第六十一話【見抜かれた本心】

「ごめんね。久々に一緒にゆっくり夕食を食べれると思ってたんだけど」


「いいんです、気にしないで」


 通話はあっという間に終わった。電話の相手はどうやら彼の実兄だったようで、なんでも「家族全員が久しぶりに揃うから、夕食に必ず顔を出すように」とのことだった。横で聴いていた雰囲気では、なんだか強引なお兄さんだな、という印象だった。


 職業柄、彼の両親も兄弟も多忙なことは想像できる。両親と兄弟は同居しているにも関わらず毎晩一緒に食事をとれるわけではないというので、皆本当に忙しいのだと思う。


「嫌だな、行きたくない」

「そんなに嫌なんですか?」

「嫌だ。ほたるとハンバーグを一緒に食べたいのに」

「明日のお弁当に入れておきますから」

「本当に?」

「ええ」


 抱き寄せてくれた彼の唇が下りてくる。ごめんね、と言って抱きしめる腕に更に力が籠った。残念だけれど、仕方がない。わたしはいつだって彼を独占出来るけれど、こういう時くらい家族を優先してほしかった。


 結婚式場に付随するカフェレストランに勤めている彼は、この時期六月繁忙期である実家の結婚式場へ手伝いとして駆り出されることが多かった。梅雨時期ということもあり、一般的な結婚式場はそこまで忙しい時期ではないらしいのだが、彼の実家──Hotel Tateishiでは、六月いっぱいまで特別料金プランを出しているらしい。おまけに半屋外になっている式場のガーデンスペースには青紫色の紫陽花が咲き乱れ、非常に美しい。写真映えする上に雨に濡れずブーケトスが可能、と数年前に雑誌で紹介されてからというもの、六月の予約が殺到しているとのことだった。


 そのお陰もあるのか、カフェレストラン自体のお客も増えているようで、彼が今月に入って定時で帰って来たことは一度もない。


 日曜日と祝日は定休を貰っているので休みなのだが、隔週休みだった土曜日も今月は毎週出勤している。この前なんて「祝日のない六月は地獄だ」なんて笑っていたっけ。



(疲れてるのに、大丈夫かな)



 いくら彼が若くて体力のある人だといっても、疲れが出ないわけがない。それなのに今日は休みだからといって、わたしに付き合ってくれた。


「ごめんね、柊悟さん。休みなのに、連れ回して……」

「なんでほたるが謝るの?」

「だって、疲れてるのに」

「実家に顔を出さなきゃいけなくなったことは、今決まったことなんだから、ほたるが気にすることなんてなにもないよ。大丈夫、早めに帰ってくるから」

「……うん」

「六時には来るよう言われてるから、まだ時間はあるし」


 壁掛け時計を見ると、時刻は午後三時を少し過ぎたところ。ベッドに腰かけた彼は考えるように腕を組むと、にやりと口の端を吊り上げた。


「ゲームは俺の負けかな、ほたる」

「……そだね」

「罰ゲーム、お願いしようかな」

「夜じゃなくていいの?」

「今がいいんだ。嫌?」

「そんなことない」


 近寄ると、ぐいっと強く腕を引かれた。隣に座るよう催促されるので腰かけると、彼は罰ゲームの準備を開始した。


「わたし、床に座ってもいい?」

「勝ったのはほたるだよ。、好きにして」

「わかった」


 立ち上がって部屋の電気を消すと、わたしは彼の元へと向かった。





 十七時過ぎに、彼は出かけていった。名残惜しそうにわたしの額に唇を落として。


 当初の予定通り煮込みハンバーグと人参のラペサラダ、それにお味噌汁を作る。サラダの量は調節しながら作ったからよかったが、ハンバーグはどう考えても量が多い。お弁当に入れるにしても、だ。


「樹李さんに声かけてみようかな……」


 わたしたちの隣の部屋に住む、ちょっぴり不思議な女性 格子こうし 樹李きりさん。この時間ならまだバイトには行っていないはずだ。


 フライパンの中にハンバーグを取り残したまま、玄関を出て隣の部屋へと向かう。チャイムを鳴らすとあくびを噛み殺しながら、ボサボサ頭の樹李さんが扉を開けた。


「すみません、ひょっとして寝てました?」

「あー、うん、大丈夫……眠っ…………いい匂いがするな……肉?」

「煮込みハンバーグなんですけど、柊悟さんが急用で出掛けちゃって。一緒にどうかなって」

「頂こうじゃないか!」


 タンクトップに丈の短いルームパンツ姿の樹李さんは、意気揚々と我が家に上がり込む。慣れた手つきでテーブルを拭くと、配膳を手伝ってくれた。

 このアパートに住み始めて約五年。わたしが夕食を作りすぎた日なんかは、こうやって樹李さんに声をかけるので、彼女も準備には慣れたものなのである。


「そーいやほたる、その指輪ってさあ」


 人参のラペサラダを咀嚼しながら、樹李さんがわたしの左手の薬指で輝く指輪を顎でしゃくった。


「これですか?」

「ああ、婚約指輪なん、それ?」

「それが……」


 去年のクリスマスに柊悟さんが贈ってくれたこの指輪。彼曰く「結婚を前提にお付き合いさせて下さい、と告白したのだからその証に」とのことだった。イエローゴールドのアームに楕円形のルビー、それを支えるようにダイヤモンドが添えられている細い指輪は、今のところ婚約指輪ではないのだ。

 ルビーの指輪なんて左手の薬指に纏うと目立ってしまうと思いつつも、左手に収まっているそれは、どうやらわたしの誕生石だから──ということらしかった。


「いつ結婚するの?」

「そんなの、わたしにもわかりませんよ」

「え、プロポーズされてないの? あ、このサラダ旨いな」


 ピーラーで薄切りにした人参に、レーズンと砕いた胡桃が絡まったビネガー風味のサラダを、樹李さんは夢中で口に押し込む。「ウマイ、ウマイ」とハンバーグも口に押し込む様は、作ったこちらとしてもありがたいくらいの食べっぷりだった。


「されてないですよ」

「そーなの? てっきり入籍する日は決まってるもんだと思ってたよ」

「……」

「ほたる?」

「……どう思います、樹李さん」

「なにが?」

「彼は本当に、わたしと……一緒になってくれると思いますか?」


 結婚を前提に交際してほしい、と彼は言った。わたしもそれに同意して交際が始まったのだが、何の進展もないまま、あれからもうすぐ一年が経とうとしていた。


「あんだけ頻繁にエッチして、こんな素敵な指輪まで贈ってもらって……それに十年越しの恋なんだろ? それなのに愛されてる自覚がないのかい?」

「……だから、ですよ」

「どういう意味?」


 食事を終え、箸を置いたわたしは目線を自分の膝に落とした。


「……桃哉もそうでした。頻繁に体を重ねてくれる人でした……それで愛されているって、わたし、勘違いしてたんですよね。実際、桃哉はわたしのことを愛してくれていたらしいんですけど……言葉にしてくれなかったんですよね、桃哉は。それで不安ばかりがつのってしまって。

柊悟さんは、ちゃんと言葉にして気持ちを伝くれるんです。でも……セックスばかりなのも、ただだけなのかなって、かえって不安で、その……なんていうか……」


 上手く言葉にすることが出来ない。──いや、わかってはいるんだ、原因は。それを口にしたくないだけで。


「ほたる、セックス嫌いなんだっけ? 寧ろ好きだろ?」

「そうですけど……なんていうか」


 ああ、この流れだときっと樹李さんに本心を言い当てられてしまう。ここまで話せば彼女にはもう、わたしの心は透けて見えていることだろう。


「わかった、あんた自分に自信がないんでしょ? あんなイケメンが自分のことを好きだって言ってくれるのが、未だに信じられないんでしょ?」

「…………流石。図星、ですね」


 自信を持てと言われても難しい話だった。彼が歩けば多くの女性が振り返る。そして隣を歩く私を睨む人が大半なのだ。こんなことが頻繁に起これば、わたしみたいな女、なんて思わずにはいられない。


「周りの視線なんて関係ないでしょ。彼があんたを好きだって言ってくれるなら、それを信じてやりなよ」

「そうなんですけど……」

「未だにプロポーズが無いのが、自信を持てない決め手ってか」

「樹李さん……」

「おーおー泣くな。あたしの胸を貸してやるから」

「泣いてませんって」


 樹李さんの小さな手が、わたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。彼女の手はいつも温かくて、安心する。


「食器片付けたら帰るから。何かあったらまた言いなよ」

「いつもすみません、ありがとうございます」

「気にしなくていいって。今日バイトも休みだし。帰ったら絵、描かないと」


 どうやら近々絵画のコンクールがあるらしい。彫金の注文も入っているようで、彼女もなかなか多忙なようだ。

 洗い物を済ますと、樹李さんは「ごちそうさま、しっかりしなよ」と、わたしの背中を叩いて颯爽と帰って行った。


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