72・シリアル Act.5



 ずっと二人で居ようと思った。





 仕事の失敗で右腕を傷付けたシオンを見て、俺は言った。


「逃げよう」


 俺たちは組織お抱えの殺し屋。

 人を殺せなくなったのなら、俺たちは――いや、シオンは殺される。

 邪魔者としてあっさりと始末される。

 俺とシオンはずっと一緒に育った。

 まるで兄弟のように。

 ずっと一緒に生きてきた。

 だから、死ぬ時は一緒だ。


「……タキ」

 シオンは綺麗な緑の瞳を伏せて呟く。

 紅い血はとくとくとシオンの右手を伝う。銃の名手と言われたシオンの右手。

「俺は、大丈夫。だから、戻ろう」

「嘘を吐くなよ」

 シオンの右手には力が入らない。

 愛用の銃を持つことさえままならない。

 大丈夫の訳が無い。

「すぐに治る。そうしたらまた働ける」

「嘘だ」

 



「逃げよう、シオン」

「タキ」

「大丈夫、逃げる場所ならある」

「……何処に?」

 俺はシオンを勇気付けるように笑った。

 

「水上都市。Sって名前の――あそこなら、ボスも手を出せない」





 今思えば俺の選択は間違っていた。

 俺が選ぶべき道は、シオンが望むようにしてやる事だったのだろう。

 シオンがボスの下へ行きたいと言うのなら、行かせてやるべきだった。

 そこで選ばれるのが死だとしても、俺も後を追えば良かった。

 離れた場所で死んだとしても、きっと俺たちならば地獄で出会えただろうから。



 シオンは俺をずっと見て、それから緑の瞳を細めた。

 まだ動く左手を差し出して、そっと頷く。

「うん」

 いつも通り、俺を信じきった、綺麗な瞳。

「タキと、一緒に行く」





 もしかしたら、シオンは間違いに気付いていたかもしれない。

 それでもシオンは俺を選んでくれた。

 俺と一緒に行くのを、選んでくれた。





 逃げて、逃げて。

 殺して、殺して。

 地獄と言う地獄を見て。



 でもどんな地獄だって、シオンと一緒なら生きていける。

 シオンと一緒なら。











「――あんた、良い匂いがする」



 でも地獄には鬼が居る。

 その男はシオンの顔に顔を近付けてそんな風に言った。

 紅い髪と、淡い淡いアイスブルーの瞳。黒いロングコートで両手はポケット。

 そのポケットの中の手に嫌な予感。

 俺は無言で男との距離を詰め、その腹にナイフの刃を押し付けた。

 皮製のコートの隙間。内臓を抉る距離。

「俺のツレから離れろ」

「……」

 男は俺ではなくシオンを見て、そして瞳を閉じた。

 良い匂い。それを味わうように、瞳を閉じたのだ。

「オイ!!」

 俺の強い声も無視。それから脅し代わりに少しだけ食い込んだナイフの刃も無視。

 



 シオンは身体を硬くしたまま男を見ていた。

 うん、と男がひとつ頷く。

「本当――良い匂いだ」


 この街では人の生命などとても安い。

 奇妙な男が一人死んだぐらい、どうともない事だ。

 だから俺は男の腹にナイフを食い込ませた。



 男はほんの僅かだけ身体を動かした。

 俺は舌打ち。

 ほんの少し。だがその少しの距離で、男は致命傷となるべき傷から逃げた。

 しかしシオンの身体は自由になった。

 俺は空いた手でシオンの手を掴み、走り出す。



「タキ」

「アイツはヤバイ」

「……うん」

 シオンは言葉少なく頷いた。







 俺たちは犯罪だらけの街の片隅で、手を繋いで眠る。

 使われなくなって久しいその廃墟ビルで、手を繋いで、子供のように眠る。

 シオンの顔を眺める。

 汚れて、疲れ果てた表情の顔。眉間の皺が気になる。

 悪夢でも見ているのだろうか。

 それでも目覚めさせたのなら、シオンはきっと綺麗な笑みで言うだろう。

 ――俺は大丈夫だよ、タキ。

 そんな風に笑うのだ。


 だから俺はシオンを目覚めさせず、その眉間にそっと口付ける。



 ずっと二人で居ようと思った。

 ずっとずっと、一緒に、二人で。

 


 

 二人なら、それでそれで。










 その女と会ったのは、黒コートの男の腹にナイフを食い込ませてから三日後の事だった。







「――ハァイ」

 寝床にしていた廃ビルの前。瓦礫に腰掛けた手足の長い女。長い黒髪をポニーテールに結い上げた、紅い唇が毒々しいぐらい似合う顔立ちの女だ。

 女は組んでいた足を解き、立ち上がる。

 俺は咄嗟にシオンを背に庇った。

 嫌な、嫌な、予感。



 女は片手を腰に当てて小首を傾げた。

 色の白い女だ。

 だからこそ纏う紅が血のように、目立つ。

「うちの子に悪さしたの、貴方たち?」

 笑いながらの発言。

 笑いながらの発言だと言うのに、俺は無言で武器を抜いた。

 大振りのナイフ。

 あら、と女は笑う。

「ナイブズから聞いてたの――そっちの子のお話だけだったけど……貴方も悪くないわね」

 瞳を細める。

「貴方も、可愛いわ。男の子にしておくのが惜しいぐらい」

 女の言葉が終わらぬうちに、俺は右手を突き出す。右足で一歩半。女の懐の中に飛び込むように、ナイフを突き出す。

 刺さる。

 致命傷を負わせなくとも、少なくとも傷は負わせられる。



 だけど、俺の耳に届いたのは笑い声。



 腰に当てていた女の手。その手首に巻かれた金属のブレスレット。それによって弾かれたナイフの刃、そして、軸をずらした女の動き。

 俺のナイフは空を斬った。



 耳元。舐めるような位置で、女が言う。



「貴方……本当に素敵よ。可愛いわ。――女の子だったら良かったのに」

 可愛いと言われて喜ぶ男は居ない。

 俺はナイフを翻す。

 女に再度、切り込む。

 リーチの短いナイフだ。踏み込み、突き、切り込む。

 女は右足を下げ、左足側に身を引き、上半身を逸らし、俺の右手を捕らえ、全てを交わした。

「真っ直ぐな攻撃。貴方の可愛らしさがよく出てるわ。人に勝てるのは速さと、相手の懐に踏み込む命知らずの度胸だけ」

 でも、と。

 女が何故か俺を哀れむように笑った。

「速さも、命知らずも、ナイブズの方がずっと上」

「ナイ……ブズ」

 先ほども聞いた名前。

 


「――俺、だよ」

 楽しげな声は俺の背後から。




 シオンの、方から。





 俺は女の存在を忘れて振り返る。

 シオンは利き手ではない左手で銃を構えていた。右手はもうずっと動かないままだ。

 銃口を向けられているのは、いつか見た、アイスブルーの瞳の男。

 相変わらず黒コート。

 ニヤニヤ笑ってシオンを見ていた。

 シオンは小さく呻き、一歩、下がった。

 俺は慌てて駆け寄り、すっかり細くなってしまった身体を庇う。



 男と女。二人に挟まれて動けない。

 二人とも武器は持っていない。構えさえしていない。

 だけど、彼らは根本的に何かが違う。

 


 俺とシオンは殺し屋。

 人を殺して生きてきた。

 生きる為に殺してきた。


 だけど、彼らはそんな俺たちとは違う。

 根本的に、何もかも。




「タキ」

 シオンが俺の名を呼ぶ。

 元気付けてやる事さえ、出来なかった。

 

 




「ナイブズ、興味があるのは後ろの子だけ、でしょう?」

「そうだよ、ビアンカ」

 男の名はナイブズ。女の名はビアンカ。

 これからの事を予測するかのように、そのふたつの名を、俺は刻む。


「なら前の子は私に頂戴」

「男は嫌いじゃなかったのか?」

「可愛い子は皆好きよ」

「ふぅん」


 獲物を前に唇を舐める肉食獣のように、二人は会話する。

 俺は汗で滑りそうになるナイフを握り直し、構えた。


「素敵」

 女が言う。「まだ戦う気よ。ほら、あんなに足が震えているのに」

「ナイト様のつもりなんだろう」

 男が笑う。「守れるような腕じゃあないくせに」

 嘲りにそちらを見た瞬間。

 風が動いた。



 そう、俺には風としか認識出来なかった。

 気付いた時には、男の顔が間近にあった。

 殆ど鼻と鼻をくっ付ける距離。


 べろり、と男は舌を出した。

「べぇ」

 子供が遊ぶように、舌を出し、目を細める。

 嘲りの、動作。

 俺は舌打ちしナイフを――




 その後の事は一瞬。

 右手を閃かせるより先に、男はコートのポケットから手を出した。

 俺のナイフよりもずっと細身。そして長いナイフが抜き出され、その刃が、迷う事無く俺の右掌を貫いた。

 痛みと言うより衝撃で、俺はナイフを取り落とす。

 武器の無い俺のみぞおちに、男の膝蹴りが食い込む。

 スピードと、そして体重の乗った蹴り。

 


 俺が無様に吹っ飛ぶのと、シオンが高い声で俺の名を呼ぶのは同時だった。




 世界が回る。

 腹を抱えて転げまわる。胃の中は空っぽだったのか、胃液らしいものがせり上がって来るだけだ。

 右手が痛い。腹が痛い。

 動けない。



「タキ!」

 シオンの声は悲鳴。

 そのシオンの声が本当に悲鳴になる。



 男が、シオンの腕を捕らえたのだ。



「離せっ!!」

「……ああ、やっぱり、良い匂いだ」

 鼻を鳴らす。



 瞳を閉じ、恍惚と。


「甘くて、臭くて、重くて、酷い、匂いがする」






「血と、死のにおいがする」





 良い匂いだ、と男は繰り返す。

 シオンの身体を抱き寄せて、その首筋に顔を埋める。


 不思議な話だが。




 何故だか――子供が母親にすがり付いている様を、想像した。



 シオンの激しい拒絶を声を耳にするまでは。




「シ、オン……」

 身体を起こそうと必死になる。左手を地面に付き、膝を付こうと。




「あら、逃げちゃいやよ」

 俺の背に重み。

 咄嗟に四つん這いになった俺は、右手の痛みで地面に転がる。

 俺の背に腰掛けたのは女。

 足を組み、笑顔で話しかけてくる。




「可哀想だけど、貴方の可愛いあの子、もう助からないわ。諦めなさい」

 でも安心して。

「貴方もすぐに後を追わせてあげる」




 ふざけるな。

 叫ぼうとした言葉は呻き声になっただけだ。





「――ママ」




 男の声が、響く。




 俺とシオンは動きを止める。





「あんた、ママと同じ匂いがする」





 俺は顔を上げて男を見た。

 シオンも完全に動きを止めていた。





 俺とボス以外誰も知らなかったろうが。

 シオンは、男のような身なりをしているが、正真正銘の女だ。

 幼い頃に病で女としての器官を失って以来、男として育てられた。

 



 男――ナイブズが笑う。





「中も、ママみたいなのかな」



 暗い、暗い笑みだった。






 その笑みのまま、男は何処からか取り出したのか、ナイフを閃かせた。





 紅い色が散った。






 絶叫する俺の髪を掴んで、男の凶行と解体されていくシオンを見せて、女が笑う。

「見ていてあげなさい。彼女の最期を」




 シオン。




 一緒に生きようと誓った。

 一緒に死のうと誓った。

 



 シオン。




 お前となら、どんな場所でも生きていけると思った。

 お前となら、どんな地獄でも大丈夫だと思った。




 シオン。





 でも、お前が居なければ。






 肉に切り込ませた刃。

 引き千切るように、ナイブズはシオンの首をねじ切った。

 血を流し、薄く開いたシオンの唇に、ママと囁き、ヤツは口付けた。

 そして、「血の味がする」なんて笑って見せた。




 そこからの事はあまり覚えていない。

 背中に座っていた女を跳ね除けて、右手に刺さっていたままだったナイフを引き抜き、駆けた。

 ナイブズが俺を見ると同時にナイフをヤツに叩き込んで、首だけのシオンを奪う。


 そして、逃げた。




 随分と軽くなってしまったシオンを抱いて。














 気付いたら見覚えのない場所だった。

 俺の腕のなかにあるのは、血で汚れたシオンの顔。

 白く淀んだ死人の瞳が、俺を見ている。



 綺麗だったグリーンアイ。

 俺の大好きだった瞳の色。



 シオンはもう優しく笑わない。

 大丈夫、と俺を勇気付けてくれない。

 タキ、と俺を呼んでくれない。




「――シオン」

 シオンの首に顔を寄せて、頬を合わせる。




 死のうか。

 シオンが生きていない世に未練など無い。







 未練、など――







 いや、と俺はすぐさま自分の言葉を否定。






 ビアンカ、そして、ナイブズ。

 男女。

 黒髪の女と、アイスブルーの瞳の男。

 




 どうして、シオンが殺されなければならなかった。

 先に近付いてきたのはヤツらだ。

 




「……シオン」

 一度も触れた事の無かった、シオンの唇に口付ける。

 誓いの言葉を、口にしながら。



「あいつらを、殺してくるよ」


 どんな手段を用いても。

 どんな無様な事になろうとも。

 シオンと俺が受けた苦痛。何倍にして返してやる。




 シオンの首に俺は囁く。

「だから……もう少しだけ待っていて?」



 一人の地獄は寂しいだろうが、大丈夫。そう遠くない未来、そこに行くから。

 俺がヤツラを殺してすべてをやり遂げたとしても。

 ヤツラに俺が無様に解体されたとしても。


 どっちにしても、シオン、お前なら、微笑んで迎え入れてくれるだろう?





 少しだけ。

 少しだけだから、そこで、俺を待っていてくれ。




 俺はシオンの首に囁いた。












 俺は殺し屋。

 生きる為に殺しを続けた、人殺し。




 そして俺が狙うのは、殺す為に生きるような二人の鬼。

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「  」(空白) 第二期 やんばるくいな日向 @yanba

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