第九十五話 【新しい家族】

 三人と別れ、立石家へと足を進める。隣を歩く柊悟くんに暗がりで手を握られ顔を上げると、何か言いたげに小さく唇が動いた。


「どうしたの?」

「ごめんねほたる……俺と、俺の家族のせいで嫌な思いを沢山させてしまって」

「もう済んだことだし、大丈夫」


 夏牙さんに強い言葉で攻め立てられたことも、遥臣さんに触れられたことも、雪菜さんが柊悟くんと仲睦まじげに過ごしていたことも──全く気にならなかったかと言われれば嘘になる。あれら全てが柊悟くんとの絆を確める為だったと言われれば納得出来なくもないのだけれど、わたしだって多少なり傷付きもしたのだ。


「本当に大丈夫?」

「今は大丈夫。でも……帰ったら『よしよし』ってしてくれる?」

「するよ、何度でもよしよしする。『ぎゅー』も、いっぱいするよ」

「ありがとう」


 それだけのことで元気になれてしまうのだから、わたしは案外単純なのかもしれない。




 足を進めて行くと、視界の先に大きな家が見えてきた。家というよりも、まるでドラマや漫画にでも出てくるお金持ちのお屋敷のようだった。背の高い木々の奥まった場所に、二階建ての洋館のような建物が見える。


「あっ、アリスさん」


 外灯の灯った玄関扉の前に、スーツ姿の黒部 アリスさんが立っていた。こちらに気が付くとにこりと微笑み頭を下げる。


「柊悟様、真戸乃様。この度は申し訳ありませんでした」

「黒部さん……いいえ、アリスさんが謝ることなんてないじゃないですか。何度もわたしを守ってくれました。勿論、柊悟くんも」

「真戸乃様……」

「ほたる、って呼んでくれるんですよね?」

「はい、ほたる様……いえ、ほたるさん」


 この感じだと、しばらくは様付けで呼ばれるのかもしれない。それでも「ほたるさん」と呼んでくれたことにより、彼女との距離が縮まったように思えて心が温かくなった。


「アリスさん、一緒にお買い物に行く件……帰ったら連絡させてもらってもいいですか?」

「……! はい、勿論です!」


 短い談笑を終え、アリスさんが玄関扉のノブを握る。挨拶をして踏み込むと、眩い光景にほんの一瞬だけ目が眩んだ。



(……広い)



 一般家庭のおよそ二十倍はあろうかという広さの玄関だ。正面には階上へと続く幅広の階段が広がり、その両脇には高級そうな壺、それに背の高い花瓶に花が生けられていた。


 緊張で口の中から水分が消えて行く中、促されるままスリッパへと履き替えアリスさんに着いて歩く。「大丈夫」と柊悟くんが背中をさすってくれるが、なかなか緊張はほぐれない。


「こちらです」


 両開きの扉の前で足を止める。アリスさんがノックをし扉を開けると、室内から三人の人物が飛び出してきた。

 

「あら~!やっぱり実物の方が可愛いじゃない! ねえ、お義父さん」

「本当じゃの! 柊悟!柊悟! このお嬢さんが昔お前を助けてくれたという、あのお嬢さんか?」

「『話があるから連れていく』って何だ、何の話なんだろうなあ~!」

「こ、こんばんは」


 取り囲まれ困惑する中、挨拶の言葉だけでも絞り出し頭を下げる。名乗って再び頭を下げると、無理矢理室内に手を引かれて行く。


「ほたる、こちら……うちの父と母と祖父で──」

「父と母と祖父です。ほたるさんいらっしゃい、ようこそ立石家に。よく来てくれました」


 柊悟くんの言葉を遮り、嬉しそうに息子の手を引くのは彼のお父さんだろう。お母さんもそうだが、子供が三人いるとは思えぬほど若々しい。それに揃いも揃って美男美女だ。


「さあ、座って頂戴。嬉しい報告が聞けるといいのだけれど」


 部屋の外側に立つアリスさんによって扉が閉められる。これから結婚の報告をするのだと考えれば考えるほど、緊張で鼓動が早まっていった。



 無事にご家族への結婚報告を終え、その帰り車中。わたしの手の中には、保証人欄に名前の書かれた婚姻届が二枚。


「ご準備、良すぎじゃない……?」

「兄さんから情報が入っていたみたいだし……ある程度、予想していたのかもしれない」


 まさか結婚のご挨拶に向かった先で、婚姻届を──それも予備を含めて二枚も貰うとは思いもしなかった。お義父さん曰く「これでほたるさん側の保証人欄が埋まれば、すぐに提出できるだろう?」とのことだった。


「両家の顔合わせもまだなのに……いいのかな、こんな」

「我が家は想像以上にウェルカムだったから、問題なさそうだったけど」


 彼が言うように、若干食い気味なほど立石家の皆様はわたしのことを「新しい家族」と、快く迎え入れてくれた。そこまで歓迎させるとは思ってもみなかったので、非常に嬉しかったのだけれど。


 ご挨拶の後、夏牙さん、遥臣さん、雪菜さんが部屋に現れて、ご家族総出で柊悟さんとわたしへ謝罪をして下さり、変な汗をかいてしまったことは、ここだけの秘密である。


「そういえばほたる、ご両親の予定は聞けた?」


 柊悟くんと話をしたその日のお昼にわたしは実家の母に電話をしていたのだが、相変わらずな態度で予定を合わせるのに苦労したのだ。


「なんとか聞けたけど……再来週の土曜なら大丈夫だって」

「そう、よかった」

「……ちゃんと柊悟くんにも話しておかないといけないね」

「……なに?」

「わたしの家族のこと」


 帰宅してお風呂に入り、落ち着いたところでわたしは彼に語った──真戸乃家の面倒な家庭環境を。いつかは話さなければならないと腹を括ってはいたが、正直あまり口に出したい話題ではないというのが本音で。

 ぽつり、ぽつりと途切れ途切れにわたしは言葉を紡ぐ。みっともなくて下手くそな告白だけれど、それでも柊悟くんは静かに最後まで、わたしの話をちゃんと聞いてくれた。

 


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