第九十六話 【悩める乙女たち】
外車のディーラー務めの父母はわたし
「わたしたち? ほたる、きょうだいがいるの?」
「うん……」
「初めて聞いた」
「うん……」
おまけに仲の良すぎる両親は、重なった貴重な休みをわたしたち子供と過ごさず、二人きりで外出してばかり。仲が良いのは悪いことではないが、隣の
その上わたしのこの「ほたる」という名前。幼少期、両親はわたしのことが嫌いだから、虫の名前をつけたんだと信じて疑わなかった。
成長してからもそのわだかまりは消えず、県外の大学に通ってからはより溝は深くなった。四年間の大学生活の間帰省したのは、成人式のたった一度だけ。恐らく、社会人になってからのわたしは、実家よりも隣の大家家に上がった回数の方が多いのだ。
「素敵な名前なのに」
「そう言ってくれるのは柊悟くんだけだよ」
何かあれば連絡すれば良いし、何かあれば連絡が来る。そう思いつつも実家からの連絡は全く無し。勿論わたしから連絡することも無し──流石に誕生日には「おめでとう」とショートメールが届いたけれど。
「ごめんね、こんな話……」
「ううん、聞けてよかった」
約束通りベッドの上で優しく頭を撫で、思い切り抱き締めてくれる。唇が何度か重なった所で、わたしは小さく唸って柊悟くんの肩を押した。
「……どうした?」
「忘れてた、アリスさんに連絡しなきゃ」
「やだ」
「や……ちょ、ちょっと……柊悟くん……」
後ろから抱きつかれ、そのままうつぶせに押し倒される。耳と首筋に吸い付かれ、足がバタついた。
「待って……」
「やだ」
「連絡するって約束したんだから。このままだと……遅くなっちゃう」
「俺、先に寝ちゃうかもよ?」
「……いいよ?」
身を起こしてしゅん、と項垂れた柊悟くんは、そのまま布団にくるまりベッドに転がった。臍を曲げてしまったのかもしれない。
「柊悟くん、柊悟くんったら」
「拗ねてないし……」
「本当に?」
「本当、冗談だからゆっくり電話しておいでよ」
「ありがとう」
正直、家族の話をした後に身体を重ねる気にはなれなかった。彼はわたしを慰めようとしてくれたのかもしれないが、今夜はそっとしておいて欲しいというのが本音であった。
ベッドに戻っても彼がまだ起きていたら、正直に伝えよう。これから先、共に生きていくのならば、きっとこんなことが何度もあるに違いないのだから。
*
アリスさんとはその週の土曜日に、約束通り買い物に行くことが出来た。友人のゆーちゃんに教えてもらったランジェリーショップに連れていくと、アリスさんは目を輝かせて買い物に夢中になっていた。
「こ……このサイズでこんなに可愛い物があるとは驚きです」
休日だというのに、アリスさんは仕事の時に身に付けている黒のパンツスーツ姿だ。華やかなランジェリーショップではなんとなく浮いてしまう。彼女本人が楽しそうなので問題はないが、「洋服も見に行ってみますか?」と誘うと目をキラキラさせながら首を縦に振った。
「そもそも、どうしてスーツなんですか?」
「仕事の虫なので……お恥ずかしい話、まともな外出着を持っていないのです」
「スーツばかりで?」
「はい」
そういうことならと彼女の好みを聞き出し、良さそうなショップへと足を伸ばす。案の定気に入って貰えたようで、紙袋いっぱいの服を購入したアリスさんは、それを車の後部座席に丁寧に積み込んだ。
「良い物が沢山買えました」
「よかった。いっぱいおしゃれして下さいね」
「喜んで下さるといいのですが……」
「誰がですか?」
「え……あ、あ……その……」
顔をほんのり赤らめて黙り込んでしまったアリスさんを促し、昼食をとるために近くのカフェへと向かう。その席でとんでもない恋愛相談を受けた。
「……今なんて……?」
驚きのあまりティーカップに添えた指が震えてしまう。こんな話、誰にも出来ないからと言ってアリスさんは俯いてしまった。なかなか難有りな相手に、わたしも開いた口が塞がらない。上手くいってくれればいいなとは思うが、相手はかなりの強敵だと思われる。
「まさか、
「……やっぱり無理ですかね」
「そんなことはないと思いますけど 」
わたしを散々追い詰めた柊悟くんの実兄である夏牙さん。アリスさんとは雇主と被用者の関係だが、幼い頃から共に育ったのだ──二人の関係は家族に近いものがあった。仲は良さそうだが馴れ合っているようには見えず、どちらかと言えば仕事だけの関係を築いているような、お堅い印象を受けた。ただ──お似合いだな、という雰囲気はあった。
「直接的には何も出来ないかも知れませんが……何かあったらいつでも相談して下さいね」
「ありがとうございます!」
女性からの人気が高い夏牙さんをどう攻略するか、わたしたちは食事を終えても作戦会議を続けた。アリスさんは魅力的な女性なのだから、もっと自信を持って押せば行けると思うのだが、彼女本人が自分に自信がないという。
「顔良し、スタイル良し、性格良し。なんで自信がないんですか?」
「私など、仕事ばかりでつまらない女なんです……」
「趣味とかは?」
「読書と生け花は好きです」
「女性らしくて素敵じゃないですか!」
わたしがアリスさんのような女性であれば、好きな相手にはガンガン押して行くんだけどな──と伝えると、彼女は「逆ですよ」と言って眉尻を下げた。
「私こそ、ほたるさんのような魅力的な女性であれば、もっと自信を持って夏牙様に擦り寄りますよ」
「そんな、魅力なんてないです」
わたしなんて、劣等感の塊のような女だというのに。魅力的過ぎる柊悟くんの隣を歩くことさえ、躊躇ってしまうというのに。
「結局は、無い物ねだりなんでしょうね」
「……そうかもしれませんね」
もっと自分自身に自信があれば──躊躇うことなく堂々と彼の隣を歩けるというのに。こんなわたしがアリスさんにアドバイス出来ることなど、あるのだろうか。
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