第一話【怪しげな男】

 わたしの名前は真戸乃まどのほたるという。車がなければ生活が不便である、ある程度の田舎住まいの二十六歳、OL──彼氏は……いない。


 

「今日も疲れた……お酒お酒……栄養を補給しなきゃ」


 言いながら愛車のハンドルを切る。時刻は二十時を回ったところだ。わたしが文句を言わないのをいいことに、残業を強いるあのハゲ上司。おまけに今日は土曜日。所謂休日出勤である。


 仕事が終わってまで、あんな人の顔を思い出すのは止めよう。


 コンビニに寄ってビールと適当に惣菜を購入し、わたしの帰りを待つ汚部屋へと車を走らせる。


 さりげなく流したつもりだったが、バレてしまっただろうか。


 

 ──汚部屋。



 そう、汚い部屋と書いて汚部屋おべやと読む。


 汚いと言ってもその……散らかっているだけだ。食べ終わってコンビニ弁当のトレーだとか、飲み終わってビールの缶だとか。あとは……読みかけの本の山とか、クリーニングから返ってきてそのままのスーツ類だとか。


 とにかく、散らかってはいるけれど、決してとても汚いという訳ではなくて! ゴミとか散乱してないから! って、わたしは必死になって誰に言い訳をしているんだろう。



 別に誰を部屋に上げる訳でもないというのに。



 友達に会うときは外で済ませればいいし、宅配なんて玄関を少し開ければ済む。それ以外の来客など、ほぼない。


 まあでも、贅沢を言えばもっと片付いている部屋がいいんだけれど、如何せん片付ける時間がない。毎日毎日仕事で疲れて帰宅して、そんな気力は湧いてこない。元々は綺麗好きだったんだけれど。



(人って、変わっちゃうんだなあ……)



 誰か片付けてくれる人いないかな、ついでに美味しいご飯も作ってくれるような人……そんなことを考えながら自宅のアパートに到着し、愛車の真っ赤なアルファロメオジュリエッタのボンネットをそっと一撫で。わたしの住む三階の部屋へと足を進める。



 ──カンカンカン…………コツコツコ……カツンッ!!



 階段を上りきり、外廊下に差し掛かったところで、わたしの歩行は停止する。



(な、なんだあれ……)



 三○三号室──わたしの部屋の前に、その人はいた。




 ──寝ていた。




「……は?」




 ──寝てる……?




 暴漢かと一瞬身構えるも、動かないその男。急に飛び掛かられても反撃が出来るよう腰を落とし、得意の──と言っても我流の空手風の構えをとる。

 更に右手にはスマートフォンの通話画面を開く。表示されているのは大家さんの電話番号だ。うちの大家さんはびっくりするくらい優秀で、何かあれば飛んできてくれる。


「…………」


 

 暫し待つも、動かないその男。



 スーツ姿で片膝を立てその上に手を乗せ、すーすーと可愛らしい寝息を立てている。そんな彼の隣には黒くて大きなスーツケース、それにシンプルなグレーチェックのエコバッグ。


 エコバッグから青葱がひょっこりと顔を出しているのが気になるんだけど……。


「ええっと……」


 そろりと近より試しに肩をつついてみたが、反応はない。


「綺麗な顔……綺麗な髪……綺麗な手……」


 顔は伏せ気味で分かりにくいが、男性にしては睫毛が長い。スッと通った鼻筋なんかは、とても好みだ。

 黒々と艶やかな髪は、漫画の世界から飛び出してしたかのように、これまた長い。コンクリートの廊下にぺたりと着いている三つ編みは、恐らく腰の辺りまであるのではないだろうか。


「おっきい手……」


 華奢というわけではないが、男性らしくごつごつとしているわけでもない、美しい手。


「爪、キレー……」


 と、わたしが思わず見入ってしまっていた時だった。


「──────!!」


「──────ッ!?」


 男の瞼が持ち上がり、すくっと勢いよく立ち上がったのだ。

 わたしも連れて立ちあがり、タンッタンッと後方へ飛躍し、距離をとる。そしてあの構え。


「だ、誰ですか? 場合によっては撃退、もしくは警察に通報しますよ」


 わたしの言葉に男はゆっくりと顔をこちらに向けた。


「なっ…………!」


 あまりに整った容姿に、硬直していた筋肉が弛緩してしまった。



 ────イケメンだ……。



 イケメンの基準なんて人それぞれだろうけど、わたし基準で見た彼は、イケメンと呼ぶに相応しかった。


 伏せていた瞼が持ち上がり、露になったその瞳は想像通り秀麗で、吸い込まれそうな蒼。先程見えなかった未知の領域──唇は、薄く、妖艶だった。

 彼が立ち上がったことにより気が付いたのは、彼が着ているのはスーツではなく燕尾服だった……夜のパーティーにでも行くつもりなんだろうか?──って、違う違う!



(どうしよう、めちゃくちゃ好みだ。こんな人、襲われても殴れる気がしないよ、わたし……)



「あの……」


 燕尾服男が口を開いた。が、わたしは更に動揺してしまう。何故って、低く透き通った声も非常にわたし好みだったからである。


「眠ってしまい、申し訳ありません。私のことは"セバスチャン"とお呼び下さい、御嬢様」


「は?」


 訳がわからず呆けてしまったわたしに畳みかけるようにセバスチャン──と名乗った男は続ける。


「本日より私はあなた様の執事です。なんなりとお申し付け下さい」


「……え?    はあああああああ!?!?」



 まさか──まさか玄関先で拾ったイケメン執事と、になるなんて。この時のわたしは知る由もなかったのである。

 

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