8・少女人形


 親が残した遺産は莫大なもので、俺がたとえ百まで生きたとしても食い尽くせそうに無い。

 

 だけど、その財産で何か豪勢な事をしてやろう、と言う気力も起きず。



 元々物事にはさほど執着しない性質だ。

 ぼんやりと、その日その日を過ごしていく。





 その日。

 鳴ったドアのチャイムに俺が出る気になったのは、ある意味、奇跡だったかもしれない。

 両親が残した遺産のひとつ。古い日本家屋。

 玄関まで向かうのにも面倒なぐらい、広い。

 だから殆どの客は無視するのが常だ。


 だが、その日に限って、俺は玄関へと向かう。


 何かに導かれたように。






 黒猫のマークが有名な宅配便業者が立っていた。

「お届けものです」

 と、玄関に置かれた荷物を示す。

 大きい。



 俺は少し笑う。

「人でも入ってるみたいですね」

「人は入ってませんが」

 配達人も笑った。「人形は入ってるみたいです」


 ほら、と示した『品名』の場所。




 『人形』とくっきり、書かれている。




 誰だろう、と差出人を見るが、覚えはない。

 断っても良かったのだが、素直にサインをし、荷物を受け取った。






 箱を引き摺り、部屋に戻る。

 厳重に梱包された荷物を開けば、さらに箱。そのまた中には箱。

 三つ目の箱の中には柔らかそうな布に包まれた少女の人形が横たわっていた。




 大きさは赤子ほどもあるだろうか。

 歳の頃は6歳前後。それぐらいの少女を象った人形だ。

 纏うのは花の柄も鮮やかな赤い振袖。そして、肩の上で切り揃えた黒髪。


 硝子がはめ込まれているらしい瞳が、じっと俺を見ている。




 俺は、そっと手を差し伸べる。


 少女人形を抱き上げた。

 手に伝わる重みは、思った以上に軽い。

 確かに人形だ。

 


 ――だけど。


 …俺の手に抱かれて、少女人形は少しだけ微笑んだように思えた。







 俺は、少女人形の幻の笑みに答えるように、微笑み返した。






「うちで、いいのかい?」





 彼女の喜びそうなものは何も無い。

 ただの古い一軒家だ。

 

 それでいいのか、と、人形相手に問い掛ける。




 少女人形は、もう一度、微笑んだように思えた。












 少女人形を枕元に座らせ、布団に入った俺は、その夜、奇妙な夢を見た。





 和服を着た老人が正座をし、俺に向かって頭を下げているのだ。


「孫を宜しく頼みます」

 孫?

 と、問い掛けかけて、ああ、と頷いた。

 あの少女人形だ。

 

「孫は貴方様に一目で焦がれ、貴方の元へ行かなければ死んでしまうと申すのです。

 どうかどうか。

 貴方様のお傍で可愛がってやって下さいませ」



 人形に惚れられるなんて面白い。

 俺はそう思い、老人の言葉に頷いた。



 老人はほっとしたように笑い、もう一度深々と頭を下げ、夢の奥に消えていった。












 俺は目を覚ます。




 俺の身体の上に、少女が居た。

 紅い振袖の、肩の上で切り揃えた黒髪を闇に溶け込ませ、その間の白い顔だけ妖艶とも言える愛らしさで。

 紅を塗ったような唇が、きゅっ、と笑みを刻む。



「ようやく、あえた」





「君は」

 人だ。

 今、俺の上に乗りかかっている少女は、人間だ。

 だけど。


 振袖の柄に見覚えがあった。

 俺を見詰める硝子のような瞳に見覚えがあった。






「あなたにあいたくて、あいたくて。

 こがれて、こがれて、ひとになりました」



 まだたどたどしい声が、俺への思いを告げる。




「どうか、おそばにおいてかわいがってくださいな」




 少女は硝子の瞳を細め、そっと、俺に口付けてきた。



 ああ、と。



 ああ、ああ。



 少女は、可愛らしい声で、小さく啼いた。

 愛しい人に触れる事が出来る喜び。

 そして。



 ――腕を伸ばし、幼い身体抱き締めた俺に、愛しい人に抱き締められる喜びの表情を見せ。


 少女は、俺の胸に小さな頭を寄せた。














 少女との夜を過ごし、気付けば朝。

 枕元には、少々乱れた振袖の少女人形が、照れたようにそっぽを向いて座っていた。

 振袖をきちんと着せなおしてやり、俺は少女人形を膝に抱き上げる。

 ことん、と。

 何もしていないのに、甘えるように少女人形が俺の身体に寄り掛かってきた。

 自然、見上げる位置となった少女の瞳。

 媚びるような硝子の色に、俺はこれからの自分たちの生活を思い、ただただ、満足げに微笑んだ。




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