17・御犬様
学生時代の後輩の家に遊びに行ったのは、知り合いからヤツが酷く落ち込んでいると聞いたからだ。
恋人の女性が行方不明になり、家から一歩も出ようとしないそうだ。
一年ほど疎遠になっていたとは言え、学生時代はかなり親密に付き合った後輩だ。
仕事が休みの日曜日。俺は後輩の家を訪ねた。
後輩の家は、街外れの古い一軒家だ。
庭には蔵なんかもある本格的な。
学生時代はよく此処を遊び場にした。なんせ、ヤツは両親を中学生の頃に失い、この家に一人暮らしなのだから。
「先輩」
玄関先で、後輩は嬉しそうに俺を出迎えた。
昔とヤツはまったく変わっていなかった。
懐かしい顔だった。
「お久しぶりです先輩、どうしたんですか?
お医者様になったって聞きましたけど」
「医者って言っても、親父の手伝いだよ。まだまだ下っ端。何もやらせてもらえないって」
「でも先輩ならすぐに一流のお医者様になりますよ」
俺を家の中に通しながら、ヤツは明るい笑顔で話しかけてくる。彼女が行方不明になったと言って落ち込んでいるだろうと思っていたのだが、思ったより元気そうで安心した。
「でも、先輩、本当にどうしたんですか?」
「いや、久しぶりにお前と会いたくなってさ」
「そうなんですか? 相変わらず突然ですね」
でも嬉しいです、と、ヤツは笑って見せた。
「先輩、まだ学生時代みたいな事、してるんですか?」
「学生時代みたいな事?」
「ほら、肝試しですよ」
ああ、と俺は頷いた。
学生時代、よくこいつや他の友人を連れて、肝試しなんかをやった。出ると言う噂の廃屋や、神社などに真夜中に行くのだ。
実際、蒼くなるような経験も何度か。
だけど。
「…ああ、今も、少しだけ、な」
「お好きなんですね。そういうの」
そこで、ヤツは少し声を潜めた。
俺に内緒話するように、言ったのだ。
「うちにも、ひとつ怖い話が伝わっているんです」
「そうなのか?」
「お教えしましょうか?」
是非、と俺は大きく頷いた。
奥の部屋に通された。一度も来た事の無い部屋だ。
そこの床の間は綺麗に片付けられ、奇妙な木製の像が座っていた。
犬である。
普通の犬の「おすわり」を、腰の部分から斜めに…横座りにしたような姿で座っている。顔立ちは穏やかで…女性的に見えた。
「御犬様です」
「おいぬさま?」
「うちの古くからの護り主だと聞きます。御犬様が家に居るなら、我が家は安泰だと言われていました」
「へぇ」
何処が怖い話なんだろう、と俺は首を傾げる。
後輩は俺の疑問など気付かぬように言葉を続けた。
「現に、御犬様が死んで間も無く、両親は亡くなりましたし」
「……居るのか、御犬様って?」
「会いたいですか?」
「ああ、犬は嫌いじゃないし」
この家に犬が居るなんて初耳だった。
後輩が裏庭の方を指差した。
「蔵に居ます」
ご案内しますよ、と。
俺は歩き出した後輩の後を着いて行きながら、ふと、疑問に思う。
奇妙な、と、さきほどの『御犬様』の木像を思った理由を、考えたのだ。
振り返る。
薄暗い和室。
床の間の御犬様は――光の加減だろうが…笑ったように見えた。
ああ、と俺は思う。
この像の表情は、まるで人のようだ。犬の表情ではない、のだ。
蔵の中は薄暗かった。
犬は二階に居ると言う。
細い木製の階段を上り、そして、立派な鍵が付けられたドアを、ヤツが持っていた鍵で開く。
どうぞ、と先に通され、俺は、呆然と二階を見回した。
蔵の中には、犬など居なかった。
居たのは、人間の女性だった。
犬のように首輪を嵌められ、奥の壁に繋ぎとめられている。
全裸の身体を隠そうともせず、その女は俺を見て必死に何かを言いたげに口を開いた。
だが何も言葉にならないらしい。
それでも言いたい事は分かった。
女は、俺に助けを求めている。
俺は女に一歩近付いた。
女が巧く言葉を話せない理由はすぐに分かった。
歯が全部抜かれているのだ。
顔が変形するほど、ほぼ全部の歯が抜かれているようだ。これでは巧く言葉を話せないだろう。
「俺が子供の頃は、御犬様が此処に居たんですよ。でも大分歳で、俺が中学の時に死んじゃった」
だから。
「俺がまた、作ったんです」
先輩、と、ヤツの手が俺の肩に置かれた。
「ねぇ、先輩なら手伝ってくれますよね?」
「…てつだ、う…?」
「俺が知っている御犬様って、こんなんじゃなかったんです。
こんな人間みたいな両手両足じゃなくて、両手は肘、両足は膝の部分で切り落としてたんです。
俺がやると巧く出来無そうだったんで……やらなかったんですが…」
女はヤツの言葉を聞いて、見て分かるほど震えている。
「ね、先輩。よく話しましたよね。怖い話は勿論…都市伝説とかも。ダルマ女の話もしたじゃないですか。
先輩、アレ結構好きだって言ってましたよね。腕も足も無きゃ、女も静かでいいよなって話してましたよね?」
「………」
「…今はまだ、無理だ」
俺の言葉の微妙な色に、ヤツは顔を輝かせ、女は真っ青を通り越して真っ白になった。
「でも、必ず、手伝ってやる」
「先輩、有り難うございます!」
俺は『御犬様』から目を離さずにゆっくりと頷いた。
……あれから、十数年が過ぎた。
女は『御犬様』となり、ヤツの家に富と幸福をもたらし続けている。
「ねぇ、先輩」
いまだ俺の事を先輩と呼ぶヤツは、笑顔で言ってくる。
「そろそろ御犬様にお婿さんを用意してあげようと思うんです」
どれがいいと思います? と、ヤツが並べたのは、幾人もの男の写真。
俺はババ抜きの要領で一枚を選び出す。
後輩はにこにこと笑った。
「御犬様、気に入ってくれるといいですね」
ちらり、と振り返る先。
既に発狂した『御犬様』がひぃひぃと風の泣くような声で笑っていた。
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