第九十話 【求愛行動】

 節ばった指に舌先が到達し、中指をぱくんと咥えた。舌の上で転がし、口を離すとそのまま再び手首──更には筋肉質な腕へと順に、ぺろぺろと舐めては上昇して行く。



(何やってるんだろう、わたし……)



 肘まで到達し顔を上げると、柊悟さんがふわりと頭を撫でてくれた。手付きは優しいのに、表情は少々困り顔。


「ごめんなさい、わたし……誰にも渡したくなくて……」

「…………」

「気持ち悪かったよね、タオル持ってくる」


 そう言って立ち上がった途端、手首を掴まれぐいと引き寄せられてしまう。わたしの身体は柊悟さんの胡座をかいた足の上にすっぽりと収まってしまった。


「気持ち悪いなんてことない。ちょっとくすぐったかったけど、それだけ」

「本当にそれだけ?」


 自分でしてしまったことだというのに、言葉が震えてしまう。不快感を顔には出していないが、本当はドン引きされているかもしれない。


「それだけ……じゃない」


 ぎゅうっと強く抱き締められ困惑していると、顎を持ち上げられ乱暴に唇を塞がれた。訳がわからず上手く応えられないでいると、そっと唇が離れてゆき、瞳をじいっと覗かれた。


「ど……したの?」

「……いや」


 少し潤んで熱っぽい柊悟さんのこの目。なるほどそういうことか──と事情を把握し、わたしは目を瞑り彼に唇をねだった。


「舐められて、気持ち良かったの?」


 何度か唇を重ねた後、わたしは彼の首筋を吸いながら小さな声で疑問を投げ掛けた。くぐもった吐息を漏らしながら、彼は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「いや……何て言うか……」

「うん?」

「その……」

「なあに?」

「ちょっと気持ち良かったのもある……けど……ほたるが……可愛い上に厭らしく見えて」

「エッチに見えたの?」

「……そういうこと」


 それなら尚の事、他人に柊悟さんの腕を舐めさせるわけにはいかない。心の中が真っ黒な嫉妬と謎の使命感でいっぱいになる。


「柊悟さん」

「なに?」

「……駄目?」


 食べ終え汚れた食器もそのままに、夢中で互いを吸い合うこと早十数分。身体は火照り、じっとりと汗ばみ、口からは甘い吐息が零れ落ちた。


「……駄目だよ」

「どうして?」

「ほたる、病み上がりじゃないか。無理はさせられない」

「そんな、無理だなんて」

「俺はほたるの風邪がうつるのは気にしないけど、ほたる自身の熱が上がるのは嫌だ。折角良くなってきてるのに」

「平気だもん」

「駄目。だって……」

「なに?」


 恥ずかしそうに目を伏せた彼の首に腕を回し、身を寄せる。正直言ってわたしもここまできて我慢を強いられるのは、なかなか辛いものがある。


「ここ最近してなかったから……歯止めがきかない」

「なっ…………え……?」

「だって……もう六日もしてないんだよ」


 柊悟さんの言う通り、確かにわたしたちは日曜日に交わって、それっきりだった。それも時間が押していたせいでたった一度のこと。いつもは一度で済むなんてことがないものだから、物足りなさを感じていたのだけれど、それはどうやらわたしだけではなかったらしい。

 一緒に入浴をして誘われた時も、体調が悪いからといって断ってしまったし、そもそもここ最近多忙な彼とスキンシップを取ることすら減っていた。だからだろうか、どうしても肌を重ねたいという欲求が抑えきれない。


「それなら、我慢しないで──」

「駄目、しない。俺の歯止めがきかなくなって、何度もするうちに疲労感からほたるの熱が上がるかもしれない」


 本人はひどく真剣なのだろうが、なんて恥ずかしいことを熱弁するのだ。彼のこういう素直な所が大好きなのだけれど、わたしだってここまできて退くわけにはいかない。


「もうすぐがくるから……きたらまた一週間以上我慢だよ? それでも──」

「そんなこと言っても駄目」

「しゅ……柊悟さん……」

「抱きついても駄目だよ。俺だって……我慢するんだから」

「頑固者! わからずや!」


 頬を膨らませて立ちあがり、わたしは盆に食器を乗せキッチンへと向かう。後ろで彼が何か言っているが、聴こえていないフリをして食器を洗ってゆく。


「ほたる」

「何」

「俺だって……我慢してるんだよ」

「……」

「ほたるに早く元気になってほしいから……」

「そんな風に言うなんて反則」


 彼がわたしのことを大事に思ってくれているのはわかる。でも、理解は出来ても納得することが出来るかと言われれば無理なのだ。


「怒らないでよ」

「怒ってないもん」


 ひょっとすると「わたしの体調が悪化するかもしれないから駄目」というのは嘘で、本当の所彼は──。



(「欲しい」と思っているのはわたしだけなのかもしれない)



 違う、そんな筈はない。柊悟さんはこんなにもわたしのことを大切にしてくれているというのに、何故こんな風にマイナスな方へと思考が向かうのか。そんなこと、わざわざ考えずともわかっていた。


 結局のところわたしは、樹李さんに言われた通り自分に自信がない──というところに帰結するのだ。


 きっと柊悟さんの職場の何人もの女性が、彼のことを狙っている。先日鉢合わせた三人も美人揃いだった。あの出来事から、自分に対する自信がより一層無くなったのも記憶に新しかった。それに今回のことだって──。


 このままではわたしは、また繰り返す。桃哉の時と同じように、相手のことを信じられなくて──突き放して、失敗してしまう。それだけは避けたかった。


 結局、食器を片付け終えたわたしはそのまま眠くもないのにベッドに潜り込んだ。夕食の頃には互いにいつものように振る舞えていたようにも思えるが、なんとなく冷えきった空気は翌日になっても──翌々日の月曜日になっても続いた。


 あれだけ求め合っていたのに、あの日からわたしたちはお風呂すら一緒に入らず、なんとなくすれ違う日々が過ぎていった。水曜日には自分の誕生日を控えているというのに。


 このままで良いのかという焦りも抱えたまま、とうとう──。

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