16・幻想館殺人事件~名探偵 土岐鏡一郎最後の事件~

 

 波音が聞こえる。この島は、本土から遠くはなれた海上に存在するのだから、何処でも海の音が聞こえてくる。

 幻想館と呼ばれた建物の裏手。海に突き出すように存在する崖の上で、土岐先生は「やれやれ」と身体を伸ばした。

「ようやくこの事件も解決したね」

 正直、と彼は笑う。「ほっとしたよ。今回の事件は、私が今まで関わった事件の中でもトップクラスの異常さだったから」

「『紅姫』事件よりも?」

 僕は先生の後ろからそう声を掛けた。

 『紅姫』事件は、土岐先生が、日本が誇る名探偵と呼ばれるようになったきっかけの事件だ。

 連続猟奇殺人事件。動機無き殺人。その犯人を追い詰め、自殺に追い込んだのは、土岐先生のお手柄だった。



 先生は苦笑しただけで僕の問いに答えなかった。

 僕はもう少しだけ答えを待ち、それから、次の話題を振る。

「でも先生」

「なんだい、安田くん」

「犯人、最後の双子の…美陽さん、美月さんの殺害は自分じゃない、って言ってるみたいですよ」

「――……」



 この館で行われた最後の殺人。地下の、先代が作り上げたと言う異形のコレクションルームで、双子の美少女は殺されていた。

 無数のホルマリン漬けに囲まれ、もっとも自分たちが異形であり、もっとも美しいと叫ぶように、その屍体を美しく、惨たらしく飾り付けていた。



「あの殺人は」

 先生が言った。

 視線は海を見たまま。

「誰でも行う事が出来た」

「そうですね。予告された殺人はすべて終わり、最後の一日…みな、自由に気ままに動いてましたから」

 じゃあ、と僕は言う。



「犯人は、もう一人居るのですか?」




 先生はゆるりと首を振った。




「異常な殺人者はひとつの事件に一人で充分だ」




 思えば先生は疲れきって居たのだろう。

 日本一の名探偵と言われても、この人は元は作家と言う職業だったらしい。それも推理小説なんて一本も書いた事の無い、優しい作風の。

 人殺しとなんて、正直、関わりたくないのかもしれない。





 なら、と僕は思う。






 先生の真後ろに立ち、僕はそっと囁いた。




「先ほど、『あの殺人は誰でも行う事が出来た』と仰いましたね?」

「ああ」







「じゃあ、その犯人が僕だと言っても、信じて頂けますか?」

「…?!」



 先生が振り返った。

 あまりにも慌てて振り返ったものだから、片足が少し、崖から落ちかける。

 姿勢を先生が整える間、僕は笑って彼を見ていた。






「安田くん、何を冗談を…」

 先生は笑みを浮かべる。苦笑。だけど、その笑みには不安の色が在る。

 真面目で大人しい、屍体を見つけるたびに倒れてしまうような助手が、殺人犯人だなんて思いたくないのだろう。




 でもね、先生。

 僕が屍体を見つけるたびに倒れた本当の理由、ご存知ですか?

 


 屍体の持つ独特な美しさ。

 それを見るたびに、もうたまらなくて。喜びのあまりに意識を失っていたってご存知ですか?





「『紅姫』事件、覚えていらっしゃるでしょう?」


 日本を震撼させたあの連続殺人事件。

 犯人がまだ二十代の美貌の女性だと分かった途端、日本はどれだけ大騒ぎになった事か。

 その彼女が、42人もの人間を、残虐に、残酷に、そして美しく殺して行ったなんて、実際、見ていない人間は信じられないだろう。


 そして、僕は実際、彼女の殺しを目撃した人間だった。


 紅姫。彼女はそのあざなを得ていた。紅い姫君。確かに。

 彼女は、確かに、真紅の姫君だった。

 僕の最愛の。





「『紅姫』の模倣事件が何件も起こっていたでしょう? そのうち、彼女のものかどうか分からない殺人事件が、7件、存在したかと思います」

 僕は普段どおりの笑みを浮かべる。

「その中で、78歳の老女と17歳の少年を殺した事件以外、すべて僕が犯人です」

「…やす、だ、くん?」

「あ、その顔、信じてもらえました?」

 僕は顔に手を当てる。「僕、今、殺人者の顔してるでしょう?」

 狂気に澄んだ、殺人者の顔。

 動機無き殺意を抱え、人の常識から外れ、生きる事が出来るようになった、殺人者の表情。



「僕は彼女に師事していたんです。殺し方を習っていたんです。僕の一人目の模倣殺人を見て気に入ってくれて、連絡くれたんです。

 彼女に色々聞きながら、僕なりにオリジナリティを加えて、殺人を行ったんです」

 綺麗だったでしょう? 僕の殺し方も。

 



「先生、僕が貴方の助手になった理由は、まだまだ殺人が見たかったからなんです。貴方を新たな師匠として、もっと人が死ぬ様を見たかったんです。

 …でも、正直、貴方にはがっかりです。

 あの双子の殺人、僕が犯人だって言うのに、指摘してくれないし」

「…君、が?」

「ええ、あんまりにも可愛らしい双子だったんで、つい」

 僕は小さく笑った。

 先生は吐きそうな表情になった。

「…惨すぎる」

「惨い?」



 僕はその言葉を聞いて、ああ、と思う。

 この人はやっぱり普通の人なんだ。屍体が持つ独特の美しさなんて微塵も感じない人なんだ、と。






 だから、僕は最後の決断をする。





 身体を先生にぶつけた。

 先生が大きく身体を崩す。何かに捕まろうとする先生の手を、僕は大きく振り払った。

 

 先生が、落ちていく。

 僕はそれを黙って見送った。

 この崖の高さから落ちたのなら助からないだろう。







 僕はゆっくりとその小さな島を一巡りし、館に戻る。

 そこへ、丁度、桑野刑事がやってきていた。

「やぁ、安田君。土岐先生は?」

「それが」

 僕はせいぜい困った表情を浮かべてみせる。「何処にも見当たらないんです」

「あの先生も神出鬼没だからなぁ。『鬼面島』の事件の時だって、見当たらないと思ったら地元の漁師さんに乗っけてもらって先に帰っていたよな」

「ああ、あの時は驚きましたね」

 僕は薄く笑う。「今回もそうなのかなぁ」

「かもね」


 何か話し出す桑野刑事の腕を、僕は黙って見詰める。よく日に焼けた褐色の肌。

 この腕を切り落として、白い肌の女の生首に縫い付けるのだ。二本じゃ足りない。もっと沢山の褐色の腕を、生首に生やす。

 それとも、白い肌の女の腹にこの日に焼けた精悍な顔を封じ込めるのだ。

 どっちが美しいだろう? どっちが惨たらしいだろう?

 僕はわくわくした。



『貴方は私の後継者』



 僕に殺人を師事してくれた紅姫の笑みを思い出す。


 えぇ、紅姫。僕は貴方の後継者です。貴方が行った紅い遊戯。僕が後を受け継ぎましょう。





 僕は桑野刑事の話の頷きながら、これから行うべき紅い遊戯の数々を、そっと思い浮かべていた。


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