見て口をあんぐりとあけたままの彼は、フォークを下ろして派手に立ち上がった。


「嘘だろ柊兄!?」

「え? ああ……」

「『え? ああ……』じゃぁわかんないって! え?何?女? 夏兄が連れてきた女に渋々手をつけていた柊兄が、自ら女を作ったの!?」

「ちょっと待てはる! 渋々手をつけていたなんて、そんな事実はない! 訂正しろ!」

「何人か連れてきた女全員と、仕方無しにとりあえず食事に行って、その内何人かに手をつけた。これでいいの?」

「良いけど……良くない! というか、なんでお前がそこまで知ってるんだ!?」

「そりゃあ夏兄から全部情報が流れてくるもん。ちゃんと手をつけた人数も聞いてるよ~」

「……悪趣味め」


 遥臣につられて立ち上がっていた柊悟は、項垂れるように席に着く。家族全員の前で過去の交遊関係を晒された彼のダメージは相当大きいようで、眉間に皺を寄せた彼はそのままの顔で夏牙を睨んだ。


「おぉ、怖い怖い」

「兄さん、話がある」

「食事の後でいいか? とりあえずこれでも飲んで落ち着けよ」


 差し出されたグラスの中身を、柊悟はぐい、と飲み干す。そして盛大に噎せた。


「これ……酒じゃないか」

「そうだな」

「俺、急いで帰らないといけないんだけど」

「飲んだのはお前だろう? 阿呆で可愛い我が弟よ。ささ、その恋人の写真でも見せ給え」

「はめやがったなこの兄貴……」


 怪しく笑う夏牙の向かいでは、「楽しそうねえ」と桜江が花のように微笑んでいる。溜め息を吐き頭を抱えた柊悟は、隣に座る父に助け船を出した。


「父さんも何か言ってくれよ」

「父さんは兄弟三人の仲が良くて嬉しいぞ」

「……どこが?」

「まあまあ柊悟、これでも飲みなさい」

「ありがとう…………ってこれ、酒じゃないか!」


 先程夏牙に差し出されたグラスとは違う中身のグラスを、途中まで一気に呷った柊悟は、またしても盛大に噎せた。


「柊兄、飲むまで中身が酒かどうかわからないのか?」

「普段全く飲まないから、酒かどうかなんて気にしてなかったんだよ! というか、俺が殆ど飲めないのをわかってて酒を勧めてくるなんて考えてもみなかったからな……」


 本人の言う通り、柊悟は酒に弱い。パッと見ただけではそれが酒なのかどうか判別できないほど、彼は酒から遠退いた生活をしている。ここ最近の彼は、ほたるの飲む酒に関してもノータッチであるが故の失態であった。


 柊悟に酒を勧めた父である立石 かえでは、柊悟の背中をさすりながら夏牙に目配せをしている。それを見て上座に座る祖父の仁朗じろうが、髭を蓄えた口元を緩めて微笑んだ。


 これはそう──立石家総出で企てた計画。夏牙が事前に仕入れていた「柊悟に恋人が出来たらしい」という情報について、漏らさず聞き出す為の罠なのである。


「柊悟~、写真見せてくれよ~。じいちゃん、気になって仕方がないんじゃ~」

「……じいちゃん」

「スマホに入っとるじゃろ? 入ってないわけがないじゃろ?」

「入ってない」

「嘘つきー」

「入ってないって」


 仁朗はナイフとフォークを握り締めた手をテーブルにバンバンと叩きつけ、子供のように駄々を捏ねている。


「無いったら無い」

「嘘ばっかり! 夏牙!」

「はい、じいちゃん! おい、黒部」

「はい、夏牙様」


 夏牙の声に反応したのは、黒いスーツにポニーテイル姿の女性。部屋の入口辺りに待機していた彼女は、スーッと柊悟の後ろまで歩いて行くと、そのまま夏牙の背後までUターン。


「ここに柊悟様のスマートフォンがあります」

「は!?」


 夏牙の背後に立つ黒部の手の中には、何故か柊悟のスマートフォン。ロック画面は指紋認証なので解除されてないのだが、夏牙が「黒部」と声をかけると同時に彼女はスマートフォンの画面を素早く操作──直後。


「夏牙様」

「流石だなあ黒部は。柊悟、どうする?」

「え……は?」


 夏牙の手の中にはロックの解除された柊悟のスマートフォン。画像フォルダのアイコンをタップせんと、指を画面に伸ばしている。


「え、ちょ……待て待て兄さん!」

「ほお~。見られたら不味いものでも入っているのか」


 夏牙の言う通り確かに、フォルダには人に見られて困る写真は入っている。それを見られぬ為に指紋認証式にしているというのに、この黒部という女の前ではそれは無意味だった。


 彼女はこの立石家において、名目上は家事手伝いということになっている。仕事で多忙な桜江の代わりに家庭内の細々としたことの手伝いは勿論のこと、外出時の手伝いや、はたまた交遊関係の調査まで──ありとあらゆることをこなす。手先が器用で頭の回転も早く、運動神経も良ければ気も効く上に美人である。そんな完璧に近い彼女の前では、指紋認証やパスワードの解除など朝飯前なのであった。


「なんだ、何が望みだ兄さん」

「なーに。俺たちはほたるちゃんの可愛い顔を見たいだけだよ」

「……は?」


 間抜けな声が柊悟が発せられると同時に、夏牙はスーツの内ポケットから、二枚の写真を取り出した。


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