38・双影 file.5


「――へへ」

 男は小さなディスクに目的のデータを移し終え、満足そうな笑みを浮かべた。

 二十代半ば。それぐらいの年齢の、細身の青年である。ハンサムと言って差し支えの無い顔立ちだが、少々目が垂れすぎているので情けない顔立ちに見える。

 愛嬌のある顔立ち、と言えない事も無い。




「これで任務完了、っと。

 えーと、さっさと帰って…うん、ピッキとニーアと遊んで寝よう」



 満足そうに呟き、彼は歩き出す。


 そして手身近なドアに手を伸ばした。


 伸ばし、ドアノブを握った途端、軽く首を傾げる。

 何か忘れている。



「…まぁいいか」




 ドアノブを捻り、次の部屋に入った途端、思い出した。




「あちゃ」

 頭を抱える。



「警備システムもう一回騙すの忘れてた」

 鳴り響く警報が彼のその呟きを消し去った。








「侵入時に一回騙したらそれでもう騙され続けてればいいと思うよねー。

 人間だったら気絶させてはい終わり、とかになるんだけど、機械って真面目でアレだからね。

 もう最低」



 ディスクを右手に、全速力で街を走る。その走っている間に、延々と「機械の真面目過ぎる態度に対する不満」を呟いているのだから、大した肺活量だ。



 後ろから追いかけてくる足音。片手よりは多く、両手よりは少ないといいなぁ、程度の人数だと予測。

 


「シツコイな、もう!」



 叫び、角を曲がる。




「…ありゃ」



 行き止まりだ。




「方向転換…と、無理か」

 追いかけてくる声は近い。

 男は片手で髪の毛を掻きながら呟いた。

「困った困った」



 自分を追いかけてきた人間たちに、彼は心底困り果てた顔で言う。




「ね、この場で土下座して謝るッスから、データと俺を見逃してくれないかなぁ」



 無言で、追跡者の一人が顎でしゃくった。

 始末する気満々の追跡者たちが近付いてくる。




「うー」

 困ったなぁ、ともう一度呟き、それから。




「仕方ないなぁ」



 ディスクをズボンのポケットに押し込み。




「『兄貴』頼むよ」


 言って、瞳を閉じた。





 そして、開いた。





 何も変わっていない。

 何も変わっていない筈だった。



 だが、そこに居たのは、今までの男とはまったく違った。




 真っ直ぐに追跡者たちを見据える瞳も、僅かに腰を落とし構える姿も、まるで、違う。




「…行くぞ」

 りん、とした声を放ち、追跡者たちに向かい、男は、動き出した。








 追跡者たちの攻撃は、すべて交わされ、無効化され、打ち消された。

 他人の攻撃を流し、弱め、そして男は最低限の力で追跡者たちを破壊した。



 動かなくなった追跡者たちの中で、男はゆっくりと息を吐く。



 瞳を閉じる。




 瞳を開く。





 一連の動作の後、そこに居たのは笑みが似合うたれ目の青年だ。



「いやぁ、助かった助かった」

 笑顔。自分自身の胸を軽く叩く。「有り難うなぁ、『兄貴』」




 ディスクを取り出し、歩き出す男は、ふと、路地の抜け道に人が居るのに気付く。






 女だ。





 長い黒髪の、恐ろしく露出度の高い…鎧にも似た皮製の衣装をまとう女。


 顔立ちはまだ幼さを残す。だが――




「リィハイの強さが分かるのかな?」

 女の背後からの声に、男は頷く。



「兄貴ほどじゃないけどね……まぁ、相手の強さぐらいなら、何とか」

 何とか、分かる。

 自分が逆立ちしたって適わない相手だって事ぐらい、よく分かった。





 リィハイ、と呼ばれた女が身体を引く。その女の後ろから、目の細い男が出てきた。

 笑みを浮かべているのだが…笑っていない気がする。



「確認しよう。


 レルゲイ…メイ君だね?」


 笑みは変わらず。




「最近、我々を探っている情報屋が居ると聞いていたが、こんな変わった特技を持つ人だと知っていたら、もっと早くにお会いするべきだった」

「いやぁ、お褒めに預かり光栄ッスねー。って事で、じゃ」

 片手を上げて挨拶。そのまま帰ろうとするが、此処は路地の突き当たり。

 逃げ道など無い。





「…俺に何の用でしょう?」

 男…レルゲイな情けない表情で言う。



「リィハイが君に会いたいと言い出してね」

 黒髪の女が頷いた。



「どうやら君を気に入ったらしい」

「………告白?」

「そう思いたいのなら思っても構わない」

 笑みが苦笑に変わる。



「――貴方は…二人居るの?」

 リィハイと呼ばれた女が問いかける。



「不思議。

 強いけど封じ込まれた光と…弱いけど自由な光が…共存している」

 でもきれい、と、リィハイが言った。





 レルゲイは少しだけ…迷い、口を開く。





「一応、一般的には多重人格って言われる病気ッスね。

 でも俺には、母親の腹の中で消えた双子の兄弟がいる。

 …だから、俺は…俺たちは、二人でひとつの身体を持っているって、信じてる」





「そう」

 リィハイが笑う。



「きれいよ。

 闇の中で…小さいけれど強く輝く光…とてもきれい」




 それだけ言って、リィハイは背を向けた。

 笑みを浮かべたままだった男はリィハイを見、そしてレルゲイを見た。




「…招待状を送るよ。リィハイに会う為のね」

「……俺に?」

「君たちに、だ」




 笑み。

「…それに、我々の事を探りたいのなら、潜入捜査もいいだろう?」








 二人は、去って行った。












 レルゲイは、二人の気配が完全に消え去るまで立ち尽くし…やがて、己の顔を片手で覆った。



「……兄貴…」




 呟く。


「どうしよう…か…?」





 ここ数年ほどの間だ。

 連続して、裏世界の、優秀な格闘家や戦士たちが連続して行方不明、再起不能…そして、死亡しているのだ。

 巧みに隠されては居るが…彼らに共通点はひとつ。

 とある格闘大会に参加したらしい、と言う事だけだ。

 



「俺に格闘大会に参加しろって?

 …なぁ、無理だよな? 兄貴だってさ、喧嘩得意だけど…ほら、あくまでも喧嘩だし…プロ相手じゃ…。

 そりゃあ…潜入捜査のは魅力的だよなぁ。相手の手の上で踊るみたいな気もするけど、あいつら相手じゃ…何もかも悟られている気がするし…。

 いや、そういう事言いたいんじゃなくて、えーと」





 兄貴、ともう一度呼んだ。








「…何だよ?

 何言いたいんだよ、兄貴?」



 胸に手を当てる。


 胸がざわめく。





「…あの女に会いたいのか?

 リィハイとか言った女に会いたいのか?」



 ざわめき。




「ああ、分かった、分かったよ、兄貴。

 行くよ、絶対に行くよ」




 レルゲイは笑みを浮かべた。




「二人で、リィハイに会いに行こう?」




 誰も気付かなかった、病気だと、心の病だと人に言われ続けた兄を、『光』と呼んでくれたあの女に会いに。


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