20・きみにあいたい

 悠子が死んだ。

 交通事故である。



「本当に後悔しないんだね?」

 老女が言った。

 俺は頷く。

 彼女が差し出した腕輪を受け取りながら。

「この腕輪は時間の軸をずらす。

 この腕輪を嵌めているなら、時間を自由に移動出来るさ。


 ただし。

 時間には自ら修復しようとする動きが働くんだよ。

 あんたの恋人を、その交通事故から助けたとしても、『死んでいる筈の人間が生きている』って言う矛盾を解決するため、時間が自ら修復しようとするさ」

「なら何度でも助ける」

 助けてやる、と俺は呟いた。



「ならいいよ」

 老女は俺の右手首に腕輪を嵌めながら言った。



 俺は、悠子が事故にあった時間へと移動した。





 君に会いたい。

 生きている君に、俺は、会いたい。







 迫る車。俺は飛び出し、悠子の小柄な身体を抱きかかえ、歩道へと倒れこんだ。

「高志? どうし――」

 どうして此処に居るの? と悠子は言いたかったんだろう。

 本当ならば俺は、この時間、電車の中だ。悠子は遠くから帰ってくる俺を迎えに行く為、駅に急いでいたのだから。



 俺は悠子に怪我が無いのを確認するとゆっくりと笑いかけた。



「良かった。悠子が無事で」

「高志」




 伸びた悠子の手は俺に触れる事無く。

 『本来ならば居ない場所に居る人間』を修復する為、時間は、俺を追い出した。





 そして、元の時間へと戻った俺を待っていたのは、悠子が死んだと言うニュースだった。











 俺は時間を飛ぶ。





 何度も、何度も、悠子を助ける。

 一瞬でも、一秒でも、悠子を生かす為に、時間を旅する。










 もう、幾度目だろうか。

 俺は既にもとの時間を見失い、時を飛び続ける為だけの存在だった。








 俺は半ば惰性で悠子を助ける。

「有り難う」

 そう言って笑ったのは、俺よりもずっと年上の、既に老人と言っていい年令の悠子だった。






 俺は彼女に笑いかける。

 彼女がどんなに年老いても、それでいい。

 彼女が無事なら。一瞬一秒でも長く生きていてくれるなら。

 時間にその世界を追い出されながら、俺はただしあわせだった。











「――ねぇ、あそこのお婆さん、なんで急に車道に飛び出すの?」

「知らなかった? 頭がちょっとおかしいって有名なの、あのお婆さん。

 自分が死に掛けると、恋人が助けに来てくれるんですって」

「恋人?」

「自分が結婚しないのも、その恋人が会いに来てくれるの待ってるんですって」

「本当、頭おかしいのね、あのお婆さん」






 車道に飛び出し、何とか避けた運転手から罵声を浴びせられ、老女はよろよろと立ち上がる。


 彼女は顔を歪め、ゆっくりと呟いた。




「あいたい」





 貴方に、会いたい。



 貴方は時を越えてやってくる。時を越えるのは一瞬なのだろうけど、私は、何年も何十年も貴方を待つ。





 会いたい。




「貴方に…会いたい…」



 老女は、掠れた声で呟き、その皺だらけの手で己の顔を覆った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る