67・赤子


 黒木は産婦人科の医師だ。

 一緒に飲みに行った際、ふと思い出したようにその話をした。



 彼の元に来たのは大きく腹を膨らませた少女だった。

 一緒に来た母親に聞けば、歳はまだ17歳だと言う。

 そんなに大きな腹だと堕胎は無理だ。黒木の感情を悟ったのだろう。母親は慌てて言った。

「赤ちゃんが居る筈ないのです」

「……?」

「この子はもう一年以上も家から出てないので……」



 虚ろな瞳で己の腹を撫でる娘の横で、母親は途切れ途切れ語る。



 娘が一年前、同じ学校の男子との間に子供を孕んだ事。

 産みたいと訴える娘を宥めすかし、堕胎させた事。

 娘の恋人だった男子は、転校して今は行方もしれない事。

 子供を失い、愛しい恋人を失い、娘は家から一歩も出なくなった事。



 寝たきりのような状態になった娘の腹が大きく膨らんでいるのに気付いたのは、一昨日の事だと言う。




「――まずは検査してみましょう」

 そういう黒木に、不意に娘の瞳が向いた。

 彼女は初めて黒木を見た。

 虚ろな、ぽっかりとした暗闇の瞳だった。


 その瞳のまま、少女が笑う。



「せんせぇ」

 可愛らしい声で娘が言った。



「私、神様に一生懸命にお願いしたんです。赤ちゃん返して下さい、って」

 だって、と娘はくすくす笑う。

「赤ちゃんが居たら、お父さんも帰ってきてくれる筈だから。

 家族三人で暮らせる筈だから」

 幸せだよねぇ、と娘は虚ろな瞳で幸せそうに笑った。



 娘は完全に発狂していた。







「――で」

 私は黒木に問い掛ける。


「妊娠していたのかい? その娘」

 黒木は無言で首を左右に振った。

「じゃあ想像妊娠? 腹の中は空っぽだった?」

 黒木は飲みかけだったウィスキーに口を付け――左右に首を振った。



「じゃあ――」



 私の問いに黒木はゆっくりと口を開く。



「腹の中に赤ん坊は居なかったが、人形が居たよ」

「人形?」

「玩具屋に売ってるような、ミルク飲み人形だ」



 沈黙した私に、ぐっとウィスキーを煽った黒木が言った。



「子宮の中に入ってた。

 どうやって? どうやってだ? 膣から入れる事なんて不可能だ。腹を裂いて入れた形跡も無い」




 結局、開腹手術で取り出された人形は、少女の手に渡された。

 少女はプラスチック製の人形を抱き締め、嬉しそうに頬を寄せたと言う。

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