69・聡子


 聡子は知人から紹介された。

 いや、あれを紹介された、と言っていいものか。


 「幽霊みたいな女がいるんだ」

 その台詞を紹介の台詞と言っていいものか、俺はいまだ迷っている。



 聡子は線の細い、日本人形のような女だった。

 人は暗いと言うが、俺には神秘的で物静かな聡子が一目で気に入った。

 話しかけてみれば話は弾んだ。自分から話しだす事は殆ど無いが、聡子は聞き上手で、そして頭の回転も速かった。

 俺はどんどん聡子が気に入っていった。


「私たち、何だかずっと昔から会う事が約束されていたみたいね」

 聡子は黒い瞳を細めて、幸せそうにそう呟いた。

 俺も笑い、頷いた。

 同じような事を俺も考えていたのだ。



 聡子との付き合いは一年を超え、やがてお互いに結婚を意識するようになった。

 話を聞けば、聡子は母子家庭だそうだ。聡子は優しい表情で母親の事を語る。母親の事を心から敬愛しているのがよく分かった。

 その彼女の許しを得なければ結婚は無理そうだ。

「まずは難しく思わないで会ってみて?」

 そう言う聡子に促され、俺は聡子の家を訪ねた。




 聡子の母親は綺麗な人だった。聡子と同じで神秘的な雰囲気をたたえた優しそうな人。

 ただ聡子のお母さんは俺の名前を聞いて表情を変えた。

「龍宮時さん、と仰るの?」

「はい」

「もしかしたら、御父様はお医者様じゃなくて」

 俺は驚く。


「はい、父は医者でした。まぁ、両親はもう5年も前に両方とも亡くなりましたが……」


 あら、と聡子は可愛い声を上げた。

「お母さんは昔、看護師をしてたって言ってたわよね? その時のお知り合い?」

「えぇ、まぁ」

 と、聡子のお母さんは不明瞭な声を上げた。



 その日は話も進まず、俺は何となく追い出されるように帰宅した。







 翌日だった。

 聡子のお母さんが俺を呼び出したのは。



 隣町の喫茶店。

 一晩でやつれてしまったように思えるお母さんは、俺の前で深々と頭を下げた。



「何も聞かず聡子と別れて下さい」

 第一声がそれだった。



 俺は呆然とお母さんの顔を見る。

 何が、と。




 一瞬浮かんだのは、俺の父親。




「……父が原因ですか?」

 お母さんは下げていた顔を上げた。

 驚きのあまりに見開かれた瞳。それが真っ直ぐに俺を見ている。

 俺は何も言わない。

 言わないでお母さんの顔をただ見た。


 負けたのはお母さんの方だった。




「……昔――私は貴方のお父さんの愛人をしていました」



「聡子は、貴方のお父さんの子です」




「もう何も言わなくてもいいでしょう? お願いです。聡子に罪を背負わせないで下さい」




 お願いします、とお母さんは繰り返し、立ち去った。




 俺は空っぽになった席をじっと見詰める事しか出来なかった。








 それから俺は聡子からの連絡をすべて拒否した。

 メールも返信せず、電話にも出ず、聡子が知っている自宅にも帰らず友達の家を泊まり歩いた。

 聡子が嫌いになった訳ではない。

 ただ俺は激しく混乱していた。




 そんな生活を一週間もした頃だろう。

 共通の知り合いから、聡子のお母さんが死んだと連絡が来た。

 聡子が俺に会いたがっていると、その人は最後にそう付け加えた。




 葬式には行かず、後日、俺は直接聡子の家を訪ねた。

 聡子のお母さんは自殺だと聞いた。

 ――もしかして、俺と聡子の関係が原因では。

 不吉な予感に押し潰されそうだった。



 聡子は黒いワンピースを着ていた。

 不謹慎な事だが、その聡子は俺が今まで見た中で一番、綺麗だった。


 彼女は俺の顔を見て嬉しそうに笑った。




「ようやく会えた」

「……御免」

「ううん、会えて良かった。もう、それでいい」

 聡子は眼の端に涙さえ浮かべていた。

 そして、俺にゆっくりと抱き付いてきた。

 咄嗟に受け止め、それから俺は慌てて聡子を引き離す。



「聡子――あのな、俺たちは」

「――お母さんは死んだわ」



 俺の胸に顔を埋めたまま、聡子が言う。

 その声は震えていた。




 ――笑って、いる?




「貴方のお父さんも死んでる。お母さんも、ね」





「誰も知っている人は居ないもの」






 だから、と聡子は顔を上げた。

 俺に向かって微笑みかける。



「大丈夫」



 俺は動けない。

 動けない俺に、聡子は小首を傾げて言った。



「それとも貴方は私が嫌い?」



 嫌いな訳が無かった。

 答える代わりに、俺は聡子を抱き締めた。








 時々、思うのだ。

 聡子は、俺と彼女の関係を知っていた。はっきりとは口に出していないが、恐らく。

 話したのは彼女のお母さんだろう。

 俺に急に避けられ始め、お母さんを問い詰めた。お母さんは娘を納得させる為に、俺との関係を話す。


 だが聡子は俺を諦められなかった。



 俺とお母さんを天秤に掛けて、聡子は、俺を選んだのだろう。




 聡子は大きく膨らんだ腹を撫でる。

 愛しげに、愛しげに、母親の微笑で。




 あと二ヶ月で俺たちの子が生まれる。

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