21・狩人
博士と呼ばれる、俺を引き取ってくれた人と初めて出会ったのは、もう十年以上も前の事。
俺が育てられていた教会で、俺たちは出会った。
「さて、これをご覧」
博士はそう言って、集まった子供たちの前に箱を差し出した。
透明な蓋で閉じられた箱。その箱の中には小さな子鬼が閉じ込められていた。きぃきぃと鳴く子鬼は、箱の中でもがく。
だが、俺の友人たちが漏らした言葉は違った。
「何が入ってるの?」
「何も無いよ、博士」
「うん、からっぽだ」
嘘だ。
子鬼が入っている。
幼い俺は驚いて、友人たちを見る。
不安げに辺りを見回す俺の視線と、博士の視線がかちあった。
博士は少しだけ笑う。唇の端を歪める、独特の…冷たい笑みだ。
「君は見えているのだね」
博士は箱を片付けると俺に手を差し伸べた。
「来なさい。今日から君は私の家族だ」
博士が俺に引き取られる事を、レナお母さんは大反対した。
優しいシスターがそんな反応をするなんて思えぬほどの大反対。
だけど上からの圧力もあって、結局、俺は博士に引き取られた。
レナお母さんが反対していた理由はすぐに分かった。
博士は闇の世界の住人だったのだ。
だが、けして闇の生き物ではなく、博士は、闇に生きる魔物たちを狩る存在だったのだ。
魔物を見る事の出来る俺は、その才能をかられて彼の養子になった。
一般的な教養は勿論、魔物に対する知識、武器の扱い、効果的な戦い方。
それから、それから。
俺は数年のうちに、博士の息子として他の狩人たちに認められる存在になった。
まだ子供と言える年齢だったが、既に、大人と同等の戦闘能力を有する存在になったのだ。
俺は誇らしかった。
博士は俺を褒める事は無かったものの、彼が俺を誇りに思っているのがよく分かったから。
魔物を殺すのは怖くなかった。
「――レナお母さん」
俺がそっと呼びかけると、沢山の機械に繋がれたレナお母さんは薄く瞳を開いた。
一瞬、俺が誰か分からなかったようだ。
「俺だよ」
笑顔を浮かべる。「フェルだよ」
ああ、とレナお母さんは俺に向かって枯れ枝のような手を差し伸べた。
俺はそれを両手で握り締める。
俺が魔物たちとの戦いに明け暮れている間に、レナお母さんは病に倒れていた。
こうやって機械に身体を繋がれ、ようやく生き延びているのだ。
あまりにも哀れなレナお母さんの様子に、俺は胸が痛かった。
「フェル…フェルディナンド」
「なに、レナお母さん」
「私は…貴方に謝らなければ…」
そう言って、レナお母さんは激しく咳き込んだ。
話すのも苦しそうな様子だ。
「レナお母さん、無理しないで」
「いいえ…貴方に伝えないと…」
俺はちらりと背後を見る。
そこに居るレナお母さんの主治医はゆっくりと首を左右に振った。
無理させるのはいけない。
俺はレナお母さんに出来るだけ優しい笑みを浮かべると言った。
「レナお母さん、俺、また来るから。その時に話聞かせてよ。
すぐに来るよ。一週間ぐらいで」
「フェル…」
レナお母さんは俺の手を離さない。
引き離そうとした医者が諦め、取り出した注射をレナお母さんの腕に刺した。
落ちていく意識の中、レナお母さんがベッド横の棚を指差した。
「そこに、ヘカテの結婚指輪が…」
「ヘカテ?」
初めて聞く名前に尋ねる。
レナお母さんはゆっくりと一度頷き、掠れた声で続けた。
「あなたの、おかあさん」
それ以上尋ねる事は出来なかった。
レナお母さんは眠りの中に沈んでしまったのだから。
俺は主治医にレナお母さんの事を頼むと、病院を後にした。
レナお母さんが示してくれた引き出しから取り出した、銀色の細い指輪を右手の指に嵌めて。
数日後。
俺は古い城の前に立っていた。
此処に数百年の齢を経た吸血鬼が居ると言う。
そいつはまだ何事も行動していないが、ここはあまりにも人里に近く、いつ人を襲うとも限らない。
先手を打って魔物を倒す為に、俺はここに派遣された。
武器を確認し…それから、右手の指輪を確認する。
銀色の光に安堵し、俺は、正面から城に入り込んだ。
城の最奥。
教会にも似たつくりの部屋に、その吸血鬼は佇んでいた。
中年の男性。整った顔立ちに哀しげな表情を浮かべ、じっと俺を見ている。
「――城の大広間に」
ぽつり、と男が言った。「人狼が居たと思うが、どうした?」
「ああ、口の中に銀の弾丸を撃ち込んでやったよ」
「そうか。
…彼は長い間我に仕えてくれた友人だった」
「安心しろよ。すぐにそのご友人の傍に送ってやるからさ!」
俺は右手の銃を吸血鬼に向けた。
引き金を引く。
吸血鬼の頬をかすめ、銀色の弾丸が走り抜けた。
頬に紅い痕が刻まれ…すぐさまその場所が腐敗を始める。聖なる銀に触れた魔物の宿命だ。
「血気盛んな若者だ」
吸血鬼は苦笑。
それからすっと瞳を閉じて、再び、開いた。
紅い瞳。
“邪眼”!
吸血鬼の特殊能力を思い出す。
視線が通じる相手ならば、老若男女構わず魅了すると言うその力。
俺は銃を構えたまま、吸血鬼に走った。
遠距離では勝ち目が無い。
紅い瞳の魔力が通じる前に、少しでも距離を縮めるつもりだった。
が。
「…?」
変化は無い。
俺の身体は俺の意思のまま動く。
吸血鬼が邪眼を使わなかった?
違う。
吸血鬼自身も、武器を構えたまま突き進んでくる俺を見て驚いている。
「まさか」
掠れた声が聞こえた。
接近し、引き金を引こうとした俺の手を、人外の速度で接近した吸血鬼が弾き上げる。
銃は俺の手から外れ、飛んでいったしまったが、俺はすぐさま腰のナイフを抜いた。
何故か動きを止めた吸血鬼の心臓に、祝福されたナイフを突きつけた。
吸血鬼は、その左手を伸ばした。
焼け爛れた、醜い左手。
その左手を、ナイフを持つ俺の右手に、伸ばしたのだ。
右手…ではなく、俺の指に、嵌められた指輪に。
「…?!」
意味が分からない行為。
俺はそのままナイフを動かす。
心臓を、貫く。
吸血鬼は最後まで俺の右手を握り締め、ただ、笑った。
「ヘカテ」
小さな声で、俺の母さんと言われた人の名を、呼んで。
灰に、なった。
灰の中に、俺は銀の光を見つける。
俺の指に嵌められた指輪と同じ、銀の結婚指輪。聖なる金属である銀を指に嵌めていたとしたら、手は始終、焼け爛れていただろう。
「―父さん」
俺は博士に問いかける。
「俺が倒した吸血鬼は、誰なんですか」
「吸血鬼は吸血鬼以外の何者でもない。
よくやった、フェル。
次の仕事だが――」
「父さん!」
俺の叫びに帰ってきたのは、冷たい視線。
「何が知りたいと言うんだ、フェル」
「何もかも、です。
例えば…どうして、俺は魔物が見えるんですか。
どうして、俺は吸血鬼の邪眼が通じなかったんですか」
「簡単な質問だ」
博士は当然のように答えた。
「お前が吸血鬼の血を引いているからだ」
月明かりが窓から届く病室で、昔話を、聞いた。
子供のように泣きじゃくる俺の頭に手を置いて、レナお母さんは機械に繋がれた不自由な身体で、昔話を語ってくれた。
昔…むかし。
一人の吸血鬼が居た。
彼は長い間、他人の生命を犠牲にして生きているのが苦痛になった。
故に、己を滅ぼうそうと、彼はとある教会へと向かった。
そこで一人の少女と出会ったのだ。
吸血鬼と少女は愛し合い、やがて子を成す。
だがそれを周りは許さなかった。
少女を殺し、そして吸血鬼に重症を負わせた。吸血鬼は傷を癒すために長い眠りへと付き、一人残された子供は、とあるシスターにかくまわれ、生き長らえた。
時は流れ、少女を殺した狩人の一人が、子供を引き取りにやってきた。
普通の子供と同じように育て、その能力を隠そうとしていたシスターだが、子供はその狩人に引き取られる。
子供を守れなかったシスターは、深く深く、己の無力さを悔いて生きていたのだ。
「――レナお母さん」
俺は泣きじゃくるだけだ。
「俺はどうすればいい?
俺は、自分の父親を殺した俺は、どうしたらいいんだ?」
「ねぇ、レナお母さん。
俺は――
二人も、父親を殺しているんだ。
博士も…さっき、殺してきた」
いまだ返り血で紅い俺の服。
レナお母さんは何も答えない。
答える、言葉は無かった。
「レナ、お母さん…?」
レナお母さんは、俺の頭を撫でている手のまま、動かなくなっていた。
夜の病院から抜け出す。月明かりが綺麗だ。
俺はゆっくりと顔を上げた。
涙は既に枯れている。
俺の中には何も無かった。
「……?」
ふと顔を下げれば、常夜灯の下、一人の青年が立っていた。
俺よりも幾分背が高い、筋肉質の青年。
彼は俺を見る。
その瞳は、獣の瞳だった。
俺は笑う。
「人狼か」
殺しに来たのだろうか、俺を。
青年は少しだけ驚いたような表情を浮かべた後、俺に笑いかけた。
牙を剥くその表情を笑み、と言うのなら、だが。
「オレが人狼だとわかってるなら話が早い」
「主の命令に従い、お前に仕える為にやってきた」
「……主?」
「吸血鬼。お前に殺された。
本来なら父が来る筈なんだろうが、生憎、お前に殺されている」
「……」
「物好きだな」
「そうだな」
人狼が笑った。「お前の父親は本当に物好きだ」
さぁ、と人狼が促す。
「何処へ行く?」
「何処へ行こう」
俺は答える。
「俺は、何処に行けるんだろう」
「さぁな」
人狼が言う。「オレはお前に仕えるだけだ」
俺の前に来た人狼が、その長い身体を跪かせた。
俺の靴先に額が付くほど頭を垂れる。
「お前が行く道に、従うだけだ」
選ぶのは、俺だと言うのか。
俺は月を見上げる。
ヘカテ。
母の名を思い出した。
冥界の月の女神。魔物たちの守護者。その名前。
俺はゆっくりと歩き出した。
人狼が立ち上がる。
「――人狼、お前の名は?」
「お前が付ければいい。今までの名はお前に仕えると決めた時点で捨てた」
「それも俺が決めるのか」
「ああ」
行くべき道は決まっていない。
だが月が照らす道を、俺は歩き出す。
魔物と人の間に生まれ、魔物を狩り、人を殺めた俺に、行く道など無いのかもしれない。
それでも、月は、俺の足元を照らしていた。
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