第六十八話【地獄の月曜日③】

 車は一体何処へ向かっているのか、全く検討もつかない。後部座席隣に座る夏牙さんをよそに、わたしは運転席に視線を投げる。


 ハンドルを握るのは黒髪スーツの女性。黒部くろべと名乗った彼女は、立石家の世話係のような人だと言っていた。無表情だが美人で、スタイルも良い。スーツの上からでもわかるくらい、抜群のプロポーション。



(……あれ、電話、鳴ってる)



 ちらりと横目に彼を見れば、どうぞと言わんばかりに首を傾げる。兄弟だから仕方がないのだろうけれど、こういう仕草──なんとなく柊悟さんに似ている。


「すみません、失礼します…………もしもし、柊悟さん?」

『ほたる! よかった繋がって……今どこ?』

「どこかはよく……わからないの」

『兄と……夏牙と一緒なの?』

「そうなんだけど……あっ」


「もしもし、柊悟?」


 わたしの右手からするりとスマートフォンが盗み取られる。ハンズフリーモードに切り替えられ、彼の手の中に収まった。


『兄さん! 一体どういうつもりだ!』

「どうもこうもないけど。ちょっと借りるよ、ほたるさんのこと」

『ふざけるな、何勝手なこと……』

「ちゃんと家には送り届けるから、柊悟は黙って見てなさい。もう電話をかけてこないこと、いいね」


「あ……」

「切ったよ?」


 差し出されたスマートフォンには、通話の終了を告げる画面が映し出されている。不安でいっぱいになり、手の中のそれをぎゅっと握りしめる。


 車は市街地から山の方へ向かっているようで、窓の外では民家が疎らになり始めた。



(わたし、一体何やってるんだろう……それに、どこに連れて行かれるんだろう)





 「Hotel Tateishi 副支配人 立石 夏牙」──そう印字された名刺を受け取り、わたしはあの時動くことが出来なかった。何故って、彼はそういう目をしていたからだ。わたしが拒もうものなら、今後一体どういう目で彼から見られ──彼の家族からどういう扱いを受けるのか、その目を見てわたしは瞬時に察してしまった。


「ほたるさんが頭の良い子で良かったよ。父や母に良い報告が出来そうだ」

「わたしが拒否していたら、どうするつもりだったんですか?」

「……それは、言わなくてもわかるだろう?」


 口の端を上げ、にやりと笑う夏牙さん。魅力的な微笑みなのに何故だろう、やはりどこか恐ろしい印象が拭いきれない。


「柊悟は来ない。君は、俺の言うことを拒否出来ない。俺が君のことを脅してるって、ちゃんと伝わってるよね?」


「……はい」



(──柊悟さん)



「これ、なかなか良いシチュエーションとは思わない? 暗がりの山道で弟の恋人を脅す……良いねぇ」

「…………そうですね」

「乗り気でよかったよ」


 どこが、と言いたい気持ちを堪える。わたしはただ窓の外を見つめ、流れに身を任せるしかなかった。




 しばらく走ると何となく見覚えのある道だということに気がついた。この道はたしか──。


「あ、そういえばハンバーグ美味しかったよ」

「……え」


 至極自然に、夏牙さんはそう言った。


「なんで……」

「なんでって、俺が食べたからだよ、お弁当」

「どうして……」


 どうして──ありとあらゆる疑問が、わたしの頭の中を駆け巡る。どうして柊悟さんは、お弁当を食べてくれなかったのか──どうして、夏牙さんがお弁当を食べたのか──。



(ハンバーグ、楽しみにしてくれてるんじゃ、なかったの……)



 目頭が熱くなる。折角、彼に食べてもらおうと張り切って作ったものが、他の男の口に入っていたなんて。一緒に食べれなかったのは仕方がないと割りきっていたのに、食べてすらくれなかったなんて。


 おまけにこの状況。いくら彼の兄だとはいえ、初めて会った男に半ば脅される形で車に乗せられ、行き先も目的も告げられていない。次第に形が保てなくなるわたしの心は──ぐちゃぐちゃになって行く。


「ごめんごめん。泣かせるつもりはなかったんだけど大丈夫?」


「……」


 黙って俯くことしか出来ない自分が、酷く惨めだった。

 スカートに滲む涙の跡が、次第に大きくなってゆく。唇を噛み、ようやく涙を止めることが出来たところで、車は停車した。




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