9・二人のパパ


 翔太にはパパが二人いる。






 大輔パパはとても大きくて強い。小学校に上がったばかりの翔太なんて、片手で軽く抱き上げる。

 ごつくて太い指だけど、意外なほど器用で。

 翔太がお気に入りの、庭の滑り台は大輔パパの手作りだ。




 千秋パパはとても優しくて綺麗だ。女の人みたいな名前だけども男の人だ。けども翔太が今まで会ったどんな女の人よりも綺麗で、優しい。

 料理なんかもとても得意で、特にアップルパイは大得意。

 翔太が欲張ってふたつもみっつも食べるのを、にこにこと笑顔で見詰めてくれる。







 翔太のママの『ヒトミサン』は、若い頃、沢山の恋人が居た。

 翔太がお腹の中に居る時も、恋人は一人や二人ではなかったらしい。

 その彼女が、翔太を産み落としてすぐ、事故で亡くなった。


 天涯孤独だった『ヒトミサン』。そして、生まれてすぐに天涯孤独になってしまった翔太。

 他の恋人たちは、皆、こっそりと逃げ出した。

 もしかしたら自分の子供かもしれない翔太を置いて。



 そこで立ち上がったのが、大輔パパと千秋パパ。

 まだ二十歳を過ぎてすぐだった二人は、力を合わせ、大好きだった『ヒトミサン』の忘れ形見を育てる事に誓ったのだ。

 ……もしかすると、この子が自分と、大好きな『ヒトミサン』の子供かもしれない、と、考えながら。



 勿論。

 『どっちが本物の父親でも、恨みっこなし』と言う条件を付けて。






 翔太はとてもとても大切にされた。


 パパが二人だけど、別に何も困らない。





「千秋パパ!」

 翔太はキッチンで晩御飯を作る千秋パパに声を掛ける。

 優しく微笑した表情で翔太を見た千秋パパに、にこにこ笑顔で翔太は言った。

「駅まで大輔パパを迎えに行ってくるね」

「ああ、そんな時間だね」

 千秋パパは声まで綺麗だ。

 優しい声で、「お願いするね」と翔太に言った。

 翔太は大きく頷き、キッチンから飛び出した。




 駅までゆっくり歩いても15分。子供の足でこれだから、そんなに遠いとは言えない。





 ご機嫌の様子で歩く翔太の足が、ぴたりと止まった。

 前から数人の子供が歩いてくる。

 同じクラスの男子生徒だ。

 

 翔太は彼らが嫌いだ。

 何かにつけて、翔太をからかってくる彼らが、どうしても好きになれない。



 視線を合わせないように翔太は彼らの横を通り過ぎようとした。






「あ、ホモの息子だ!」





 誰かが言った。




 翔太はぱっと顔を上げる。

 その言葉を吐いた相手を、驚きと共に見た。




 悪がきどもはけたけた笑う。



「知ってるか、こいつの家、ママが居ないんだぜ。

 その代わり、パパが二人居るんだ」

「ホモのカップルなんだぜ」

「ホモって?」

「ヘンタイって事だよ」





 翔太にはよく意味が分からない。

 分からないが、大好きなパパたちが馬鹿にされたのはよく分かった。



 悪がきどもを睨み付ける。



「だまれ!」

 怒鳴った。

 


 悪がきどもはますます笑う。


「ホモの息子が怒ったぞ!」

「逃げなくちゃ、触ったらヘンタイがうつるぞ!」


 そして、爆笑。




 翔太は頭の中に火が付いたように思えた。

 気付けば、悪がきの一人に、泣きながら殴りかかっていた。














 その後の事はよく覚えていない。

 気付いたら、道端でぐずぐず泣いていた。

 悪がきどもの姿はない。

 ただ、目の前で、自分を心配そうに見詰める大輔パパの顔があった。




 翔太は今度こそ大泣きし、大輔パパの大きな胸に飛び込んだ。

 泣きながら、悪がきどもが言った言葉を、大輔パパに訴えたのだ。















 その夜。

 泣き疲れていつの間にか眠った翔太は、もぞもぞベットから起き出した。

 声がする。

 居間からだ。



 翔太はそっとそちらへ近付いた。






 大輔パパと千秋パパが、向かい合わせに座っていた。

 二人は酷く真剣な顔をしている。





「――俺、考えたんだけど」

 大輔パパが言った。



「……この家、出ようかって思うんだ」

「どうして」

 千秋パパは穏やかな、でも、悲しそうな声で言う。




「やっぱり、父親が二人居るって変なんだろ。

 翔太…その、今日だってさ」

「…うん」

 大輔パパの口から、千秋パパも翔太にあった事を聞いたのだろう。

 千秋パパは悲しげに視線を落とす。



「俺たちのせいで翔太が不幸になるのだけは、嫌だ」

「なら出て行くのは俺でも」

「千秋は翔太の傍に居てやれよ。

 …あの子はまだ母親代わりの存在が必要だから」

 大輔パパは苦笑した。

「俺は、アイツにロクな事してやれねぇしさ」

「違うよ。

 大輔がしっかりと働いてくれるから、俺だって安心して家を守れたし…翔太を育てられた。

 一人じゃ無理だよ」

「金ならいいさ。

 家から出ても仕送りする。お前たちには苦労かけさせやしねぇから」




「大輔は、理想の父親だと思うよ?」

「そうか?」

 もう一度、苦笑。「そうだったとしたら、嬉しいなぁ」

「そうだよ。

 だから、翔太の為にもまだ――」

「言ったろ。俺のために翔太を不幸に、変な苦労かけさせたくねぇって」





 大輔パパの言葉は強い。

 既に何もかも決めてしまったように。




 盗み聞きしていた翔太は、胸が苦しくなった。

 大輔パパが居なくなる?

 



 翔太を呼ぶ大きな声とか。

 翔太を軽々抱き上げる力強い腕とか。

 翔太に向けられる明るい笑顔とか。

 


 そういうのが、もう、無くなってしまうのだろうか。







「――や、だ」




 翔太はかすれた声を漏らす。





 居間の二人のパパは、はっと顔を見合わせた。

 すぐさま立ち上がった大輔パパが翔太の隠れているドアに近付く。ドアが開かれたのなら、目に涙を溜めた翔太を見ただろう。






「大輔パパ」


 必死に。



「居なくなっちゃ、やだ」

「翔太」

「ぼく、何言われても平気だから。

 だいじょうぶだから」




 でも。




「…大輔パパが居なくなったら、ぜんぜん、平気じゃないよ…」







 大輔パパは翔太の前に屈み込み、酷く乱暴に翔太を抱き寄せた。

「大輔パパ、だめだよ、どっかいっちゃ、だめだよ?」

「…ああ」




「――これからもさ」

 千秋パパが穏やかな声で言う。「三人で、暮らそう?」





 うん、と、涙交じりの声で、大輔パパが頷いた。

 大きな男の人が泣くなんて初めてで、でも、その涙が全然嫌じゃなくて、むしろ、カッコいいと思った。

 自分の心に素直に泣ける大輔パパが、カッコいいと思ったのだ。











 それから、数年。

 いまだ翔太の家族の事を悪く言う人もあるけれど、翔太はもう気にしていない。

 朝、ランドセルを背負って、千秋パパに見送られ、大輔パパと一緒に家を出る。



 ランドセルの中には、学校の宿題が入っている。『ぼくのかぞく』がテーマの作文だ。

 素直に書いた。

 自分にはパパが二人居る事。そして、それが原因で酷くからかわれた事。


 でも、それでも。




 二人のパパが大好きで、二人のパパを、とても誇りに思っている事。






「千秋パパ、行って来ます!」

 元気に挨拶し、一歩前で翔太を待つ大輔パパの下へ、翔太は走り出した。

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